08 大人の言い訳
「何をしとんのんじゃお前はぁぁああああ!!」
怒りの咆哮が昼間のパラケルス邸を揺らした。
「お母さま、落ち着いてくださいませ。」
「これで、どう落ち着けば良いというのです。リディア……。」
努めて冷静に言葉を返すと、パラケルス伯爵・カタリナは湯気が出そうなほど紅潮した顔で髪をグシャグシャにしてから顔を覆い、頭の重みを机に預けて力尽きた。
「いえ、まずは貴女を労わねばなりませんね。
よくぞバカ…こほん。レオ王子との関係をうまく清算して家の名を守ってくれました。ユリウス殿下の力添えがあったとはいえ立派な働きです。」
カタリナはわざとらしく言い間違いを訂正した。
この3年間、カタリナは家の存続のために日夜問わず、とにかく働きづめであった。
その最大の懸念の一つがバカ王子・レオであったのだから恨みつらみもあるのだろう。嫌悪感を隠すつもりは微塵もない様子である。
「この3年、貴女には大きな負担があったでしょうが、本当によく頑張ってくれました。昨夜の社交界での顛末を侍従長より聞いた時は私も鼻高々でした。」
「お母さま……。」
この人を『母親』として見れているかは正直微妙なところであるのが心情なのだ。
私としては、日本で自分を生み育てた両親こそを親だと考えている。
だが、この人が自分を娘として愛情深く接していることは理解できた。
3年前より今日まで、ことに及べば、この人は家の存続よりも私の未来を優先したであろうことが話の節々から伝わってきた。
そこにボタンの掛け違いがあったとしても、どうしてそんな人を悪しからず思わぬことができようか。
「それどころか、ユリウス殿下の御心を射止め、婚約を申し込まれるとは……流石は次期パラケルス伯の名を継ぐもの。流石は私の娘だと本当に誇らしく思います。」
「……ア、ハイ。」
カタリナが思考を巡らせながら話してくれていて助かったと思った。
もちろん、説き伏せための労もあるが、机に視線を落としているから、とりあえず目を合わさなくてすんでいるのだ。
そうでなくとも目が合うかは怪しいのだが。なにせ私の目はひどく泳いでいるだろうから。
「ですが、借金を抱えた路傍の男児を持ち去ってくるというのは何事です!?」
カタリナは、絶望の声を泣きそうな顔で上げた。
これに関しては、まぁ、本当に申し訳ないという気持ちであった。
だが叱責を受け続けて胃がキリキリと痛み始めたころに、やっとのことで本題に入ったようだと安心したのが正直なところだ。
私とて一晩何も考えずにいたわけではない。やらかしを含めても働きと帳尻を合わせれば五分五分だろうと考えている。
まずは落ち着いて話あわねばならないのだ。
最初にお互いの考えのすり合わせからである。
頑張れ私。
「まず、ユリウス殿下との婚約についてですが、当面のうちは保留とさせていただきます、ことによっては、お断りさせていただこうと。」
「う”ぅ”あああああ”あ”あ”↑あ”あ”あ”ああああ↓」
悲痛な叫びと共にカタリナが再度机に撃沈した。
まずったようだ。もう少し、様子を見ながら話をすべきだったのか。肉親の間で政治だの経営だのの話を真剣にしたことなどなかったので間合いが分からなかった。
だがもう、賽を投げてしまったのだ。どうにか心を持ち直して続ける。
「良くお考えください、お母さま。ユリウス殿下との婚約関係は確かに我がパラケルス家にとっては願ってもないことです。
ですが、現状それは諸刃と言えましょう。」
「……。続けなさい。」
机に突っ伏したまま、カタリナが私の考え(言い訳)を催促した。
「たとえば、この先なにかしらの問題が起きて婚約関係が破棄された場合はどうなります。」
「……。」
カタリナは黙って続きを求めた。考えを巡らせながら聞いているだろうことは疑っていない。
つまり、リスクを含めた損益の分岐点はどこにあるかを名家の貴族たる頭脳をもって求めようとしているのだ。
「『王族との婚約関係を二度破談にした次期伯爵』となれば、それこそパラケルス家は終わりです。」
「……。」
またも返事はない。しかし、突っ伏した格好で肩を揺らしたり指で机を弾いて体の血を巡らせることで解を弾きだそうとしているようだった。
私はここで押し黙った。一手パスである。カタリナの頭の整理を待ったのだ。
「あるいは、ユリウス殿下がそれを利用し、我が伯爵家に大幅な譲歩を迫る可能性もある……? リディアはそう考えているのですか?」
「いえ、お母さま。少なくとも、私見で言わせていただければ『ユリウス殿下は』そういったことはしないと考えております。」
これに関しては、自分の所感から来る本心を告げた。
あの腹黒王子は計算するし、暗躍もする、小細工もする。ただ、一線を越えることはしない。
味方となる陣営に対して無限に使えるカードで一方的な譲歩を求める……。信頼関係を一時的な利得に換金することはないと断言出来た。
それは、私がパラケルス領失踪事件を通して得た確信であるが、しかし個人の考えであり、カタリナはそう断じないだろうことも理解できる。
上半身を起こし、目をつむったまま机を人差し指でリズムよく叩いている。
リディアの言葉を信じたとして、第2王子派の連中も同じか?
第2王子派と競争している王太女イザベラはどうか?
そもそも、そういったパワーバランスがあると悟られれば貴族派閥との駆け引きに影響は?
様々な考えが浮かんでは消えていくのだろう。カタリナの眉間の皺の深さは増すばかりであった。
この問題におそらく答えはでない。
であるから、私にとっては突破口となると思ったのだ。
「クルトには魔力があります。」
短く、端的に伝える。カタリナの意識を思考の渦から引き戻すためである。
「それが、なんだというのです。男の5人に1人は魔力を持ちます。女であれば2人に1人です。」
騎士や魔導士になれるものはそこから更にふるいにかけられる。男であれば『明確な体の構造』により落とされる割合は女のそれよりはるかに多いのだ。
パラケルスは元をたどれば錬金術系の魔導士の家系である。
「男に神秘は宿らない」などと流言を吹聴する騎士あがりとは違い統計を尊重しているが、たとえばユリウス・ヴェスタリアのような外れ値でないのなら男で魔力持ちという程度ではなんの意味もない。
そして、クルトがそういった逸材でないことは明らかだった。
「はい、ですが。聖剣には挑めます。」
トン、と。机を叩き続けていた指が止まった。
「現在の聖剣持ちは確か剣闘士でしたね?」
「はい、お母さま。彼を除き次代の聖剣の担い手も現れていません。騎士系貴族達はもう随分嘆いておられます。」
剣闘士、つまり道楽のために剣を振るう者が聖剣に選ばれているようでは護国の騎士としてはメンツが立たないのだ。
先代の勇者も平民の出であった。貴族勇者の誕生が望まれてもう随分経つ。
カタリナがバカ王子と分かっていても家系に王族の血を入れようとした理由はパラケルス家の王国内の微妙な立ち位置に端を発する。
錬金術師の家系であるため、交流が強いのは都市商人と職業ギルドだ。新興の貴族であるため派閥に属しておらず後ろ盾が弱い。
「その坊やは何歳なのです?」
「11だそうです。再来月には12になります。 15になるまで教育を施して聖剣に挑ませようと考えております。」
「3年ですか……。」
この3年とは、『クルトを一人前にするための時間』ではない。
もちろん表向きはそうであるが、貴族の家の人間が浮浪少年を3年で1人前にできるなどとは思っていないのだ。
だが、ユリウスと社交界にはこう言える。
「嗚呼、愛しのユリウス殿下。今すぐ貴方の手を取ることができるならどれだけ良いか。
されど、わたくしにはそれができないのです。聖剣に挑む資格を持つ、この未来ある少年を見つけて拾い上げてしまったわたくしには……彼を導く義務がございます。
あなたは、陰ながらずっとわたくしを愛していたとおっしゃってくださった。であれば、どうかもう少し……あとほんの3年待ってはくださいませんか?」
である。オエッ。
その時間を使い、カタリナは地盤を固めながらユリウスが信用のできる相手であるかを見極めることができ、
私はどうにかパラケルス家が没落せず、自分が政治に関わらずに済む方法を探す。
クルトも3年は食うに困らず、聖剣に選ばれなかったとしても伯爵家で教育を受けることができれば少しは選べる未来も増える。
仮にクルトが奇跡的に聖剣に選ばれれば貴族派閥との繋がりができて家は安泰。
そうでなくとも、ユリウスと婚約を結ぶ保険がある。
これが、クルトを拾いに行くことに対して自分を説得するために考えた言い訳であるが、我ながらなかなかどうして機転が利くではないかと思った。
だから、あとはカタリナ次第である。
いろいろ理由を後付けしてみたが、これがぐらぐらと揺れる橋のような不安定さであるのは自分が一番よく分かっていた。
私は政治に関しては素人である。だから、これは自分にできる精一杯だ。あとは野となれ山となれであるのだ。
カタリナが押し黙り考えているのを振り子時計の音を聞きながら待った。
「分かりました。ただし条件があります。」
「なんでしょう。お母さま。」
達成感とともに、一瞬声が上ずるのを感じたが、そんなことはどうでもよかった。
私にとっては大勝利であるからだ。
「ユリウス殿下の心をしっかりと繋ぎ止めるよう尽くしなさい。ことと次第によっては『女』を使ってでもです。」
撤回する。
気持ち的にはげんなりした。
心象的にはよくて引き分け、むしろ負けに足を踏み込んだ気がした。




