16 偽薬の効能
「まず、アリステリア教授のおっしゃる通り、これは『偽薬』に違いありません。そもそもどれだけ高名な魔導士のものであろうと『血』に力は宿りませんから。」
「……そういうものなのですか? でも、魔法陣は『血』を媒体に使うんですよね? それなら観測的には、特別な力が宿るという仮説くらいなら立っても不思議じゃないと思うんですが……。」
オットーは差し出した『偽薬』に目を落としながら語った。
私の素人質問にも嫌な顔一つせず答えてくれる。
「はい、それに関しては断言いたします。
むしろ『魔法陣』の作成要件自体が今回のような血液加工の薬剤の存在を否定することになるかと。」
「と、言うと?」
「そもそも、魔法陣に必要なのは血液の成分ではなく『流水』の性質なんです。インクで『描く』という行為が魔術的に『流水』の役割を担っています。
たとえば『契約魔法』も契約書という形なだけで一種の魔法陣と言えますね。
古来より呪いにおいては流水が力の流れを、人間の一部が神秘を、材質の均一性が土台を成します。本質的には血液でなくとも良いのです。」
契約魔法、という言葉にクルトがピクリと反応した。地下組織掃討戦の時のことを思い出したのだろう。
私はクルトの肩をそっと撫でてから質問を続けた。
「例えば、髪の毛でも良いってことですか?」
「その通りです。実際、地域によっては溝に切った髪を水と流すことで魔法陣を成立させるというような仕組みも盛んでした。」
ふむ、と顎に手を当てた。
その方が血よりも材料が集めやすいのではないかと一瞬考えたが、髪が伸びるペースを考えれば費用対効果次第では違うのか。
あとは溝に流すという構造負荷が高い、とか。
そう考えると、紙にインクとして描ける『血』は魔法陣には絶妙な存在なのだろう。
「人間の部位が神秘を表す、というのは?」
「ここがポイントですね。神秘とは、つまり論理で説明できないもの、ある種の信仰の対象を示します。『生命』が一番分かりやすい例ですね。
『血』や『髪』を利用する場合、それが『生命』の一部として認識される必要があるんです。そのためか効力を持つのは本人から切り離されて最大でも半日程度だと言われています。それ以降は魔法が作動しません。
魔法陣の研究において材料の調達方法は常に研究されていましたが、長い歴史でこれだけはどうしても解決できませんでした。特に『加工』に関して言えば、行った時点で効力を失います。」
確かにそれなら『偽薬』の製造は無理そうだ。なにせ、粉末上に加工された上に香料と混ぜ合わさっている。
別に疑っていたわけではないが、これが少なくとも魔法的な効能のない薬剤であることは確定と見てよいだろう。
「専門家の立場からも言わせてもらえば、これは一種のプラセボ薬と見た方が良いかと。」
「プラセボ薬、ですか?」
プラセボといえば、実際には効果のない手段でも思い込みでそれらしい効能が出てしまうとかそんな言葉だったと思うが。
「はい。意外と必要なんですよ、そういうものも。魔法は精神的な揺れ、魂の在り方が強く影響する、というのが通説ですから。
『高名な魔術師の血を原料にした薬を摂取した。だから大丈夫』と自分に言い聞かせることはそれなりに効果があるんだと思います。」
「はぁ……そういうもんですかね?」
まぁ、ある種スポーツ選手のルーティーンのようなものなのだと思えば良いのだろうか。
一発勝負の競争社会の中に生きるのなら、理解できなくはないのだが。
「学者が集うロメリアで、ですか?」
「意外に思われるかもしれませんね。ただロメリアの競争というのは外の世界で想像するものよりも過酷なんですよ。特に魔導士系の学者にとってはね。」
「……なるほど。」
そこは私が日本のぬるい大学教育を経験しているためにイメージにズレが生じているのだろう。
確かに世界最高の研究機関、ましてや『天才』こそを重要視するような風土の場所であれば生き残りをかけた競争が熾烈を極めるのは不思議ではない。
ただ、それとは別に前々からロメリアについて良く分からない概念が気になっていたのだ。
「あの、魔導士系の学者とおっしゃいましたが……。ロメリアの『学者』やら『魔導士』やらの定義がちょっと分からなくて……。」
「あぁ、なるほど。確かに内部にいないと少し混乱するかもしれませんね。それに関しては___」
「あれぇ? オットー君、扉開けっ放しだよ? っと? お客さん?」
オットーが話をしようとすると廊下から声が届いた。
間延びした、おっとりした声色だ。学者の町・ロメリアには不釣り合いな甘ったるい声であった。
「あ、すみません。お邪魔してます。」
見た目からすると年は20歳くらいか。見ようによってはもっと上にも感じるが、髪型が顔の幼さを強調しているような気もする。
エレオノーラを思わせるウェーブのかかった赤毛、雰囲気は似ても似つかないが顔立ちは共通した部分が多いが、しかし___
「リディァアア!! 久しぶりぃいい!! お姉ちゃんよぉおおお!!!」
そんな見た目の要素など置き去りにするように、出合い頭に突進して抱き着いてきた距離感にこそ『エレオノーラの血縁』を思わせたのだった。
ぐいぐいと体を寄せる女性の抱擁に呻き声をあげていると、コゼットが少し呆れた様子で声をかけたのだ。
「離してあげてください、キアラ。リディア様が窒息してます……。」
キアラと呼ばれた女性がようやく身体を離したのは、私の意識が遠のいていく最中であった。




