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01 メンツとズル

『メンツを潰すくらいなら首を切れ』とは、この世界でしばしば使われる表現である。似たような意味合いを持つ言葉は恐らく日本がある元の世界にもあろう。

これは「人は恨みをなかなか忘れないので注意しろよ」という文脈で使われることも多いが、実際はもっと実務的な問題を示唆している言葉であった。


今生の我が母・カタリナをパラケルス伯爵領と接した領地を持つクーネル男爵が訪ね、とにかく必死にご機嫌取りをする様子を哀れみながらそんな言葉を思い出したのだ。


「いやぁ、それにしても! 先日の王都でのリディア嬢のご活躍は大変すばらしいですなぁ! 

それにユリウス王子から求婚され王太女イザベラ殿下からも覚えめでたいとあれば、パラケルス伯もさぞや鼻高々でありましょう!! 

パラケルスと長い間、お付き合いさせていただいております私共といたしても本当にめでたく思っております!!」


「いえいえ、まだお話があがっている最中のことですわ。もちろん、王家が我がパラケルス伯爵家に関心を寄せていただいているというのは喜ばしいことですけれど。」


「あ、はは。えぇ、もう! それはそれは……。本当に……。」


クーネル男爵は顔に脂汗を滲ませ、とにかくパラケルス家を持ちあげていた。

カタリナに調子を合わせて笑おうと試みてはいるが、お世辞にも成功しているとは言えない乾いた笑みだけが出来上がっていた。


「リディアが聖剣を抜くにふさわしい子供を拾い上げ育てているさなか、今度は師匠であるアリステリア公爵じきじきにお呼びになられるものですから目が回るように忙しくて……。」


「ははは、いやぁ、それもこれも、リディア様の名声あってのことでしょう!! まさにパラケルス万歳! といったところですな!!」


「ふふふ、男爵もそう思われますか?」


男爵はもう泣きそうな顔をしていた。

自らパラケルス領に訪れ、とにかくパラケルスをヨイショヨイショと持ち上げて1時間は経つ。


哀れな男だ。


カタリナは親バカである。

ただ、格下とはいえ貴族を自領に招いて娘自慢をするほど愚かな領主ではない。これは、一種の禊であった。


3年前、パラケルス伯爵令嬢リディアが心神喪失の上に失語症を患ったという醜聞が『煤被り』の蔑称と共に王国全土を駆け巡った。

落ち目と思われたパラケルスと縁の深い貴族たちの行動は様々であったが、貴族社会で決して立場の強くないクーネル男爵は決断を迫られたのだ。


つまり、縁の深いパラケルスとの関係をどのようにするかである。


クーネル領では蚕の養殖業が盛んで、錬金術を使った国内随一の染料加工の地であるパラケルスに絹を輸出していた。

だが、3年前の事件以降クーネル男爵は絹の輸出先を変える方向に舵を切った。

男爵としても自領の商人たちに貿易特権を与えて厚遇していたパラケルスから商売相手を変えるなどということは本当はしたくなかったであろう。


貧乏領主としては目先の小さな事件にさえ耐える体力がなかったので舵を切らざるを得なかったのだ。


しかし、彼らにとって幸か不幸か、先日の社交界再デビューをしてから今日までの短い期間の間に状況が変わった。


『第2王子ユリウスから求婚された令嬢』

『王都の地下組織掃討で功績をあげ王太女殿下からも注目される次代のパラケルス伯』

『大陸最強の魔導士エレオノーラ・アリステリアからもいまだ直弟子と認められている魔導士リディア』


今となっては王国内でのリディア・パラケルスの評判は、注目の有望株として返り咲いた。

そうなってくると、クーネル男爵としても事情が違う。


輸送コストもなく、特権商人として保護されているパラケルスとは是非お取引を続けたい! と思うのは自然なことであった。

カタリナも3年の間にクーネル男爵領商人達から貿易特権を取り上げることはしていなかった。商品の質も良く、近隣の領地との関係は良好であるに越したことはないからだ。


お互いに利害は一致しているのだ。

ただ、問題が一つだけあった。


そう。

メンツである。


『いや、あそこのお家、あなたが大変な時に離れていきましたやん? ええのん? 』と、貴族の世界ではツッコミが入るのだ。


「クネール領の商人もリディア様のご容態はずっと気にしていたのです。リディア様は幼少の頃より、ヴェスタリア王国の至宝とまで呼ばれておりましたから!」


「えぇ、そうでしたね。男爵も商会の方々も見舞いの『手紙は』何度も、寄越してくださいましたもの。

そんなクーネル領の方々との縁ですから、今後とも持ちたいと思っておりますのよ?」


「え、えぇ……。 それは我らの方こそでございます。 ……それで、その。貿易特権に関してですが。」


クーネル商会に与えている特権は2つ。


まずは、『免税特権』。

貿易品の相性が良いし、どのみちパラケルス領の職人が購入し加工して輸出するため関税は商売の邪魔でしかない。

これに関しては、王国内を見まわしても珍しくないのでそのままで構わないだろう。


問題はもう一つの特権である『保証金の免除』だ。


クーネル領の商人の一部がパラケルス現地で店を構えクーネル領から届けられる商品を捌いていたこともあり、本来は他領の商人がパラケルス領に入る際にかかる保証金を友好関係から免除していたのだ。


だが、3年前からクーネル商人達は販路を開拓するために一人また一人と引き上げついにいなくなった。

今になって「あんたのところ調子いいみたいだし、一度は引き上げたけど、もっかい入ーれーて! 入る時の保証金も無しでお願い!」とするのは大人の社会では図々しいと言う。


クーネル男爵も後ろ指を指されるが、それをただで許したらパラケルスも影で笑われるのだ。


じゃあ、この保証金を課せばいいかと言われれば、できればそれもしたくない。

そもそも保証金をとったところで、領から商隊が出る時には返すのだ。滞在が長期であれば一時的に借用して使うこともできるが、短期で頻繁に出入りするクーネル領商人にこれを課すと単純に手間ばかりがかかって得がない。


しかし、仮に何のお咎めもなく保証金を課さないとなると他の商人達からは「ズルだ!!」と言われる。


「そうですわねぇ。どうすればいいのでしょうと頭を悩ませておりますのよ。『ずっと親しくしてきたクーネル男爵』とは良い関係を続けたいですもの。」


「え、えぇ……。いや、それは私共としても……。本当に……。」


カタリナの嫌味にクーネル男爵の表情筋は可哀想になるほどプルプルと張っていた。

おそらく、胃はキリキリと痛んでいるだろう。


哀れだ。


こういうことになるから『メンツを潰すな』という言葉がどこの世界でも使われるのだ。

当人同士がよくても、周りが許さない。


別に他者に対して威張り散らすために存在するわけではないのだ。

お互いの信頼関係があって他の人たちにもメンツが通っているから『本来必要なプロセルだけど省こうね』とすることができるようにあるのだ。

『顔パス』なんていうものは、まさにその象徴である。


これは仲良しこよしをしているわけではなく、プロセスを省くことで回転速度をあげて利益に回そうねという合意から来る知恵なのだ。

だが、それを損なえば同じ行為が『ズル』として扱われる。


味方のメンツを潰す行為というのは、回りまわって動きの鈍化を招いて自分の足を絡めることになる。

メンツ、大事。


他領の貴族にも分かりやすいようにクーネル男爵が訪問したのは、つまり、一度は後ろ足で砂をかけたリディア・パラケルスのメンツを立たせるための儀式であった。


「えぇ、貿易特権に関しては以前のまま運用いたしましょう。今後ともよろしくお願いします。」


「は、はい!! こ、こちらこそ!! よろしくお願いします!!」


お小言の時間が終わり、ずっと額に張り付いていたクーネル男爵の汗はようやく流れるように落ちたのだ。

私も置物のように参加させられていた会食からようやく解放されると安堵したが、ふと自分の考えを振り返ると思いのほかいいアイデアが落ちていたように感じた。


「……手続きを省く『ズル』か。」


この世界の魔法について思い当たった独り言であるが、それを聞いてクネール男爵はギクリと肩を震わせて恐る恐る私を見た。


「あ、あの、あのあのあの。り、リディア様に関しましては本当にご活躍目覚ましく!!」

「え、あぁ、いや。……はい。」


私はこの場になんら関係ない自らの軽率な言葉が、領民をなんとか食わせようと必死なこの哀れなクーネルの心臓を握り上げたことを後悔しながら、もうしばらく彼の必死の称賛を聞くことになったのだった。

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