45 互いのぬくもり
扉を引く僅かな音に目が覚めた。
たどたどしい足音がベッド横まで来るのが聞こえる。
「……。」
寝起きの薄目で見れば、赤毛の少年が覗き込むように顔を伺ったのが分かった。
「……クルト?」
「あ、ごめん。起こしたか?」
寝ぼけ頭で考えても自分より重症の相手に見舞われるというのは忍びない。
少し冗談でもいって和ませようと思ったのだ。
「キスでもしてくれるのかと思ったのに。」
「なっ___! ちがっ!!!」
クルトは月明かりだけが頼りの中でも耳まで真っ赤くしたのが分かるほど狼狽した。
その姿にクスリと笑みが出たのだ。愛い奴め。
「傷は? 大丈夫なの?」
「……うん。俺は全然平気だよ。」
包帯であちこちぐるぐる巻きのクルトを気遣うと、少し落ち着いた様子を見せた。
それでも、やはり顔が熱いのか。襟をパタパタとさせながら首を煽いでいる。
少しの間、会話もなく。
クルトが大人用の椅子に腰かけたせいで浮いた足を持て余したのだろうか、両足で一定のリズムを叩いているのを聞いていたのだ。
5分くらいだろうか。あるいは、もっと長かったかもしれない。
クルトはオズオズと口を開いた。
「なぁ、リディア。」
「んー?」
「なんで俺を拾ったの?」
「……。」
これを聞かれるのは二度目だった。
そして、一度目は私が間違えたのだ。片意地を張って、この子の気持ちを遠ざけてしまった。
その記憶が蘇り、どう答えてよいか悩んだのだ。
いじらしい少年を見て、頭がまだ寝ぼけているせいか余計な一言が口をついて出た。
「……か。」
「か?」
「顔が好みのタイプだったから?」
「……。」
「お前さあ!!」
「いや、ごめん! 今のは私が悪い! 分かってる! 分かってるから!!」
クルトが椅子を立つのを見て、流石に目が覚めて謝った。
何をやっているのかとベッドから体を起こして腕を振り回して弁明したのだ。
「……。」
クルトがいったん怒りを収めて椅子に座ったのを見てから息をついた。
さて、どう説明すればよいのだろう。
私は言葉をまとめようと頭を巡らせたのだ。気持ちを言葉にするというのは難しい。
私がアワアワしているのを見てか、クルトが呆れながら話題を変えた。
「……手紙、読んだよ。」
「……あ。」
「……。」
「コゼットに渡されたの?」
「……ジゼル。」
「へ? あ、そうなんだ?」
意外な人物の名前が出てきたので驚いた。
なぜジゼルから渡されることになったのだろうか。
「……あと、ジゼルのところで養子にとれって言ったって聞いた。」
「あ!」
それで、ジゼルが手紙のことを知ったのかと気づいた。
クルトが立ち去って自暴自棄になっている時にコゼットにそんなことをのたまったを思い出したのだ。
「ち、違うよ!? いや、違わないんだけど……。私が言いたかったのはそういうことじゃなくて___」
「分かってる。」
「え?」
「……分かってるから。大丈夫。」
慌てて弁明しようとしたのをクルトに止められた。
「そっか。」と相槌を打って、先ほどからどうにも大人の自分ばかり空回りしているのに気づいた。
この子の親になると決意したばかりなのに、やはり自分という人間が頼りない。
「助けに来てくれた時に言ったことはさ、本当?」
クルトが目を伏せたまま問うたのだ。
私は思い出し、そして答えた。
「本当だよ。クルトがいないと寂しい。
君が大人になるまで、ずっと、一緒にいたいよ。」
「……。」
あの時はやっと会えた安堵からか、口をついて気持ちが出た。
偽らぬ本心であるから、今もまっすぐと答えることができたのだ。
そして、一度口に出せば、なぜ自分がそんな風に思ったのかが分かったのだ。
「クルトがいないと寂しいよ。」
コゼットもいる。この身の母であるカタリナもいる。
屋敷の人も誰もが親切だ。
だけど、私を通してリディア・パラケルスを見ているのだ。
私も誰とも知らぬその人を演じている。
ユリウスとは一歩だけ近い関係でいると思う。
だけど、彼とは『ビジネスパートナー』として、やはり一線を引いていた。
転生した“あたし”は大勢に囲まれたまま一人であった。
そんな中、出会ったのがクルトだったのだ。
社交界を飛び出して、役割を放り投げて路地を歩いている時だった。
最初に会った時にしたことは、半ば喧嘩に近い口論だった。
私の失言に怒り、クルトは脛を蹴り上げて硬貨が入った財布を額めがけて思いっきり投げつけて走り去ったのだ。
寄り添ってくれるような関係ではなかった。
それでも等身大の私が、この世界で初めてあったのが、きっとこの子なのだ。
「クルトがいると安心するの。」
「……。」
この子を半ば強引に引き取り、言い訳をついて手元においた。
どこかで会ったばかりの子に依存していたのかもしれない。
傍にいてくれるだけで良いと思っていたのだ。この子といる時に心が安らいだから。
だけど、この子は子供としてただ一緒にいるだけではなく、歩幅を合わせて歩いてくれた。
ずっと路地で一人で生きてきた子で、身の回りの物すべてを警戒しているようであったのにも関わず、私が渡すものを精一杯受け取ろうとしてくれた。
私のためになろうと一生懸命な姿に救われたのだ。
たぶん、この世界の人達と距離を少し縮めるように接することができるようになったのは、この子と出会ったからだ。
幼いこの子の面倒を見ながら、少しずつ自分が成長していたのだ。
結局、私自身としては、この子には貰ってばかりであったように思う。
「勇者になれなんて、もう言わないよ。私のもとにいるのが嫌ならオルセラで養子になってもいい。」
「……っ。」
「だけど、たまに会いに来てほしいよ。心配だし、クルトがどんな大人になるのか見届けたいもん。」
「……なんで。」
「クルト?」
「なんでそんなこと言うんだよ!!」
クルトは声を張って椅子を倒して立ち上がったのだ。
手を握りこんで、肩は耳にぶつかろうというほど竦めている。
失言だったのだ。
また、この子を傷つけたのだろうかと思った。
「クルト、傷が!」
「……っ! そうじゃない! そんなことじゃないんだ!!」
目に涙を湛えたこの子を見るのは3度目だ。
こんなにも意固地なクルトを何度も泣かせてしまうのは自分が不甲斐ないからに違いないのだ。
それでも、クルトはそれも否定するように「違う、違う」と首を振った。
「何もかも貰ってばっかで、何も返すものがなくて! 一緒にいても不安になるんだ!
だけど、離れるのはもっと嫌なんだよ! 俺だって、本当はずっと一緒に!!」
「……クルト。」
「ずっと……。ずっと一緒にいたいよ。」
必死なクルトを見て。
やはり、どうやら自分が至らないことを思い知ったのだ。
クルトは『受け取るの』が下手くそなんだろうと思っていた。
それは、本音を言えば今でも変わらないのだ。
だけど、私も『渡す』のが下手であったのだ。
物も、言葉も、想いも。
「うん。私も、一緒にいたいよ。ずっと。」
『君が大人になるまで』なんて、もう言わない。
楽しいときも、辛いときも。後先とか、利益とか、後ろめたさなんて他所に置いて。
お互いが寄りかかれる相手を見つけていたのだ。
きっと、それを“家族”と呼ぶのだと思う。
朝はまだ遠い時間であった。
それでも、わずかな月明かりが指しこむ綺麗な夜であったのを今でも覚えている。
出会って親代わりになってから、ひと月が経った頃だ。
お互いが傷だらけの体であちこち傷むのを気にすることもなかった。
私がクルトを胸に抱き留めると、クルトも背中に手をまわして、初めてお互いのぬくもりを分け合ったのだ。




