44 一緒にいたい人
ジゼルのことは苦手だった。
高慢な貴族を絵にかいたような女であるし、なによりリディアと仲が悪いようであったから。
だから、渡された紙の束にも文句を言ってやった。
「なんだよ。この汚い紙。」
「いいから、読みなさい。」
有無を言わさぬ物言いにはムカつくが、これで意地を張れば子供だなんだ言われるだろうから諦めて手紙の一つを摘まんで開いた。
随分古い紙である。というか、中には破けたものを継ぎ接いだものもある。
一度はゴミとして捨てられでもしたのだろうか。
『拝啓 』
畏まった時には似つかわしくない下手くそな字であった。
あちこち汚れているから判読も難しいのだ。
眉の上の痒みに気を散ったので、紙を摘まんだのとは逆の手で額を搔きながら目を通したのだ。
『拝啓 クルトへ』
「___え?」
手紙の中身は、本当に大したものではなかった。
リディアに拾われてから字を学んだ俺でも読めるような、拙い言葉で書かれている。
束をほどいて、どれを読んでも同じようなことばかり書かれていた。
体調はどうか、生活は大丈夫か、返事は無理にしなくても良いので体に気をつけろ。
あとは自分の近況が少し添えられているくらいだ。
判読できない部分などは指でなぞるように読んでも、どの文からも送り主の不器用さはありありと読み取れた。
何故こんなものがあるのか。それがどうしても分からなかったのだ。
いや、これを書いた者が誰なのかなど頭の悪い俺でも分かるのだ。ナタリアとレオのやり口から、どこかでそれを察していた。
___自分の親が借金を置き去りにして逃げたのではないということくらいは。
『置いて行かれたんだ!! 捨てられたんだ俺は!!』
雨の降る中、言った言葉を思い出す。
それをリディアが否定しようとしていたことも。
『俺の親は俺を捨てやがったんだ!!』
あんなこと、言うべきではなかった。リディアは否定しようとしていたのだ。
あの時は、気休めを言おうとしたのだと思って気持ちを逆なでされたようにさえ感じた。
だから、その可能性を考えないようにしていたのだ。
「何年前の手紙だと思ってるんだよ……。こんな綺麗な文字、庶民が書くわけないだろ……。」
それでも、確かに父が子を想う言葉なのだ。
ぎこちなく誤魔化しや嘘のない、そういう言葉が綴られていた。
あちこち汚れて文字が潰れ、破けた部分は継いで張った紙が足されている。
そういう部分には新しいインクで綺麗な文字が足されているのだ。
全部ではない。たぶん、出来る限りのことをして復元したものだけ。
「本当に馬鹿よね、リディアは。一人で炭鉱を駆けずりまわって。」
ジゼルが心の底から呆れたように言った。
あぁ、そうだ。
それを聞いて想像ができてしまう。
書かせるだけ書かせて捨てられた、ボロボロの手紙を這いずり回って探し出したのだろう。
きっとそれだけではない。
炭鉱夫たちのもとを頭を下げて話を聞いて周るリディアがありありと想像できた。
リディアはそういうことをするのだと、胸に落ちて納得できてしまった自分を見つける。
口だけで否定しようとしていたのではないのだ。
彼女なりの精一杯のやり方で、想いを届けようとしてくれていたのだ。
___死んだ父の想いを。
「……んでない。」
心が揺れるのを感じた。大きくグラグラ。
心臓はゆっくりと動いているのに、胸の中を何かが暴れまわるのを感じるのだ。
「……頼んでない。」
「なんですって?」
擦り傷だらけの手で手紙を書く姿が思い浮かんだ。
場違いな服装で屑籠を漁って這いまわる姿が浮かんだのだ。
気持ちが揺れて、胸の中を何か大きなものが渦巻いて留めることができずに口を割って出たのだ。
「頼んでない!! こんなこと! 頼んでなんかないんだ俺は!!」
何故父は迎えに来なかった?
これが答えであった。
全部、俺のためにやったことであったのだ。そんなことは分かっていたのだ。
そして、リディアが父ではなく手紙だけを持ち帰ることになった理由など本当はずっと前から分かっていた。
それだけであったのなら、今更揺れることはなかったのだ。愚かな自分でもそんなことはずっと前に気づいていた。
だけど。
「なんで! みんな勝手に何でもしようとするんだ!! 俺のために何かしてほしいなんて!! 一度も頼んでないだろ!!」
頼んでない。
頼んでなどいないのだ、こんなことは。
「……。」
ジゼルが、その眼光を厳しく俺を睨むのが分かった。
あの雨の中、リディアの言葉を拒絶して、ちっぽけな自尊心を守って逃げて去った自分を責められているようであった。
だが、それならば俺にどうしろというのだ。
恐ろしくなどなかったのだ。
屋根のない路地で寝ることも、口汚い大人たちに小突かれることも、ドブネズミと一緒に屑籠を漁ることだって。
そんなことは別にちっとも恐ろしくなどない。
リディアのためになるのなら、俺はいつだってそんな生活にも戻ってやるのだ。
本当に恐ろしいのは、取り上げられることだった。
『もう、お前のものではない』と、受け取ったものをいつか取り上げられてしまうことなのだ。
もうお前はいらないと。いつか、そう言われるのがたまらなく恐ろしいのだ。
だって、俺には何も返すものなどないから。
聖剣に挑み勇者になる。
そんな無理難題でも、リディアが望むのならやってやると思っていた。
だが、本当はそれすら必要ないのだと言われるのなら。
じゃあ、『俺』はどうすればいい?
ゴミ溜めから拾い上げられ
温かい食事を出され
安心して眠れる場所を用意され
ずっと恨んでいた親の想いまで手渡されて
自分の小さい器では、こんなにたくさん受け取れなかった。
「貴族だから!! 楽に生きられる身分だから簡単にこんなことができるんだ!!」
思ってもない言葉が、口から滑り落ちたのだ。
それを聞いて、ジゼルがついに手を伸ばして俺の胸倉をつかんだ。
「貴族だから、本当はこんなことできないんだ!!」
「……っ!!」
家のため、領地のため、そこに住む民のため。
恥も外聞も捨てて何かをする。そんなことは許されないのだ、とジゼルは歯を剝き出しにして怒鳴った。
高貴な身分としてやったのではない、と。
「う、ぐっ……。」
反論する言葉などあるわけもない。呻き声だけが口から漏れて出た。
分かっているのだ、そんなことは。
だけど、どうすればよいというのか。
受け取る器のない俺が悪いというのか?
何も返すものを持っていない、俺が悪いのか?
襟首を締めあげられながら、こちらを睨むジゼルの目を精一杯睨みかえした。
だったら、教えてくれ、と。
俺はどうすればいいのかを教えてくれと。
ジゼルは俺の恨みがましい視線を正面から受けて問うたのだ。
朝はまだ遠く、月明かりがわずかにだけ指しこむ夜であったことを今でも覚えている。
「答えなさいクソガキ! いま、『あなたの言葉』で答えるの!!
いつか、あなたが独り立ちする時がきたとして、何か人に渡せるようになった時が来たとして、
あなたが『何か』を返したいと思うのは___誰!?」
受け取るとか、返すとかではなく。
一緒にいたいと思う相手は誰であるかを。




