39 大切な約束
痛みには、慣れているつもりだった。
ゴロツキにど突き回されて路上で生活していたから。
骨の芯まで響くような痛みにも、内臓まで揺れるような痛みにも。
うだるような日に照らされて鉄板のように熱くなった石畳にも、雪が積もり肌を裂くような冷たさにも。
今更痛みに怯むことなどないと思っていた。
「痛っっぐぅっ!!」
しかし、剣で斬られるのは初めてだったのだ。
人を殺すために作られた武器による傷が、その他の痛みとはまるで違うのものなのだと痛感させられる。
「あまり、強情にされると本当に殺してしまいそうだよ。いい加減諦めてくれないかな。」
仲間に引き入れようと意固地を張っているか、あるいは契約の証人としての裁定を翻意させたいのか。
ナタリアは生かさず殺さずのまま、体のあちこちに刃傷を刻んでくる。
殴打の痛みとは違う。
傷口を抑えても血と共に体力が逃れ落ちるのを本能的に感じて、脂汗が全身から吹き出ていた。
なんとか剣戟を受けようと構えても、自分の手に持つ剣の刃渡りは既にナイフのようになっていた。
逃げるように何度も後ずさっていたために、場所は既に屋敷の広い玄関まで移動している。
「でも、いい目だね。これだけ切られれば失神していてもおかしくないのに。」
「……。」
「さっきの男とは、ちょっと話しただけだったはずだけど。何が君にそこまでさせるのか。それは気になるな。」
「あぁ、自分でも分かんねぇや。なんでだろな。」
馬鹿にされたと思ったのだろう。ナタリアの顔がピクリと引きつった。
俺としては本音であるのだが。
「あんま調子乗るなよ。クソガキがっ!」
「うぐっ!!」
再度の裂傷。もう体中ズタズタでいくつめの切り傷であるかも分からないが。
相当苛立っているのか、直後に蹴りが飛んできた。
自分の体が宙に舞って背中から壁に叩きつきつけられた衝撃でえずいた。
ゴホゴホと咳き込んでいると、ナタリアは剣を肩に担いだ格好で膝を伸ばしたまま腰だけをまげて体を屈め俺の顔を覗きこんでくる。
「俺の方こそ聞きてぇんだけどさ。あんた元々は騎士だったんだろ?
なんで、しょっぱい闇金融の会長なんてやってんだよ。」
「んー? あ、そうだね。そういう話もすれば納得してもらえるかもしれないかな?」
「……。」
ヘラヘラと機嫌を直したのか、ナタリアは体勢をそのままに語り出した。
「私はね、ある男爵に仕えていた騎士なんだけど、そいつがどうにもパッとしない奴でね。
民のためだのなんだの言って貯金ばっかしてさ、直臣にも私みたいな流れの騎士にも金払いが悪いのなんの。」
「……。」
「本人も貴族のくせして節制節制で、つまんない奴だったんだよ。
私は入用だってのに『お前! 何度目だぁ!!』って全然金貸してくれなくてね。もう本当うざくてさ。
しょうがねぇから、ぶっ殺して金目の物盗んで逃げたんだよね。」
「なっ!?」
「いやだってさ、自分を豊かにしてくれない主人とかいらなくない?」
当たり前の事だろ。何を驚いている。
そう言わんばかりの表情に底知れない気味の悪さを感じた。
「あんた、金以外に大切なものってないのか?」
「? ないよ? 君、男爵様と同じこと言うね?」
「……。」
たぶんだが、教えようとしたんだろう。
こいつに色んなものの価値を。
だが、受け取る器がなかったのか既に恵まれすぎていたのか。
「ナタリア、いつまで遊んでるつもりだ!」
「あらら、怒られちゃった。」
先ほど部屋にいた小太りの男が退屈したのか追ってきたようだった。
苛立っている様子を隠そうとしていない。何にそんなに焦っているのかは知らないが、先ほどからとにかく落ち着かない様子だった気もする。
「あれが、あんたの今の御主人様か?」
「そ、ヴェスタリア第4王子・レオ殿下だよ。あんたのご主人様、リディア・パラケルスの元婚約者。」
あの偽装債権を作った奴か。
バカ王子だとは聞いていたが、どうりで兄のユリウスに比べて見た目も冴えないわけだ。
お互い随分信頼してるように見えるな。そんな皮肉を言って笑ってやった。
もちろん、そんなものが利くとも思っていないが。
「そんな金にもならないもの気にしてどうするのさ。」
「……。」
「君こそ、正直後悔してるだろ? 勝てると思って挑んだんだもんな?
だけど、無理だよ。君じゃ私に勝てない。だから、仲直りしようよ?」
やわらかい表情だった。
まるで、本当にこちらのことを想っているように見えるほど。いや、多分こいつの中ではそうなのだろう。
「あの男を捕まえてきて。もう一度契約をやり直してくれたら許してあげるよ。な? 賢くなろうぜ?」
差し出された手を見て、つい考えてしまう。
さきほどナタリアにも聞かれたが、たしかにと思うのだ。
見ず知らずの親子のことを想うだけであるのなら、これが割に合わない、賢い行動でないことは自分でも分かる。
でも、その手はとれない。
「約束したんだよ。リディアと。」
「約束?」
いろんなものを貰った。いろんなことを教わった。
暗い場所に戻れば元通りになると思っていた自分はしかし、あの頃とは、もう違う人間なのだと自覚してしまった。
だからといってリディアのもとに戻れるとは思っていないのだ。
一時の感情に任せてリディアを怒鳴りつけ、あんな顔までさせて逃げてきたのだ。
今更どの面下げてと自分で思ってしまうから。
だから、帰ろうとは思わない。
___それでも、なのだ。
「勇者になるんだ。俺。」
「は?」
「約束したから。」
こんな自分が聖剣に選ばれるとは思えないが、それでもなのだ。
聖剣なんてどうでもよい。護国の剣になど興味もないのだから。
リディアがくれた『生きるための目標』は絶対捨てない。
リディアがくれた『これは違う』は絶対守るのだ。
そして、なにより。
「あんたこそ、上から見下してんじゃねぇよ。」
「チッ。痛みで頭のネジでもぶっ飛んだか?」
朦朧としゃべる俺の言葉を鬱陶しそうに聞くナタリアに正面から言ってやった。
「つまんないのは、あんただよ。」
「……。」
「男爵をどうだこうだ言ってたけど、結局、自分が価値を見出せなかっただけだろ?
視野も狭くて、懐も小さくて、金でいっぱいになる程度の器しかなかっただけだろうが。」
ギョロリと、ここにきて初めてナタリアが異様な表情を見せた。
「可哀想なのはあんただよ。人を豊かにしないのも、いてもいなくても変わらないのも、どっちもあんただよ。」
顔を引きつらせ、もう苛立ちを隠す素振りもない。
ブラブラとさげていた剣は失われた余裕を表すかのようにしっかりと握られていた。
「殺す。」
「……。」
あぁ、死ぬな。これ。
それでも、言ってやった。
最後に曲げずに言葉にしたのだ。
思えば、いいことなど数えるほどしかない程度の人生だった。
でも、手に入れたのだと見せつけてやる。金だの名誉だのとは違う。
お前なんかと違って、本当に価値のあるものを受けとったのだと。
「リディア・パラケルスとユリウス・ヴェスタリアとの交渉で使えるだけ使ってやろうと思ってたけど、もういいよ。お前、ここで死ね。」
オオカミのように歯をむき出しにして迫る姿だった。
ただ、妙に納得もしたのだ。
この女が俺を迎え入れようとした本当の理由に。
だから、最後の力を振り絞って剣を握った。
絶対ないのだ。
どんなことがあっても、リディアを傷つけていい理由など。
そんなものは俺にとっては絶対にない。
たとえリディアのもとに戻らなくても、聖剣に選ばれることがなくても、勇者になる。
俺が、リディアを守る聖剣になるのだ。
「あぁああああああ!!」
最後の衝突に備え足に力を入れて剣を構えた。刀身などほとんどない、頼りのない自分の現身のような刃。
踏み出して、お互いがお互いの間合いに入る直前だった。
「「___っ!!」」
ドンと、衝撃が響く。
遅れて、空気を揺らぐ音が届いた。
「雷!? 雲一つないのに!?」
ここにいたって、ようやく屋敷の外を集団が慌ててバタバタと音を立てるのが聞こえた。
そんな音をかき消すように声が響く。
「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 我が名はジゼル!! 王国の先槍、雷鳴の二つ名を冠するオルセラ伯が嫡女、ジゼルである!!
この屋敷の主であるナタリアおよび、匿われているレオ王子。二人の身柄を引き渡すことを要求する!! これは、王命である!!」
良く知る気取った声であった。
それをまさかこんな場所で聞くとは思いもしなかったが。
「レオ殿下!!」
「くっ! まさかこんなに早く来たのか!?」
引き渡しを要求されたレオは大慌ての様子だった。
ナタリアは状況が分からないのか、訳知り顔のレオを詰めようとしていた。
___しかし、二人の意思を引き裂くように再度轟音が響く。
先ほどのように音が遅れるようなことはなかった。つんざくような雷鳴もない。
その代わり、建物を直に揺らす衝撃と共に屋敷の壁の半分が吹き飛んでいたのだ。
「砲撃!?」
「違う。……この魔法、兄上か!?」
身をかがめて、舞う土煙をかき分けるようにしながら周囲を確認しようとしている。
オロオロとしているレオを見限ってか、ナタリアはギョロリと俺を見た。
「くそ! せめて人質として!!」
「……っ!?」
突然の事態と体力の限界から、膝をついて這いつくばる俺にナタリアが迫った。
しかし、崩れた壁を乗り越え一つの人影がサーベルを携えてそれを阻んだ。
「コゼット!!」
「うちの子だぞ! 返していただく!!」
たった一日離れていただけだったが、その姿をひどく懐かしく感じた。
不退転の覚悟はどこへやら、思わず涙があふれ潤む視界越しにしか見ることはできなかった。
それを見られるのが溜まらなく恥ずかしく、腕で涙をぬぐった時だった。
体を包まれたのを感じる。
やさしく抱え込むように、しかし、目一杯抱き寄せられているのが分かった。
顔を見なくても匂いで分かる。
たとえ、鼻が潰れていてもぬくもりで分かったであろう。
胸がいっぱいになり、今度は目から涙が落ちることに気づく余裕さえなかった。
「ごめん、クルト。遅くなって。こんなに怪我させて……。」
「……あ、ちが。俺。」
何も悪くないのだ。あなたは。
だから、そんな声で謝らないで欲しい。
胸が張り裂けてしまいそうになるのだ。
「……リディア。」




