20 本物のドブネズミ
『裏』闘技場、などというから更に地下に連れていかれるのかと思っていたら、ロザンヌに案内され今しがた来た階段を上り、店の前にある馬車に乗せられた。
夜の通りだというのに、ロザンヌは顔パスで王都城壁の扉を兵士にあけさせている。
賄賂を日頃から渡しているのか、あるいは上の人間に言い含められているのか、どちらにせよユリウスの言う通り一介の裏稼業ではないのかもしれないと警戒度を更にあげた。
「もう随分と走っておりますが、まだ着きませんの?」
「ははは、リディア様は意外とせっかちなのですな。まだ王都を出て10分ほどでございますよ?」
緊張からか時間が経つのを遅く感じているのかもしれない。
気取られないように「そ。わたくし退屈ですわ。」と高慢な令嬢らしい言葉を返しておいた。
「そういえば、リディア様も最近野良犬を拾って飼ってらっしゃるそうですね?」
ピキリとこめかみの奥が張る音がしたが、表に出さずによう努めて答える。
おそらく、退屈だと言ったために雑談のつもりなのだろう。随分と悪趣味だが、こんな商売をしている人間としてはさもありなんというものだ。
「えぇ、この間道端で拾いましたのよ。威勢が良い子供でしたので、思い付きで聖剣に挑ませてみようかと。」
「ほほぉ、それはそれは。なかなかリディア様も良いご趣味をされておりますね?」
ロザンヌはこの話を愉快愉快と笑っている。
その笑い声がやたらと癇に障るが、どうにか抑えて雑談を続けた。
「そう思われますか?」
「えぇ、もちろんですとも。」
ロザンヌは随分と馴れ馴れしい。最初にあった時から距離感の詰め方が気持ちの悪い女ではあったが、ここにきてまるで同族を迎えたように上機嫌であった。
「だって、そうでしょう? 『出来ぬと分かっていること』を野良犬に使命として与えて拾い上げるなど、滑稽な姿は見ていて実に愉快でしょうな。」
一撃。
こめかみを横から金づちで殴られたように感じた。
馬車に乗せられてからの不愉快な会話に嫌気がさし、表情を動かさないようにずっと固めていたが、ロザンヌの言葉によって暗がりに落とされたかのように自分の瞳孔が開くのを感じる。
「そうですわね。気に入っていただけました?」
カチカチと歯が鳴るのをどうにか抑えながら、働かない頭をどうにか回してロザンヌに取り入る言葉を探して答える。
「えぇ、もちろんですとも。本当に『良い趣味』をしていらっしゃる。」
ロザンヌは心底楽しそうにおしゃべりを続けている。
この女は腹の底から『こういう人間』であるらしい、と反吐が出るのを耐えて聞き流した。
◇◇◇
ロザンヌの耳障りな会話を受け流しながら暫く立つと、馬車は郊外の集落に止まった。
焚火がいくつも焚かれて夜だというのに、ここだけは明るい。群衆も随分と賑わっているようであった。
「やれ! やれ! やれ! やれ!」
郊外におくには豪華な鉄フレームで補強した木製のリングの周りを観客たちが唾を吐き散らしながら歓声をあげている。
二人の選手は互いに抜身の剣を携えていた。
「ぎゃぁぁああああ!!」
一瞬の出来事であった。片方の選手が相手の剣劇を潜って斬撃を浴びせる。
斬られた男は喉が裂けんばかりの悲鳴をあげて崩れ落ちた。
「目を伏せてくだされ。」
グレイがさっと身を寄せて耳打ちをする。
とっさの言葉に目をつむると、そのあとに鈍い音と共に悲鳴が途切れるのが分かった。
「どうです? リディア様、他では見られぬリアルな戦いは! 血沸き肉踊る光景ではありませんか!?」
会場に到着してから客たちを周って挨拶していたロザンヌが戻ってきた。
頬は紅潮しており、顔をてかてかと油ぎった汗が照らしている。
「これが、『裏』の闘技場なのですわね? ロザンヌ様。」
取り入ることを考えるのであれば、同調して興奮した口調で返すべきであった。
しかし、心を思いっきり沈めて氷のように固めなければ言葉を返せなかった。感情を表に出せば歯止めが利かなくなるのが分かっているからだ。
「はい、リディア様。ここが命がけで行われる本物の闘技場でございます。」
言葉に詰まる。
どうにか不審がられないように場を繋げなくてはならない。
「それにしても、随分と参加者が多いですわね。
地下の闘技場でさえ、もう他に手段がない者があがるものかと思っていましたが。」
リングから少し離れた場所には、20人はいようかという集団が控えていた。
大人だけではない、子供や老人もいる。男の方が多いようであるが、中には女もいた。
「えぇ、まぁ、表向きは綺麗な王都でございますが、部屋の隅には掃きだめができるものですよ。」
グレイとアーデルに視線をやった。
自分を落ち着かせるためであったが、二人も心中穏やかではない様子だ。
グレイはアーデルがいれば戦っても問題ないと言っていた。
しかし、敵の本拠地で暴れてタダで済むかと問われて絶対はないはずだ。この二人の安全を保障する義務が今の自分にはある。
懸命に思考を巡らせて軽挙妄動は慎むべきだと己に言い聞かせてロザンヌとの会話に戻る。
「自分の命しかテーブルに出せぬような者が一山いくらで見つかると?」
「えぇ、まぁ、その辺は私たちも商売です。いくらか工夫をしておりますが。」
ロザンヌはもうこちらを見ていない。うっとりと鮮血が滴るリングを見上げている。
「工夫ですか?」
「えぇ、そうですね。たとえば、賭場などは一番分かりやすいですね。
最初に何度か勝たせてやれば、自分は運が良いのだと勘違いして勝手に沼にハマっていくものですよ。
勝った時は機嫌よく酒場で金を落として帰ってきて、負ければ取り返すために帰ってくる。そうやって、バカなやつらの行動習慣を作ってやればよいのです。」
「つまり、イカサマをしていると?」
「エンターテインメントでございますよ。リディア様。本人もそれで一時とはいえ楽しんでいるのですから。」
ロザンヌは得意げに語っている。
他人をバカだアホだと見下し、上手く使えばよいのだと臆面もなく語る口調からはもう「お前もしっかり使い潰してやるからな」と言っているようにしか聞こえなかった。
この女はそれが見透かされないとでも本気で思っているのだろうか、と勘繰ってしまう。
「コツはですね。リディア様。
バカに目標など持たせないことです。足元だけ見るようにするのですよ。」
「目標、ですか?」
「そうですとも、ドブネズミがそんなものを持っていてどうするというのです?
あんな奴らは適当に明日食う飯の代金を渡しておいて、ずっと先まで掃きだめで二の足を踏ませるくらいで良いのです。人間ではないのですから『生きるための目標』なんていらん生き物なのですよ。」
後ろで、鞘がなる音が聞こえた。
アーデルが身じろぎしたのであろう。彼にとってロザンヌの暴言は到底許せるものではないはずだ。むしろよく耐えていると言える。
「わたくしたちとは違うのですよリディア様。貴方もいずれ人の上に立つ者として今からこういうことを学んでおくべきです。
社会勉強をされに来たとおっしゃっておりましたが、本当に素晴らしい慧眼の持ち主だと、このロザンヌ感動しております。」
「わたし『たち』、ね。」
聞くに堪えない暴言を流しながら彼女の振舞いずっとを観察していたが、実のところ短いやりとりの中からでさえ、わたしはもうこのロザンヌとかいう阿呆の底を見切ったと感じていた。
裏の社会を牛耳るなどと言うから、道を踏み外しはしてもひとかどの人間であるかもしれないと考えていた警戒心はとっくに解けている。
視界の端では、次にリングにあがる少年が泣き叫びながら抵抗していた。
土壇場になって怖気づいてしまったのだろう。
しかし、武具をまとった女たちに囲まれて何かの処置を施されている。
「あれは?」
「あぁ、あれですか。」
ロザンヌは一瞥すると「ああいう手合いも少なくないのです。大丈夫ですよ。対策しておりますから。」とつまらなそうに唾を吐いた。
「……。」
少しすると少年はさきほどの様子が嘘のようにニタニタと笑って武具を手に取った。足取りはフラフラとしている。
「催眠療法というやつです。まったく、ああいう手合いは興が冷める。」
「……魔法か、あるいは薬物の類ですか?」
後ろで地面を踏み鳴らす音が聞こえる。視線は向けていないがアーデルだと分かった。「堪えてください。」とグレイが宥めるのが聞こえたからだ。
「まったく、価値のない人間なのだからせめて私たちの役に立つように生きろと常々思いますがね、バカなやつらというのは己が分際もわきまえておらんのですよ。」
「分際ときましたか……。」
この女は先ほどから殊更に『私たち』という言葉を使う。
しかし、はて、と思うのだ。お前も貧民窟の傭兵上がりではないのかと。農村から追い出され辺境伯の失政から八百長戦争に囲い込まれたネズミであろうと。
私はこの世界の人間ではない。
別に農民だろうが傭兵だろうが貴族だろうが、それで人としてどうかという考えはいまいち浮かんでこない。それはそれで浮世離れしていてどうかとも思うのだが。
しかしだからこそ、いちいち人を見下した物言いをするこの女の態度から透けて見えるように感じた。
『私はもう、お前たちとは違う』と。
「えぇ、良ければ私がリディア様を指南いたしますよ。人の使い方というものを。なに、お近づきの証です。」
いるのだ。
こういう救えぬ阿呆が。
たまたま運よく抜け出したからと、ズルをしたことさえ棚上げして自分が優れているのだと勘違いをする。
小銭を稼ぐだけの小物であるから優先順位が低かったというだけであるのに、いつまでも増長するような輩が是正の手が入って決まって言うのだ「なんで今更!不当だ!」などと。
自分以外の人間も『考えている』という当たり前のことを理解できない大馬鹿が。
既に王家に睨まれていることにも気づかず、必死な人間を下から見下している本物のドブネズミが。
「そうです。リディア様の拾った野良犬もリングにあげてみたらどうですか?」
「……っ!!!」
血が沸騰するのを感じた。
感情が爆発するのを抑えるために、もう身じろぎ一つとれないでいる。
「きっと、恩を返すために死に物狂いで戦いますよ。なにせ、聖剣を抜けると騙されるような阿呆なのですから。」
もう限界であった。
わたし『が』ではない。アーデルももう噴火寸前だ。
貧民窟から必死に抜け出してもなお『生きる目標』とやらは見つけられず、『弱い方の味方をする』ただそれだけを守って生きてきたと語る男の怒りが火山のごとく地鳴りしをあげているのだ。
しかし、まだ我慢している。
そう、我慢してやっているのだ。
「ロザンヌ様、一つだけ聞いてもよろしいですか?」
心を動かさないように、ただ機械のように口を動かした。
仕事だからだ。一つだけ確認しておく必要があるからだ。
「なんでございましょう?」
「レオ殿下はこちらにいらっしゃっていたのですか?」
頼むから、そうではないと答えてくれ。
レオの身などなんとも思っていない。しかし、心の中で祈りに祈った。どうか、利用価値のないボンクラであれ、と。
「いえ、レオ殿下はこちらにはいらっしゃったことはございませんね。」
「本当に?」
良かった、と心の底から思った。これで思い残すことは何もないのだ。
「えぇ、よければ今度リディア様が誘ってくださいましたら、わたくしみ―――っがっぶらじゃどべあ!!??」
自分が拳を握りしめていたのに気づいたのは、それをロザンヌの顔面に叩きつけて振り抜いた後であった。
「じゃあ、お前にもう用なんかねぇよ!! 豚女!!」
少しは晴れるかと思った怒りは全く収まらず、はらわたはグツグツと煮えさかっている。
騒ぎを聞きつけて武装した傭兵どもが取り囲むように動き出した。
「会長が襲われた! こいつらをとらえろ!」などと見当違いの言葉を口走っている。
数人の女が槍を持って私に向かったが、それが届く前に倒れこんだ。
「……。」
言葉一つ発さずに、アーデルが間に立ちふさがり切り伏せていたのだ。
その洗練された舞踏がごとき身のこなしからは、剣が鞘走る音さえ誰もとらえることはなかった。
「グレイ、アーデル殿……。」
私は二人に声をかける。
「ここにいる奴らを、一人も逃がすな。」
グレイがヘルムの留め具を落とす音をもって応え、アーデルがサーベルについた血を切り払ったのが聞こえた。




