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18 日陰の騎士

「最初に忠告しておきますが、覚悟はしておいてくださいね。」


アーデルの言葉に息を呑んで、店に入った。

内装は普通の酒屋で主人がカウンター越しにこちらに視線を向ける様子は一見すればここが地下組織のフロントだとは思えなかった。


「先ほど話した私の主人だ。裏に通してくれ。」


アーデルが言うと店主は言葉は用いず顎で合図をした。

扉で仕切られた店の奥には物置ほどのスペースがあり、床にひときわ大きな収納扉がある。

店主は腰をかがめて扉をあけると地下に続く階段が顔を出した。


「随分……その、慣れた様子ですね。アーデル殿。」

「えぇ、まぁ。私はこういう場所の出身ですから。」


階段を下りながら緊張を紛らわすために雑談を振った。

なんとなく察しはついていたが平民として腕っぷし一本でのし上がった質なのであろう。


「それがどうして騎士系貴族本流のオルセラ伯爵家付きの騎士になったのです?」


気位が高く長い歴史を持つ家系とストリート育ちの騎士。正直に言えば、あまり相性が良いようには思えなかった。

もっと言えば、地下の育ちで一代限りとはいえ貴族たる騎士号を叙勲するというのもどういう経緯なのか疑問である。


「気になりますか?」

「え? あ、はい。まぁ。」


アーデルは少し意外そうな表情で私に質問を返した。声色から察すれば、何か気に障ったという感じでもなさそうであるが。


「いえね、ジゼル様から聞いていた貴方の印象とは大分違っておりましたので。貴方は他人に興味を持つような方ではないと考えておりました。

いや、失礼。お気に障らなければ良いのですが。」

「構いませんよ。ここのところ誰もかれもがそうおっしゃっておりますから。」


グレイの話を聞いた直後であるから「まぁ、そんな感想もいだくのだろう。」と軽く受け流せた。


話の途中であったが、階段の底までついたようで先導していた店主が扉を開いた。


「う”ぅ”っ!」

部屋に入るとすぐに強烈な刺激臭が鼻を襲った。

思わず鼻を手で覆う素振りを見せると「じきに慣れます。口じゃなく鼻で呼吸してください。」とアーデルが小声で耳打ちをした。

顧客として潜入をするという目的上はそうするべきなのかもしれないが、これに慣れろというのはなかなか無理難題ではないかと思った。


「地下は換気が悪いですし、こんなところに来るような奴は身なりを整える質でもありません。

そんなやつらが、唾を吐き散らしながら大声で会話して、酒をこぼして拭かないのですから発酵した匂いも溜まります。」


「うへぇ……。」


ここにいたって、2択を外したのでは?と疑い始めた。

売春窟の方がまだマシであったかもしれない。鼻が曲がりそうになって臭気が目に沁みるような思いを気合で耐えた。


地下室は思いのほかかなり広く、100人程度ならすし詰めにすれば入れそうなスペースがあった。

中央では賭場が開かれており、カードやボードゲームの他に狭いリングもある。


「やはり、人気なのは闘技場ですね。」


リングには若い男がなんのプロテクターも持たずに対峙させられている。

それを囲むように人だかりができて賑やかしている。


「ボスを呼ぶから、それまで適当に見て行ってくれ。」


店主は不愛想に言うと、今しがた通った階段を戻っていった。


とにかく一秒でも早く体が環境に慣れてくれるように祈っていると、アーデルが気晴らしにか群衆を眺めながら話を始めた。


「私が幼い時もね。ああいう大人に媚を売って日銭を稼いでいたんですよ。」


地下闘技場。

クルトも来たことがあると言っていた。リングにあがった少年にクルトとアーデルの姿を映して耳を傾けた。


「辛くはなかったですか?」

「逆に辛くないと思いますか?」


デリカシーのない質問であったことを自覚した。

クルトに初めて会った路地でも同じようなことがあったことを思い出し「すみません。」とただ謝罪する他なかった。

どうにもこの世界を現実として受け入れ切れていない部分があるのかもしれない。日本感覚が抜けていない、完全な悪癖である。


「ジゼル様との出会いのきっかけを気にされていましたね?」

「え、あ。はい。」


私の表情を見兼ねてアーデルが話題を持ち出した。


「こういう闘技場でもね、来るんですよ。上流階級の顧客ってのは。

そういう人に気に入られると小遣いを渡されたり、掛け金があがったりするんです。」

「まさか、ジゼル様が?」


口ぶりに驚いて聞くと「まさか、そんなわけないでしょう。」とアーデルは苦笑いをした。

私の慌てぶりを見て実際に笑っているようにも見えた。


「私のパトロンはね、王家や貴族が主催するような武闘大会にも出資をする人だったんです。

もちろん、私みたいな野良犬はどれだけ強くてもそんなものには出場できません。ただ、ある時その人が目をかけてた剣士が怪我で出場できなくなってしまったんです。」


そのパトロンは散々大見えを切った手前、自分が推す選手が不在というのは流石にメンツにかかわると代打を用意しようとした。

しかし、大会の直前で有望な選手など見つかるわけもない。


「そこで、もうヤケクソで白羽の矢が立ったのが私でした。」

「怖くはなかったのですか? 貴族の騎士も参加されるのでしょう?」


グレイが昔を馴染んで話すような雰囲気とは違う。

二度とそこには戻りたくないという煮え湯を飲まされ続けた日々を語る口ぶりであった。


「ですが、チャンスでもありました。腕に覚えも。

この大会で注目されれば真っ当に生きる道が開かれるかもしれないと。そう思っていました。」


そして、負けた。


「相手は『王国の先槍』と謳われる騎士系貴族の名門中の名門オルセラ伯の嫡女でした。」

「それって……。」


「はい。ジゼル様です。」


初めての邂逅は屈辱の敗北であった。それまで地下闘技場では負けなしの自分がなすすべなく敗北したのだから、と続いた。


「ジゼル様は、そんなにお強いのですか? アーデル殿も騎士に上り詰め、その武勇を王国全土に轟かせるほどの才覚の持ち主なのでしょう?」


「単純な腕比べであれば、勝負は分からないと思いますよ。経験を積んだ今ならばもっといい勝負もできるでしょう。それこそ、勝つことも。

ただ、大会に間に合わせで渡された粗悪な剣で魔法の武具を全身に纏った騎士を相手にすればどうなるかはお分かりになるでしょう。」


生まれの差。

しかも、努力や才能のような個人の資質とは違う部分で勝負は既に決していた。

それは腕に覚えのある者であればあるほど悔しかったに違いない。


「私もね、そりゃ恨み言の一つや二つ出ますよ。

お前みたいな生まれた時から何でも持ってる奴とは違って、こっちは将来がかかってたんだってね。

お前は今日勝たなくたって明日食う飯にも何にも困らないだろうに、なんで勝ちまで持っていくんだ。それくらい譲ってくれたっていいだろって。」


クルトも同じようなことを言っていた。

地べたを這いずり回って生きてきた。しかも、自分の責任ではないというのに。


お前は何でも持っていて、俺たちには何もないのに、と。


「そしたら、ジゼル様はなんと言ったと思いますか?」

ここに至って、わずかに柔和な口調に戻った。グレイが過去を語った口ぶりと重なる。


「なんとおっしゃったんです?」


「つまり、本当にないのは『生きるための目標』であっているか? と。」


人によれば、あまりに不躾な物言いであったであろう。

わたしも文字を追うようにその会話を聞かされれば憤りさえ感じたかもしれない。

貧困に苦しむ者に対して、あまりに大上段からの問いであった。それでも、その問いを投げられた本人はいっそ愉快であるとでも言うように語っている。


「私が答えられずに項垂れておりますと、ジゼル様に首根っこを掴まれて屋敷に連れ帰られたのです。」


それからジゼルは領内の盗賊の討伐や国境のいざこざ、騎士として剣を振るう場面にアーデルを連れまわした。


「気づけば数年が経ち、その武勲を認められヴェスタリア王家から騎士号を叙勲するにいたりました。」

「素晴らしい働きをなさったんですね。」


素直に賞賛を送ったつもりであったが、アーデルは謙遜とは違う形でそれを否定した。


「ですが結局のところ、いまだ私は『生きる目標』とやらは見つけられずにおります。」

「それは……。」


彼を擁護しようとして、口をつぐんだ。

わたしにはわからない。きっとアーデルとジゼルの間にある言葉を介さない約束があるのだろうと感じたためである。


「だからそれが見つかるまで、私は戦いに臨む時には『弱い方の味方をする』ただこれだけを守って生きております。」


決意ともとれる言葉は、リングにあがって打ちのめされている少年を見据えながら発せられていた。


「……大丈夫ですか? アーデル殿。」


その眼光の奥にある思いを慮って問いを投げる。

そんな男にとって、この場所はあまりに酷なのではないかと思ったからだ。


「大丈夫ですよ。暴れればそれで解決するなどとは思っていません。騎士には騎士の戦いがあります。」


その拳が固く握られていることにようやく気付いた。

あまりに強く握りこんでいるせいか、指先は白く変色している。


「これはこれは、リディア様! お初にお目にかかります。わたくし、この商会を取り仕切っているロザンヌと申します。」


ぶくぶくと太った醜悪な親玉が声をかけてきたのは、会話が途切れた時であった。


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