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17 潜入前夜

「ごめんなさい。待たせましたか?」

「いえ、なんのことはございません。リディア様はお加減は問題ありませんか?」


夜の屋敷の前に立つ傭兵隊長グレイに声をかけると、恐縮した様子で返答が返ってきた。

フルプレートアーマーで体を覆っているが、ヘルムだけは手に持っている。自分の仕える家の令嬢とはいえ、礼を尽くしているのだろうか。


「今日はわたしとリディア様だけで店を訪ねるのですか?」

「オルセラ伯爵家付のアーデル殿が一足先にいって店の様子を見ているはずです。あまり待たせるわけにもいきませんからいきましょうか。」


グレイが短く「承知しました」と答え、私たちは並んで夜の王都を歩いた。

ジゼルが売春窟の潜入にあたることになったため、男性のアーデルを引き連れていくのは具合が悪く、コゼットとアーデルのポジションを交換することで対応することになったのだ。


戦力的な不安(主に私)があったため、パラケルスに仕える傭兵隊長のグレイを連れて3人で向かうようコゼットが手配していた。


「ご不安になる気持ちも分かりますが、ご安心ください。わたくしめが命を懸けても貴方をお守りいたします。

とはいえ、アーデル殿がいらっしゃるなら戦いでの心配などないと思いますがね。」


顔を沈ませて緊張の面持ちであったのか、自分では分からなかったがグレイは私に励ましの言葉を投げた。


「ありがとう、その……私は覚えがないのだけれど、アーデル殿は有名な方なのですか?」

「えぇ、男の騎士というだけで珍しいですが、まぁ、おらんわけではありません。

ただ、オルセラに拾われたアーデルと言えば、王国内のほとんどの者がその名を知っているでしょう。」


グレイの口ぶりからかなりの有名人であるということらしい。

というか、騎士号を持つことにも驚いた。


「そういえば、グレイは騎士の1:100の法則というのが何か知っていますか?」


夕方の会議で出た言葉について問う。

あの場では話の腰を折らぬように控えたままであったが、この世界の常識であるなら知っておきたかった。


「軍学の用兵思想の一つですな。一人前の騎士一人あたりが戦場でどのような働きをするかという目安です。

騎士に対して歩兵が当たれば1対1を100回繰り返しても騎士が勝つが、1対100なら歩兵が勝つ、という考え方です。」


ふむ、これもやはり『魔法』の存在が私の感覚とこの世界を大きく隔てているのは間違いなさそうだ。

この3年間である程度の基礎は教わっているが、実用的なレベルではいまだほとんど使えていない。

そのため、いまいち魔法がどのくらい有用なものであるかの実感は湧かないのだが、それほどに影響があるのであればそれが政治や社会体制に影響を与えているのも理解はできるが……。


「それは、たとえば銃を持った相手に対してもそうなのですか? 数人の銃を担いだ兵士に囲まれたら剣ではどうにもならないように思うのですが。」


「マスケットのことですかね? それであれば、10人が束になっても騎士には勝てないと断言できます。

なにより、火薬は高価ですから戦場でバカスカ撃てません。弾込めの作業に時間を要しますし、照準も不安定ですから、費用対効果が非常に低いのです。

とはいえ、弓やクロスボウでどうにかなるかと言えばそれも否ですな。十分に熟達した騎士であれば、その程度の数の矢は叩き落としますから。」


「なるほど……。」


想像よりも魔法による強化幅は広いようである。


私はこの世界で目が覚めてから社会構造を理解するために、前世のどの程度の時代に相当するか考えては行き詰っていたが、これが理由であると判断した。

質は悪い様であるが鉄製の製品が出回っているし貨幣も流通しているのに、いまだ社会構造は貴族が力を持つ封建制をとっている。

市場の規模から比べると大商人・職業ギルドの力が不自然なほど抑えられているのだ。


これはつまり、武力が属人化しているために軍事力が金で買えないというのが社会構造の変革へのボトルネックになっているのだろう。


であれば、逆に気になるのは……。


「100人いれば兵士が勝てるというのは?」

「はい。つまり、平地で騎士に対して白兵と飛び道具を組織的に運用した場合の対応限界を示す閾値です。四方八方を完全に囲めば流石に落とせる、と。

これに関しては、戦術単位でのおおよその数字ですので、熟練した傭兵部隊であれば20人で対応できる場合もあれば、騎士の上澄みは200人でも打ち取れないと言われておりますね。」


逆に騎士を組織的に運用すれば、それこそ手が付けられないということになるのだろうが、これを聞いて一つ不安が蘇ったので聞いておくことにした。


「あのグレイ……。地下組織は100人程度の傭兵を囲っているということですが、大丈夫なのですか?」


限定された空間で組織化された傭兵に囲まれるというのは、かなり危ないように思うのだが、グレイは軽く笑って答えた。


「アーデル殿がおりますから、その程度は物の数にもならんでしょうな。私も微力ながら助力いたしますので、大丈夫ですよ。」

「そ、そうですか。」


胸をなでおろして軽く息を吐いた。

今までの話を総合すれば、アーデルという人物がなぜそこまで有名であるのかも納得であった。つまり、騎士の上澄み中の上澄みなのだ。

そんな人が何故あの面倒臭そうなジゼルに付き従っているのか少し興味が湧いたが、タイミングがあれば聞いてみたいものだ。


「ありがとう。グレイ。勉強になりました。」

「……。」


私の礼を受け取ると、グレイは少し驚いたような顔を見せた後に寂しそうに目を細めた。


「どうかしましたか?」


その姿が妙に気になり、声をかけるとグレイはバツが悪そうにしてからカラカラと笑って答えた。


「いえ、ただ貴方はやはり随分変わられたのだなと思い感傷に浸っていたのです。年は取りたくないものですな。」

「そんなに違いますか?」


あまりも良く言われるので、過去のリディア・パラケルスがどのような人物であったのか気になった。

今までは目先のことに意識をとられていたが、少し余裕ができはじめた証拠であろうか。


「まぁ、わたしが良く知る貴方はロメリアに旅立つ前の貴方でありますから、成長なされたと言われればそれまでなのでしょうが。」


昔を懐かしむ姿に興味を惹かれる。


「あなたにとっては、どのような人物でしたか?」


曖昧な問いを投げてみた。

この人に自由に話してもらいたかったからであるが、返ってきたのは意外な言葉であった。


「そうですね、とにかく『凄い』お方でした。」

「? 凄い?」


何が? と聞くよりも先にグレイは思い出話をするように語った。


「えぇ、えぇ。本当にとにかく凄いお方だった。鮮烈であったと言ってよい。

神童という言葉では片づけられぬ天稟の持ち主であり、悪ガキという言葉では片づけられぬほどの大うつけでありました。」


「はあ?」


私の気の抜けた返答は届いているのかいないのか、グレイは愉快でたまらないとばかりに続ける。


「あなたが4つになるかならないかの時などは本当に領民全員がパラケルスの将来に頭を抱えておりましたよ。

なにせ、ヴェスタリア王家の使者として領の視察にきた侯爵に、態度が気に入らぬなどと言って畑の肥料を投げつけたのですから。」

「ひ、肥料って……。」

「えぇ、家畜の糞尿でございます。」


Oh……。


「カタリナ様は本当にご苦労なされておいででした。ほうぼうに頭を下げて回って、なんとか貴方を真っ当な貴族にしようと教育なされているというのに、

当のご本人は馬を強奪しては勝手に農村に出向いて土いじりをする方でありましたから。」


「土いじりですか?」


「えぇ、農業の経験などないでしょうに、この野菜を育てているのは何故か?と何度もしつこく問うたと思えば、

これを試しみるから鍬を貸せなどと言って、どこからか買ってきた苗を畑の一角に勝手に植えてみたり、

あげくに領民が必死で止めているというのに、ご自分の口に土を突っ込んで味を確かめるのだなどとおっしゃって腹を下して死にかけるようなお方でした。」


……確かに、悪ガキの度合いは遥かに越している。というか、もうそれは大うつけとかではなく野生児なのでは?

そんな子供が次の領主だと言われれば領民はさぞ頭が痛かったであろうと心中を察した。


「気に障れば舌ったらずな罵声が飛び出し、機嫌が悪ければ短い腕を振り回して領民をポコポコと殴ったものです。本当に懐かしい。」


私としては、「よく見限られなかったな」の一言であるが……。


「ですが、領民はみな貴方の成長を我が子のように見守っておりました。

ロメリアでのご活躍の報が届くたびに良い知らせ悪い知らせに関わらず、みなで大笑いしたものです。」


「……。」


正直に言えば、その感覚は私には理解しがたいものであった。

そもそも、現代日本の感覚からすると領主と領民の関係というのものを測りかねているところがあるのだが、あまりに楽しそうに語る壮年の男性を見れば、確かにそこに絆を感じるのだ。


「もろもろ片付いてパラケルスに戻ったら、農村にも顔を出してみようかしら。」


この身がどんな人物であったか、代わりになるとは思わないが、それを知りたいと感じるようになったのである。

私の言葉を聞くとグレイは心底嬉しそうに笑い「えぇ、是非そうしてください。私もお供しますよ。」と答えた。


少しばかり先の予定が埋まった頃合いに、待ち合わせをしていた騎士・アーデルの姿が夜道でも捉えられた。

気を引き締め、自分がなすべきことに集中しようと両の頬を叩いたのであった。


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