⒋心ばかりのトマトころころ
「リアナ、よく聴きなさい」
顔に触れていた毛が取れて、目を開けると視界に緑が飛び込む。
微かな風が吹き、リアナの髪を優しく撫でる。
日差しを受けた草地の上に、一人の女性が腰を下ろしていた。彼女の長い髪は風に揺れ、銀糸のように煌めく。目の前の少女をじっと見つめる目は、リアナではないどこか遠くを写しているようにも感じられる。手を綺麗に重ねて静止しているその姿は、一つの絵を現実に溶け込ませたようだった。
それが、風の上位精霊シルヴェリーヌの人間の姿だ。
「リアナ、貴女は、人間なのですよ」
ヴェリーは丁寧に、言葉を綴った。
「でも!」
「そろそろこの生活も潮時ということなのです」
「潮時、ですか」
声が裏返った。
確かにそうかもしれない。ずっとこのままでは、一人の人間として良くないのかもしれない。でも、辛いものは辛いのだ。
「リアナの成長を見たいというのが、育て親としての感想です」
「はぁ」
「故に、リアナが一歩踏み出すだけで、親孝行になるのです。可愛い子には旅をさせよとも言いますし」
結局いつもの流れになった。
その"いつも"のヴェリーが、リアナの心を落ち着かせる。
「では、今から一歩踏み出して、散歩します」
「それは踏み留まっていると思われます」
即座にヴェリーの反論が入った。
リアナはヴェリーを追い越して、防音結界の外に出る。そして、鬱蒼とした森へと向かう獣道を歩く。
その間に、リアナは小さな決意をした。
数歩で立ち止まり、顔だけで振り向いて、ヴェリーの目をしっかりと見据える。
「お別れの挨拶は、大事です」
作った笑顔は、目が不自然になってしまった。
栽培していた青果たち。人参、カブ、白菜、トマト、ズッキーニ、イチジク、蜜柑……。まだまだ伸びてもらう予定だったのに、もう当分は収穫できない。魔物の子供もよく一緒に採っていたことを思い出すと、目頭が熱くなる。
リアナは、青果の中で大きく実っているものを、スライムさんに渡した物より大きな台車に積んでいった。
ヴェリーは初めの方こそ不思議そうに眺めていたが、リアナの一心不乱な様子を見習って、手伝いを始めた。
その作業に時間を割く訳にはいかないので、手際よく終わらせる。
リアナは台車をゴロゴロ押して、森に入る。ヴェリーは一歩後ろから付いてきた。リアナの頭や肩や腕に、今まで仲良くしてきてくれた小動物達が乗ってくる。今までは、くすぐったさも当たり前だと思っていた。
「ごめんなさい」
リアナは、小さく謝ってクルミを分けてあげることしかできない。
リスや鳥が来るたびに、クルミを食べ終わるまで黙って見つめて、また歩き出す、ということを繰り返す。
足元の岩石に角張った物が目立つようになってくると、その辺りからは魔物の居住地域だ。この森では、種族ごとに群れが形成されているものの、縄張り争いはそこまで酷くない。暗黙の了解で、縄張りの外に出ないように配慮しているからだ。それでも衝突はよく起こるが、大惨事になる前に解決する。各々が尊厳を保つために距離を取っている状況だ。
道の傍らで水飲みをしている大型獣を横目に、リアナは静かに歩みを進めた。目指しているところがどこなのかは、きっとヴェリーも分かっているはずだ。リアナは後ろを振り向かず、自分の行先を向いて、歩いた。
***
ガチャン。
大きな音を立てて、扉が閉まった。
リアナの反応は、肯定か否定か。恐らく否定だなぁ、とルシアは思った。
自分にしては丹精を込めて説明したつもりなのだが、やはり駄目だったか。
そりゃあそうだわな。
ルシアはリアナの気持ちが理解できないでもない。自分に利益のないものを率先してする奴なんて、いたら虫唾が走る。そんなの、周りや自分自身に言い訳しているだけで、実際は何らかの利益があるだけだ。言い訳は、どんな悪事よりも大嫌いだ。
だから、どうか人間は利己的であっていてくれ、とルシアは切に願っている。
ルシアだって、今回人探しに翻弄していた理由は、七星騎団の座を退きたくなかったからだ。勿論、魔術の才能もあるが、それよりも情報屋としての才能を重宝されているルシアは、こういう役目を押し付けられがちなのだ。
決して、もっと多くの人々を助けたい、という紳士的な理由ではない。
だから、リアナの反応は予想範囲内だったし、その反応によってルシアがリアナへの希望を見失うなんてこともない。
(アイツが帰ってきたら、魔術戦でも仕掛けてみようかぁ?)
むしろ、未知な存在に心が躍っていた。そして、探し求めていたものを見つけた今は、失敗したときのことは考えないようにすることにした。
(アイツが家に入ろうとした瞬間、風を巻き起こして……ククッ)
ちょっかいを掛けるのが好きなルシアは、相手が風の上位精霊を従えていることも知らず、妄想に胸を馳せる。
しかし、次第に瞼が重くなってきた。
ルシアは体勢を崩して床に転げ落ちる。ドンッと盛大に音を立てながら、彼は言った。
「ビュービュー……オマエ、腹の足しになんねぇよぉ」
どうやら、使い魔を追いかけ回す夢を見ているようだ。
ルシアの夢の中で必死に逃げている小鳥は、現実世界では、リアナと女性の跡をこっそり付けていた。小鳥はずっと疑問に思っている。リアナの後ろを歩く女性は、一体誰なんだろう、と。
使い魔のキツネを見かけないのも不思議だ。
リアナは自分達に、隠していることがある。
小鳥はそう、確信している。
でも、自分にはそれをご主人様に伝える術がない。鳴くことしかできない。
自分が小鳥に生まれたことが、つくづく残念だった。どうせなら人間が良かった。
人間は楽しそうだ。頭の中に浮かんだ物は長い指を使って再現し、それを長い足を使って遠くまで運んで、無駄なく発達した口で人に伝えることができる。ちっぽけな自分よりも何百倍も大きな脳では、小鳥が感じられない複雑なことも考えられるのだろう。
(ピッピ、ピヨヨヨロロ……)
直訳すると。
(なんで、神様は不平等なんだろ……)
小鳥は、その種族の中では抜きん出て頭が良いという自信がある。だからこそ、羨ましがるということを知ってしまった。
同じ小鳥に生まれたとしても、普通の小鳥に生まれたかった。
そうしたら、楽になれそうだからだ。
リアナはトマトを収穫していた。小鳥はトマトを食べたことがない。赤いところなら食べても大丈夫なそうだが、ご主人様が面倒臭がるので食べさせて貰えない。第一、トマトは汁が飛び出て美味しくなさそうだ。
リアナは野菜と果物を山盛りに乗せた台車を押した。たくさんの食べ物を一気に持って行けるなんて、羨ましい。
周りに、リスとハムスターと、そして小鳥が、寄っている。
リアナの出すクルミを狙っているようだ。
その精神も羨ましい。あの動物は、毒殺される可能性を顧みないのだろうか。自分だったら不安で、知らない人が差し出した物は、それがどんなに好物だったとしても食べられない。
自分もあんなふうに、自由にやりたいと思った。
だから、小鳥は計算した。
他の動物がごく普通についばんでいるから、毒は含まれていないはずだ、と。
小鳥は普通の鳥を装って、リアナの方へ羽ばたいた。幸運なことにリアナは普通にクルミをくれた。小鳥は嘴にそれを付けてみる。いつもとは違う、香ばしい味がする。新鮮なクルミは美味しいのだな、としみじみ感じた。
そして、他の鳥と同じように木の枝に止まって見せて、リアナが小さく微笑むのを見ると、すっかり安心してしまった。こういうふうに、時々"普通"を演じたくなるのだ。
そして、安らかな気持ちで、小鳥は眠りについた。
(ピッピ、ピッピィ!)
(やめて、食べないで!)
ご主人様に包丁を振り回される夢を見た。
***
苔むした二枚の岩の隙間から、一筋の清水がこんこんと湧き出ていた。細い透き通った糸はは石の隙間で勢いよく流れを作り、一帯の気温を下げる。動物の鳴き声は沢の流音に掻き消され、一つの音楽として、静まり返っている。
そこに、湿った苔を踏み締める音が響く。車輪の回る音が、地面に沁み込んだ。
小さな生き物は、隣の相棒に囁く。
「これで、到着です」
小さな生き物の相棒は、頷いた。
その様子を息を潜めて観察していた翡翠色の生き物の集合体は、一斉に飛び出す。
ザザザ——。
草花が共鳴する。
小さな二つの生き物は目を丸くした。
『リアナ! リアナ!』
集合体の鳴き声は甲高い。この森の外の者なら、キーキーという声にしか聞こえないだろう。しかし、彼らにも意思がある。この世界の生物は全て、心を持っている。
「スライムさん!」
小さな生物は荷物を置いて駆け寄る。
「あのですね、私……」
小さな生物は一瞬息を止めた。
「旅に出るそうです」
小さな生物が口を開く前に、相棒が言う。
『えぇっ?』
『リアナ、いなくなっちゃうの?』
『悲しいね!』
集合体はざわめく。
集合体の長らしき個体が、前に歩み出た。
『冒険をするとは素晴らしい決断であろう。咎めることではあるまい。さぁ、皆で祝おうぞ』
キングの音頭で、集合体は散らばり、小さな生物を取り囲んだ。そして、各々の感覚で踊る。声を揃える。
始まりは終わり、終わりは始まり
朝露は消え、また夜明けに集う
芽吹きは緑を広げ
緑はやがて紅に染まり
紅は散り、白き雪に包まれ
雪は溶け、再び命を呼ぶ
流るる雲は形を変え
海は満ち、そして退き
風は種を運び、種は大地を破る
我らの道は、我らの道
其方の道は、其方の道
それぞれが新しき泰明を築くのだろう
我の使命を果たすため
堂々と終わろうぞ、終わろうぞ
(さぁ、吾輩の出番だぞ)
水源の奥に身を潜めていたそれは、悠々と背伸びをした。
少しの動きで、地鳴りがする。
生物の動きが、止まる。
それは、地の割れ目から姿を現す。
地上の風が、光が、心地良い。
何年ぶりの感覚だろうか。十年、百年、もしくは一千年。
解放感。
それは己の全ての力を込めて咆哮する。
小さな生物が、それの声を聞き取って、応えた。
「努力します……。ごめんなさい」
それは再び雄叫びを上げて、地に潜った。
『リアナ……』
スライムさんが小さく声を漏らす。
「本当に、ごめんなさい」
リアナは何度目か分からない謝罪の言葉を述べる。
リアナの前で、三匹のスライムがちょこんと立った。
『プレゼントが、あるんだ!』
『お別れするって聞いたから、探して来た』
『気に入ってくれたらいいな』
甲高く鳴いた三匹のスライムは、後ろに回していた手を同時に出す。
(うわぁ……っ!)
群青色よりももっと深い色の、雫の形の宝石。光の当たり具合によって色が違って見える。月明かりが照らした穏やかな海の雫だ。海を見たことがなくても、これが海の色だと分かる。曲面の境目からは淡黄色の光の粒が瞬く。暗い暗い青は、満天の夜空をも閉じ込めていた。
「綺麗だ」
「何故、三つなのですか?」
肝心なところをツッコんできた。
『素敵なのが三つあったから』
『一番とか決められないよ』
『リアナが二個で、ヴェリーが一個だからね?』
スライム三匹が必死に言い訳を捲し立てる。
「私が二個だと思うのですが」
リアナはスライム三匹にどう感謝しようかと迷っていたのだが、確実にヴェリーは間違っている。それは分かる。
「大事にしますね。私からも、台車に色々と積んで来ました。えっと、こ、ころころ?」
「心ばかりの品ですが、ですよ、リアナ」
「忘れてしまいました」
人間らしくしたいと思って、折角ヴェリーに聞いたのに。リアナは頭を抱えた。
『心って、素敵だね』
『ころころだぁ』
『心、コロコロ。トマトもコロコロ!』
取り敢えず楽しんで貰えたようだ。
スライム達はやがて、トマトを積み上げる遊びを始めた。
『一個、二個、三個、四、あっ!』
崩れ落ちた。
翡翠色の上半身が、朱色に染まる。
群れ全体で、鈴を転がしたような笑いが起こる。
「そろそろ行きましょうか」
「はい」
リアナは、まだ笑いの止まらないスライム達に手を振った。
魔物を疎む不条理な世界を変えて見せる、と心に誓いながら。
私の作品がどのくらいの出来なのか知りたいです。宣伝とか言う思惑は全くなくて、皆さんのありのままの感想を聞きたいです。星、1でも5でも何でも良いので、出来れば付けて下さいませんか?コメントも、気になるところがあったら何でもお願いします。私は鋼メンタルなので、毒舌で批評して頂いても結構です。
その結果を見て、書き方を見直そうと思うので、どうぞご協力お願い致します。