⒊強く、赤黒い感情
先に言っておきます。今回、私の中では結構ドロドロしてます。許して下さい。
パンがもうすぐ焼き上がる、という段になって、ヴェリーが気まずい沈黙を破った。
「キツネに化けます。三、二、一、ポン!」
効果音が入った。
目の前で優美な姿勢で佇んでいた契約精霊が、リアナに初めて、人間ではない姿を見せた。
それは、白ギツネだった。フサフサの毛を靡かせ、銀のくりっとした目でリアナを見つめて、そして、ミィと鳴いた。
「……か、可愛い、です」
つい、本音が出た。
「一時的にこの姿になります。もし誰かに何かを言われたら、使い魔のヴェリーだと説明しなさい」
「喋んないままが好きでした……」
リアナは分かりやすく落胆した。
丁度、パンが焼けた。
リアナはパンを潰れないように優しく掴んで、バケットに入れる。パン作りと同時進行で淹れていたコーヒーと一緒に食卓に置いて、椅子に座った。
窓から差し込む黄金色の光が、パンとコーヒーの香りを淡く照らす。
ふうっ、とリアナは感嘆の吐息を漏らす。
そのときだ。
ギィッ——。
「あっ」
扉が開く音がして、思わず小さく声を上げた。穏やかな気持ちをどこかに放り投げ、振り向く。小鳥を肩に乗せた雄が立っていた。途端に、ヴェリーのつい先ほどの忠告を思い出す。
(ヴェリーは大丈夫なのでしょうか?)
リアナは台所にいるはずのヴェリーを探した。白い毛一本、見当たらない。
(上手く隠れているということでしょう)
リアナはそう納得して、再び扉に向き直り、立ち上がる。
雄は、黒が基調で金の刺繍の入った服を着ている。リアナよりも頭一つ分、上背がある。肩に乗っている小鳥は、心なしか縮こまっているようにも感じられる。雄の厳しい顔つきと、小鳥の間抜けな顔が見事に対照的だ。
「よぉ、住人」
雄は口角を思い切り上げた。中身が空っぽな笑い方が、精霊然としている。
精霊はどこかの誰かさんを除くと基本的に優しいので、リアナは雄に優しく笑い掛ける。
「初めまして、もしかして精霊さんですか?」
(あれ、この台詞に既視感が……? まぁ、気のせいですよね)
何故だかな、雄が、自身の震える右手を左手で懸命に押さえた。
「だ、大丈夫、ですかぁ?」
リアナは、入り組んだ森で道に迷ってしまい、挙げ句の果てには怪我をしてしまったのでしょう、と合点した。
「出口まで案内しましょうか」
「……っ! ふざけんじゃねぇぞ、テメェ!」
急に怒り出した。
リアナは理解が追いつかずオロオロする。魔物や精霊たちにも性格は十人十色だが、この手のタイプは初めてだ。
「オレは、人間だっ!」
「…………へ?」
「何回言ったら分かるんだ、馬鹿野郎! オレは、精霊なんかなんかじゃねぇ、人間だぁぁ!」
拳を握りながら声を轟かせた雄、ではなく男は、大きく深呼吸をして、額の青筋を消した。
「リアナ・カリスティア、十六歳、誕生日は八月十三日! 貴様に用がある」
リアナが言われた内容を理解するのにたっぷり十秒かかった。
「……私、カリスティアって言うんですね」
脳味噌を絞ってかろうじて出てきた感想が、これだった。
「良いからさっさと入れろ」
「はい。あ、パンが焼きたてです。食べます?」
「今はいらねぇ……」
彼は口をつぐんで、暫し考え込んだ。
「……やっぱ、いる」
リアナは思わず、ふふっと笑ってしまった。
コーヒーは淹れる時間が惜しいと言われたので、そのまま座った。男が座ったのは、ヴェリーのための椅子だ。
リアナは、パンが入ったバケットを男の方に差し出す。
すると、旅に疲れていたのか、彼はものすごい勢いで鹿肉パンに取り掛かった。男の岩のような拳よりも若干大きいパンを、二口である。一つ目が片付くと、その手で二つ目を掴む。勢いは、最後の一個を平らげるまで止まらなかった。
リアナとヴェリーが三時間かけて作ったパン達が、僅か三分で平らげられてしまった。
(凄いです。人間という種族は、食べるのが速いのですね)
それが誤った知識だとは、微塵も感じなかった。
「美味かったぜ」
男がニヤッと笑った。この笑い方が彼流なのかも知れません、とリアナは口角を若干持ち上げて応えた。
「嬉しいです」
「んじゃ、本題を聞け」
「はい、男の人間さん、何でしょう」
リアナは背筋を伸ばして、自分なりにキリリとした顔を作る。
これくらいのことなら、人間の習性を理解している。
「……オレは「七星騎団」の〈微風〉ルシア・レンハイト。ルシア様と呼べ」
「るしあさま」
「しっかり拝聴しろ」
さっきまで眩しかった日の光が、空を流れる雲と重なり、世界が少し暗くなった。
ろえるぅか? ぱぁてぃ? しちせい、きだん?
リアナの頭の中は、スクランブルエッグ状態になった。
「ごめんなさい、もう一度全部説明して下さい」
ルシアから長々と話を受けたリアナは、言われた通りに"拝聴"しようと試みたものの、知らない単語が多くて想像が出来なくなっていた。
ルシアは"ロエルーカ王国"の最高峰"パーティ"、"七星騎団"の一人だと言う。七星騎団は伝統的なパーティで、なんと三百年の歴史を持っているのだとか。パーティ名から分かる通り、七人の少数精鋭部隊だから、何らかの理由で一人が抜けたら、一人の替えを作る。その中でも今の代は優秀で、代替わりが発生しなかった長さで歴代最長の素晴らしいメンバーだった。
だが、一ヶ月くらい前に、メンバーの〈氷像〉セラフィーネ・グレイスが事故で記憶障害を起こしてしまった。本人は、『あら! みんなのことはしっかり覚えているわ! でも、魔物の知識を思い出せないのよぉ!』と弁明していたらしい。それが致命的なのは明白なので、辞めて貰うことになった、と。
セラフィーネは、二つ名〈氷像〉が言い得て妙な人だった。氷属性で、相手を氷漬けにする戦闘が十八番だ。しかし、その戦い方はちょっと風変わり。彼女は魔物を感知したらバレリーナのようにクルクルと回り、あたかも演出をしているように、吹雪をちらつかせるのだ。目を奪われて吹雪が体に当たるともう終わり。たちまち氷漬けにされて、セラフィーネの美しい氷像となる……。
という意味でも、セラフィーネの魔物の性質に関する膨大な知識は必要不可欠だった、らしい。
そのせいで一番困ったのはルシア自身だ。早急に新メンバーを選出しなければならないのに、アテもない。噂を聞きつけた人が、我こそはと次々に名乗り出たが、セラフィーネと肩を並べられる力量の者はいなかった。
来る日も来る日も魔術師探しの旅を続け、空腹に身悶えしながら、ルシアは思った。
——あの〈神の娘〉がいたらなぁ。
底なしの魔力があれば、七星騎団の確実な戦力になるのに。ルシアは奥歯で舌を強く噛んだ。適任者は彼女しかいなかったのではなかろうか、とさえも思えてきた。
そして、そう考えついてしまうと、執着心がどこまでも纏わりついて、離れなくなる。
ある日、遂にルシアは閃いた。
——では〈神の娘〉の子はどうだ? 魔術の才能はあるはずだし、あわよくば底なしの魔術量を持ち合わせてくれていたり?
ルシアの頭の中に、一筋の希望の光が見出された。
それからというもの、ルシアは伝説の少女リアナ探しだけに専念した。村と村を飛び回り、金の漏出も厭わなかった。
また闇雲に手探りして憤っていたときに、この小屋を見つけたのである。
「一回で理解しろ馬鹿。貴様はまず常識人になれ」
「えぇっ? 私、この森の人間の中で一番まともですよ?」
「当ったり前だろ、人間は一人しかいないんだからな」
「うぅ」
リアナは項垂れる。自分はどうやら、自己欺瞞をしていたらしい。
「で、パーティについてどう思うか?」
「なんか、勝手に噂して私の人生捻じ曲げるのやめてほしいです……、って感じでしょうか」
ルシアの話は、リアナにはどこか非現実的な空想上の出来事のように感じられたのだ。
それを信じたくないとも思っていた。混乱した頭を自分ではどうしようもなく、自分を狂わせた元凶であるルシアを、快く思える訳がない。
リアナは森で一生過ごしていくつもりだったのだ。魔物達と仲良く採集に行き、狩りに行き、調理法はヴェリーに教わり、たまには自分でアレンジを加えて……。それだけで、十二分に幸せだった。
なのに。七星騎団? 話を聞いていると、なんだか魔物達は敵だという言い回しをしているではないか。
(私が、魔物と戦う? 冗談であって欲しいです)
リアナはものすごく憤っていた。
自分が人間という種族に生まれたことに。
「だ、か、ら! 七星騎団に入ると言え」
正直入りたくないですと言うのをぎりぎりで堪える。
堪えたせいで、リアナの中のルシアに対する評価は最低になった。
多くの魔物達が十ポイント、ヴェリーが六ポイントだとしたら、ルシアは一ポイントだ。
「森を散歩して良いですか?」
「は?」
リアナは五本の指を立てて見せる。
「う〜ん、五時間ですかね」
「遅いっつぅの! 日が暮れるじゃんかよ」
ルシアは机を掌で叩いた。この上なく痛そうだ。
この人、なんでこんなに短気なんでしょうか、とリアナは冷めた目で思った。
「別に悪くないと思いますけど」
リアナは一刻も早く独りになりたかった。そして、ルシアを手持ち無沙汰にさせて、困らせたかった。
リアナは今、ヴェリーを揶揄うのとは違う、もっと赤黒いドロドロとした感情に支配されている。初めて感じる、強い気持ち。
だから、立ち上がって扉を開けた。ヴェリーがピョンと台所から飛び出て、足元にくっつく。今は、ヴェリーがとても愛らしく見える。
ルシアも諦めた。
大きな溜め息をして、リアナの背中に掠れた声をぶつける。
「一つ聞きたい」
「何ですか?」
リアナはルシアを一瞥する。
「さっきからずっと気になっていたが、そのキツネは……」
足首にモフモフの毛が触れる。恐らく、あの台詞を言って下さい、の合図だろう。
「えっと、何でしたっけ。そうだ、ツカイマです」
リアナは気が付かなかった。使い魔だと聞いてもまだ不服そうな顔をしているルシアの視線に。
見ようともしなかったからだ。
ガチャン。
「……リアナ、激怒モードです」
ヴェリーの言葉で、腹が立たなかった。自分たちの日常の会話は、なんてささやかだったんだろう。
「防音結界を起動します」
二人、ではなく一人と一匹を包み込む緑色の膜、魔法陣が生まれる。
「どうして」
「発狂なさい」
今日のヴェリーは優しすぎる。
リアナは太く長く息を吸った。
「う、わぁぁあっ、アッアッヒッヒッィヒッヒィ」
息継ぎをしようと声を止めた刹那、リアナの目から二粒の雫が零れ落ちる。
「イヤだぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁあぐっ」
濡れた毛がリアナの顔を押さえつけた。リアナは反射的に目を閉じる。そしてそれは、ぐりぐりリアナの頬に押し付けられる。
その体はほんのりと温かい。
リアナは叫ぶのをやめて、短い呼吸を繰り返した。少しずつ、呼吸は長くなっていく。
「リアナ、よく聴きなさい」
今のところダークファンタジーになる予定はないので、安心して下さい。
月木に投稿するとか言っておいて水曜に投稿しました。本当に私って気まぐれですね。そんな私のために、ブクマ登録しておくことをオススメします(宣伝)。