9 鉄の猟犬
カイは疾走していた。
背後で轟く爆音と、建物を震わせる地響きが、追手の接近を告げている。HUDには複数の敵性反応を示す赤いマーカーが明滅し、警告音が絶え間なく鳴り響いていた。
『……包囲網を形成。ターゲットをセクターFの廃棄処理区画へ追い込め』
傍受した敵の通信が、冷酷な事実を突きつける。
彼らは無秩序にカイを追っているのではない。下層区の地理を完全に把握し、組織的な連携でカイを狩ろうとしていた。その統率された動きは、以前戦ったあの男や、調停者とも違う、特殊な部隊であることを示唆していた。まるで、獲物を追い詰める猟犬の群れだ。
《戦術提案:現在位置より南西の地下水路へ潜伏。追跡を回避できる可能性…》
「いや、駄目だ」
カイはHUDの提案を却下する。
「隠れてもいずれ見つかる。俺はもう、逃げるだけじゃない」
カイの脳裏には、エリアナの顔と、「沈黙の聖域」という言葉が焼き付いていた。守るべき遺産ある。たどり着くべき場所がある。彼の思考は、もはや単なる生存本能では動いていなかった。
目的地はセクターガンマ。
カイは追跡を回避するのではなく、セクターガンマへのルートを確保しながら突破する道を選んだ。
彼は機体を反転させ、あえて敵の包囲網が手薄な、しかし構造が入り組んだ居住区画へと突っ込んだ。
迷路のような路地を、レクス7の機動性を最大限に活かして駆け抜ける。壁を蹴り、スラスターを短く噴射させて屋根から屋根へと跳躍する。
追手の猟犬たちは、巨体故にカイの動きに完全には追従できない。
「対象が居住区に侵入! 一般市民への被害は考慮するな、撃て!」
非情な命令と共に、背後から無数の銃弾が降り注ぐ。
建物の壁が蜂の巣になり、カイのすぐそばで爆発が起こる。その衝撃で機体が体勢を崩し、古い商業施設の屋根を突き破って階下へと落下した。
《警告! 脚部に被弾。歩行システムに支障あり》
「クソッ……!」
瓦礫の中から身を起こしたカイの目の前に、一体の猟犬が立ちはだかっていた。
黒光りする、一切の無駄を削ぎ落とした量産型のカスタムギア。そのモノアイが、カイを冷たく見据えている。
「ターゲット捕捉。これより機体を無力化、対象パイロットを確保する」
相手がライフルを構える。絶体絶命。
だが、カイは諦めていなかった。ここは古い商業施設の中。天井は脆く、床には無数の瓦礫が散らばっている。
カイは残ったスラスターを全開にし、敵に突進するのではなく、真上の天井目掛けて跳躍した。
頭上の巨大な通気ダクトにワイヤーアンカーを突き刺し、ぶら下がる。
「何!?」
敵が驚き、銃口を上へ向けた瞬間、カイはアンカーを切り離し、ダクトの固定ボルト目掛けて銃撃した。
数発の銃弾が、錆びついたボルトを破壊する。
数トンはあろうかという巨大な金属の塊が、猟犬の頭上へと落下していく。
回避する間もなく、猟犬はダクトの下敷きになり、けたたましい破壊音を立てて沈黙した。
カイは爆風と粉塵の中を駆け抜け、施設の裏手へと脱出する。
しかし、息をつく間もなかった。
施設の出口には、すでに別の三体の猟犬が待ち構えていたのだ。
包囲網は、確実に狭まっている。
カイは損傷した脚部を引きずりながら、次の活路を求めて、再び下層区の闇の中へと身を投じた。