38 禁忌の花
「まさか……この機体、やはり、あの時の……!」
リアの顔から、血の気が引いていた。
彼女はハッと我に返ると、コクピットに乗り込み、カイの肩を掴んで激しく揺さぶる。その手は、かすかに震えていた。
「カイ! 意識はあるか! しっかりしろ!」
カイは、鼻から流れる生温かい血の感触で、かろうじて意識を保っていた。
朦朧とする視界の中で、血相を変えたリアの顔が、ゆっくりと焦点を結ぶ。
「……リア……? いま、なにが……」
「お前が言ったんだ! 『アマリリス』と!」
リアの切迫した声に、カイは脳裏に焼き付いた幻覚を思い出す。
「……ああ……。白い部屋に、花が……赤い、花が……。あれは、なんだ……?」
リアは、カイが無事であることを確認すると、まるで呪いから逃れるかのように彼から手を離した。
「……禁忌だ」
彼女は、カイにではなく、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「あたしが上層区にいた頃、耳にしたことがある……。人間の精神と機械のコアを強制的に融合
させる、非人道的な研究。その被検体は、例外なく発狂するか、廃人になった……。その禁忌の研究のコードネームが、確か……『アマリリス』だった」
カイは、息を呑んだ。 リアが上層区の出身であることは、すでに知っていた。だが、そのリアが「禁忌」と呼び、廃人を出すとまで言い切った研究――。 それがあの幻覚の正体であり、エリアナが自分自身に託したものが、まさにその禁忌の産物だったという事実に、カイは戦慄していた。
リアは工房のメインコンソールへと駆け戻ると、レクス7の動力炉のデータをモニターに表示させた。 その波形は、もはや休眠状態ではない。カイとの接触をきっかけに、心臓は完全に目を覚まし、危険な領域で、不規則なエネルギーパルスを放ち続けている。まるで、悪夢にうなされる獣の心音のように。
「クソっ……完全に叩き起こしやがった。もう、お前がやったような力ずくの接続は不可能だ。次にやれば、お前の精神は確実にあの獣に引き裂かれるぞ」
リアは、苦々しく結論を告げた。
「……どうするんだ」
カイが、かすれた声で尋ねた。
「もう、こいつは動かせないのか」
「動かすさ。……これだけの逸品を、ここで諦める選択肢は、あたしにはない」
リアの目は、再びメカニックの目に戻っていた。
「力ずくで主だと認めさせるのが無理なら、別の方法で躾けるまでだ。……犬の躾と、同じだな」
彼女は、工房の奥にある、解析用のサーバーラックを指差した。
「ここからが、あたしの仕事だ。あの化け物の記憶……お前がさっき浴びた、情報の奔流。あれをサルベージし、解析する。奴が何を見て、何に怯え、何を拒絶しているのか。奴の『過去』を完全に解剖し、弱点を丸裸にする」
リアは、一枚のデータパッドをカイのベッドに放り投げた。
そこには、レクス7の、信じられないほど複雑なエネルギー循環システムの模式図が表示されていた。
「そして、こっちが、お前の仕事だ」
「これは……」
「あたしが解析作業に集中している間、お前はレクス7の物理的な再生作業を進めろ。まずは、この動力パイプの再構築からだ。……あたしが描いた設計図通りに、寸分違わずな」
それは、カイが今までやってきた、どの分解・組立作業よりも、遥かに高度で精密な作業だった。
「いいか、カイ。これは、ただの修理じゃない。お前が、この獣の身体の隅々までを、その手で理解するための作業だ。奴の血管の一本一本、神経の末端まで、全てを把握しろ」
リアは、工房の中央で不気味な唸りを上げるレクス7を一瞥し、そしてカイを見据えた。
「あたしが奴の『魂』を。お前が奴の『肉体』を。……二人で、この化け物を完全に解剖し、手なずける」




