37 魂の奔流
カイは、再びレクス7のコックピットに座っていた。
だが、その雰囲気は、以前とは全く違っていた。
工房の中央に固定された機体には、リアのコンソールから伸びる、おびただしい数のケーブルが接続されている。コクピットの内部も改造され、パイロットの脳波と生体反応を監視するための、無数のセンサーが追加されていた。
これから行われるのは、訓練ではない。危険な「実験」だ。
『いいか、カイ』
通信機から、リアの、いつになく真剣な声が響く。彼女は工房のメインコンソールで、カイのバイタルと、レクス7の動力炉の状態を監視していた。
『これからお前の意識を、奴の心臓に直接繋ぐ。奴は獣だ。怯えれば喰われる。力でねじ伏せようとすれば、暴れだす。お前はただ、シミュレーターで学んだように、冷静に、そこに『在る』ことだけを意識しろ。お前が『主』だと、静かに示すんだ。……少しでも異常を検知したら、あたしが強制的に接続を断つ』
「……分かってる」
『死ぬなよ、カイ』
その言葉を最後に、リアはコンソールのキーを叩いた。
強烈な目眩と共に、カイの意識は現実の世界から引き剥がされる。
それは、シミュレーターのように、視界が別の風景に切り替わるのとは全く違った。
まるで、冷たく、どこまでも深い、情報の海へと突き落とされたような感覚。
音も、光も、匂いもない。ただ、自分という「意識」だけが、無限の闇の中を漂っている。
そして、その闇の底に、カイは「それ」を感じた。
巨大で、古く、そして、深い眠りについている、何か。
レクス7の、魂。
カイは、リアに教えられた通り、冷静に、ただ自分自身の存在を意識し続けた。
すると、眠っていた「何か」が、カイの存在に気づいたかのように、ゆっくりと動き出す。
直後、カイの意識に、凄まじい情報の奔流が叩きつけられた。
―――無数の戦闘。爆発。悲鳴。
―――旧時代の兵器として生まれ、忘れ去られた数十年の孤独。
―――知らないパイロットの、怒り、恐怖、そして絶望。
―――そして、廃工場で、新たな主を待ち続けた、十数年の沈黙。
それは、この機体が「兵器」として生まれてから、カイと出会うまでの、全ての記憶の断片だった。
カイは、その奔流に飲み込まれそうになる意識を、必死に保つ。
(俺が、主だ……! 俺がお前を、使いこなす……!)
カイが、強く、自分の意志を主張した、その瞬間。
眠っていた獣が、完全に目を覚ました。
カイの意識に、明確な「拒絶」の意志が、暴力的なまでの力で襲いかかってくる。
―――誰だ。お前は。ここから、出ていけ。
情報の嵐が、カイの思考を塗り潰していく。
リアが警告した、最悪の事態が頭をよぎる。
――精神汚染。
『クソっ! カイ、応答しろ! 脳波が危険領域だ!』
遠くで、リアの叫び声が聞こえる。
だが、カイの意識は、もう獣の魂に飲み込まれかけていた。
視界が、ノイズの白で染まっていく。
――その、真っ白な世界の中。
カイは、一つの光景を見た。
清潔な、白い研究室。
そして、その中央に、一輪だけ、静かに咲いている、深紅のアマリリスの花。
次の瞬間、全ての感覚が、断ち切られた。
ハッと我に返ると、カイはコックピットのシートの上で、荒い呼吸を繰り返していた。
鼻から、生温かい液体が流れている。鼻血だった。
コックピットのハッチが開き、血相を変えたリアが、カイの顔を覗き込んでいた。
「カイ! 意識はあるか! しっかりしろ!」
カイは、リアの問いに答えることができなかった。
ただ、かすかに震える唇から、言葉にならない声が漏れる。
「……あ……まり……りす……」
その言葉を聞いた瞬間、リアの血相が変わった。カイを心配する顔から、信じられないもの、忌まわしいものを聞いてしまったかのような、驚愕と恐怖の表情へと。
「……アマリリス、だと……?」
リアの声が、かすかに震える。
「まさか……この機体、やはり、あの時の……!」
彼女の脳裏に、上層区時代に聞いた、あの禁忌の研究の噂が蘇る。
カイは、リアのそんな葛藤も知らず、ただ彼の脳裏に焼き付いた、真っ白な世界に咲く一輪のアマリリスの光景だけを、幻覚のように見続けていた。