29 星へ飛ぶ棺桶
カイの足は、まるで甲板に縫い付けられたかのように、その場で動きを止めた。
遥か彼方に見える、崖の上の入り口。
HUDに表示された、無慈悲な『05%』という数字。
そして、ヘルメットの中で鳴り響く、か細く、しかし死を宣告するには十分すぎるほどの、生命維持装置の警告音。
――間に合わない。
脳が弾き出した冷徹な事実が、カイの心を絶望で満たしていく。
ここで終わりか。エリアナの謎も、レクス7の復活も、全てが。
だが、その時だった。
諦めかけたカイのスカベンジャーとしての目が、無意識のうちに、周囲にある「利用できるもの」を探していた。
そして、彼の視線は、甲板の端に並ぶ、いくつかの奇妙なハッチに釘付けになった。
それは、通常の昇降口ではない。円形で、頑丈なロックボルトで固定された、一人用のカプセルのようなハッチ。カイは、闇市場で見た古い兵器の設計図の断片から、それが何であるかを思い出した。
――緊急脱出ポッド。
カイの心に、狂気にも似た、最後の希望が灯った。
彼は凍り付いた足を無理やり動かし、一番近くのポッドへと駆け寄った。
制御盤は、当然のように沈黙している。船全体の動力が死んでいる今、ここだけが無事なはずがない。
FILTER INTEGRITY: 04%
カイは制御盤のカバーを無理やり引きはがし、内部の配線を剥き出しにする。
緊急用の手動電源ポート。これに、外部から強力なエネルギーを直接流し込めば、発射シークエンスだけは起動できるかもしれない。
だが、そのエネルギー源は、どこにある?
カイは一瞬、自分の防護服のバッテリーに目をやった。だが、それを外せば、フィルターだけでなく、全ての生命維持機能が即座に停止する。
残された選択肢は、一つだけだった。
カイは、腰に下げていたパルスガンから、最後のエネルギーパックを引き抜いた。これを失えば、彼は完全に丸腰になる。だが、武器なく生き延びる可能性と、ここで確実に死ぬ可能性を天秤にかけるまでもなかった。
FILTER INTEGRITY: 03%
カイはエネルギーパックの端子を、電源ポートに押し付けた。
火花が散り、彼の指が焼ける。
一瞬の明滅の後、制御盤のランプが、弱々しい緑の光を灯した。
――動いた!
カイは手動でハッチのロックをこじ開け、合金の塊を中に放り込むと、自らもその狭い「棺桶」の中へと滑り込んだ。
内部は、千年分の埃と、カビの匂いがした。
彼は、目の前にある、赤く巨大な「射出」と書かれたボタンを、祈るように見つめた。
FILTER INTEGRITY: 02%
呼吸が、苦しくなってきた。視界が、かすかに狭まる。
カイは、震える手で、射出ボタンを叩きつけた。
――沈黙。
何も起こらない。ダメだったのか。
カイの意識が遠のきかけた、その時。
ゴゴゴゴゴ……!
船全体を揺るがすような、重い金属の駆動音が響き渡る。
次の瞬間、凄まじい衝撃がカイの全身を襲った。
FILTER FAILURE
HUDに最後の警告が表示されるのと、ポッドが轟音と共に射出されるのは、ほぼ同時だった。
カイの身体はシートに叩きつけられ、強烈なGで意識がブラックアウトしていく。
彼の最後の視界の片隅で、急速に遠ざかっていく旧時代の軍艦と、その甲板で瞬く、防衛システムの赤い光が映っていた。
鉄の棺桶は、セクターCの病的な黄色の空を切り裂き、ただ、一直線に飛んでいく。
その軌跡が、工房へと続く一条の光か、それとも奈落へと向かう最後の旅路か。
意識を失ったカイに、もはやそれを知る術はなかった。