26 魔女の執刀
立ち尽くすカイのヘルメットの中で、無機質な放射線警告音が鳴り響いている。
目の前の心臓は、暴走という死に向かって、その鼓動を早めていた。合金を切り取るなど、自殺行為に等しい。だが、ここで手ぶらで帰れば、リアとの契約は破棄され、カイは再び追われるだけの孤独な犬に戻る。
どちらも地獄。ならば、選ぶ道は一つだけだ。
(……クソっ、やるしかねえのかよ!)
カイは覚悟を決め、通信機のスイッチを入れた。船体の分厚い装甲と、動力炉が発する強烈なノイズのせいで、通信は酷い雑音混じりだった。
「……リア! 聞こえるか! 問題が……発生した……!」
ノイズの向こうから、途切れ途切れにリアの声が聞こえる。
『……なんだ、犬。……騒々しいぞ。さっさとブツを……回収して……戻ってこい』
「それが無理だと言ってる! お目当ての合金は、動力炉の制御フレームそのものだ! しかも、この心臓、今にも爆発しそうだ!」
カイは防護服のカメラを起動し、目の前の光景をリアの工房へと転送した。
数秒の沈黙。通信機の向こうで、リアが息を呑む気配がした。
そして、それまでの苛立ちは消え、彼女の声は、科学者特有の、マニアックな興奮に震えていた。
『……嘘だろ……これは……自己完結型の量子炉だと? しかも……メルトダウン寸前の……! おい犬! カメラをもっと近づけろ! スキャナーの生データをこっちに回せ! 今すぐだ!』
カイは言われるがままに、リアに詳細なデータを送る。
通信の向こうで、リアが猛烈な勢いでコンソールを叩いている音が聞こえる。まるで、高難易度のパズルに挑む子供のような、純粋な狂気があった。
数分後、リアが結論を告げた。
リアの声が、ノイズの合間を縫って、カイの鼓膜を叩いた。
『……分かった。この心臓、エネルギーのフィードバックループに陥ってる。だが、一瞬だけ、安定させる方法が一つだけある』
「……方法?」
『……ああ。下層区の連中が言うところの、魔女の奇跡ってやつを見せてやる。くだらんがな。お前はあたしの手になれ、犬』
リアの口から、矢継ぎ早に指示が飛ぶ。ノイズで途切れがちな言葉を、カイは必死に聞き取った。
『炉の右側面にある、第三補助冷却パイプのバルブを開け。次に、炉心に繋がるメインエネルギー伝達ケーブルを、お前のパルスガンで焼き切る。……タイミングは同時だ』
「なんだって!? そんなことをすれば……」
『あたしの計算じゃ、炉心は緊急停止シーケンスに移行し、約90秒間だけ、安定状態に入る。その間に、お前はフレームの一部を切り取るんだ。……もっとも、計算が0.1%でも狂えば、お前はセクターCごと、光になるがな』
それは、カイが今まで聞いたどんな作戦よりも、狂っていた。
だが、カイはもう、リアの計算を信じるしかなかった。彼は、リアの指示通りに、震える手でバルブに手をかけ、もう片方の手でパルスガンをケーブルに構えた。
『……3、2、1……今だ!』
ノイズを突き破るような、リアの鋭い号令と共に、カイはバルブを捻り、同時にパルスガンの引き金を引いた。
轟音と共にケーブルが焼き切れる。直後、それまで青白く明滅していた動力炉の光が、一度、不気味なほどの静寂と共に完全に消え――次の瞬間、全てを白く染め上げる、安定した輝きを放ち始めた。
耳障りだった放射線警告音が、嘘のように静かになる。
『……ビンゴだ! 安定状態に入ったぞ! ガキ、今だ! 90秒しか保たん! 急げ!』
リアの叫びが響く。
カイは背中から小型のプラズマカッターを取り出し、そのスイッチを入れた。
ジジジ、と蒼い炎を噴き出す刃を、目の前の「共振性チタン合金」でできたフレームに押し当てる。
HUDの片隅で、無情なカウントダウンタイマーが、【90.00】から時を刻み始めていた。