22 毒の海と鉄の墓場
リアの工房での新たな日常が始まって、数日が過ぎた。
カイの生活は、依然として犬としての労働に明け暮れていたが、その内容は以前とは少しだけ違っていた。リアは、レクス7の膨大な解析データと睨めっこしながら、時折カイに専門的な質問を投げかけたり、高度な工具のメンテナンスを命じたりするようになったのだ。
それは、カイを試しているようでもあり、無意識のうちに弟子として扱っているようでもあった。
そして、作戦の準備が整った日、リアはカイを呼びつけた。
「行くぞ、犬。最初の買い物の時間だ」
リアがカイに投げ渡したのは、分厚く、継ぎ目のない暗灰色の防護服だった。
「セクターCは、ただの廃棄物処理場じゃない。上層区の連中が、認可されていない化学薬品や、失敗した生物実験の残骸を、何十年も垂れ流し続けた『毒の沼』だ。そのスーツがなければ、お前の肺は五分で溶ける」
さらに、リアは掌サイズの、無骨なスキャナーを渡した。
「あたしが作った『共振スキャナー』だ。お目当ての合金は、特殊な周波数の振動を常に発している。それに反応する。使い方は分かるな」
カイは黙って頷き、重い防護服を身につけた。リアから受け取った地図データを頭に叩き込み、彼は一人、工房の裏口からセクターCへと向かった。
溶接横丁を抜け、いくつかの区画を通り過ぎるにつれて、下層区の空気が明らかに変わっていく。鼻を突く化学的な悪臭。地面を濡らす雨は、粘り気を帯びた油のようだった。
セクターCの境界には、巨大な防護壁がそびえ、管理ギルドの武装した警備員が唯一のゲートを固めている。正面から入れるわけがなかった。
カイはスカベンジャーとしての本領を発揮し、壁を迂回する。やがて、壁の下部を流れる、巨大な排水管の放出口を見つけ出した。中はヘドロと有毒ガスに満ちているが、ここを抜けるしかない。
カイは防護服のフィルターを最大にし、躊躇なくその闇へと身を投じた。
どれほどの時間が経ったか。
排水管を抜け、彼がたどり着いた場所は、高台になった崖の上だった。
そして、その眼下に広がる光景に、カイは言葉を失った。
地平線の彼方まで続く、巨大なクレーター。
その底には、どす黒く、虹色に輝く液体の湖が広がり、そこから突き出すように、原型を留めないほどに錆びつき、溶けかけた巨大な機械や建物の残骸が、無数に林立している。
空は、絶えず立ち上る有毒な蒸気によって、病的な黄色に染まっていた。時折、湖の中から巨大な何かの影が動き、不気味な泡が浮かび上がる。
ここが、セクターC廃棄物処理場。
下層区の住人たちが、本当の地獄と恐れる場所。
カイは胸元から、リアに渡された共振スキャナーを取り出した。
スイッチを入れる。だが、モニターに表示されたのは、無反応を示すフラットなラインだけだった。
彼が探す「共振性チタン合金」は、この広大な毒の海の、どこか深くに眠っている。
「……なるほどな」
カイは、ヘルメットの中で自嘲気味に呟いた。
「幸運を祈る、か」
その言葉の意味を、彼は今、身をもって理解した。
カイは崖の斜面に足をかけ、眼下に広がる鉄の墓場へと、一歩を踏み出した。