19 標的の代価
木槌の音の残響が消えぬ中、カイは一身に突き刺さる視線を、ただ黙って受け止めていた。それは、獲物に向けられる、捕食者たちの粘つくような視線だった。
『この大馬鹿犬! あんた自分が何をしたか分かってるのか!? あの情報を開示したことで、あたしたちは上層区の全部隊と、この会場にいる全てのハイエナを敵に回したんだ!』
耳元の通信機から、リアの怒声が叩きつけられる。だが、その声は怒りと同時に、次の手を思考する冷静さも保っていた。
オークショニアがカイに近づき、事務的な声で告げる。
「運び屋殿、おめでとうございます。商品は、奥の交換室にてお渡しいたします。どうぞこちらへ」
武装したエクスチェンジの警備兵に促され、カイはステージの裏手へと歩き出す。会場の全ての目が、彼の背中を追っていた。
交換室は、銀行の金庫室のような、冷たく無機質な部屋だった。カイはリアの遠隔指示に従い、座標データが入ったクリスタルを、認証システムにセットする。
「……データ照合、完了。取引成立です」
担当者が言うと、壁の一部がスライドし、シールドケースに収められた「量子カスケード変調器」が現れた。
「当方の保証は、この建物の出口まで。……ご武運を」
カイはケースをしっかりと抱え、部屋を後にする。
『犬、正面出口から出るな』
リアの声が響く。
『赤蛇会の連中が、確実に入り口を固めている。裏のサービス用搬出口から出ろ。座標を送る』
リアの指示に従い、カイはオペラハウスの華やかな表舞台とは似ても似つかない、薄暗く埃っぽい裏方の通路を進む。遠くで、オークションを終えた客たちの騒がしい声が聞こえる。その誰もが、今頃は出口で自分を待ち構えているのだろう。
カイは息を殺し、リアが示した搬出口のドアに手をかけた。
ドアを押し開けると、そこは酸性雨に濡れた、ネオンの光だけが届く薄暗い裏路地だった。
一瞬、誰もいないように見えた。
だが、その安堵はすぐに打ち砕かれる。
路地の両端から、ぬらり、と複数の人影が現れた。その胸には、赤い蛇のエンブレム。赤蛇会の連中だ。
「よぉ、ガキ。随分と派手な買い物をしたじゃねえか」
ゆっくりと姿を現したのは、オークション会場にいた、あのボスだった。その顔には、侮辱された怒りと、獲物を追い詰めた愉悦が浮かんでいる。
「そのお宝、俺たちが丁重に預かってやる。……もちろん、お前の命と引き換えにな」
チンピラたちが、下品な笑みを浮かべながら、ゆっくりとカイとの距離を詰めてくる。カイは背中を壁につけ、ケースを守るように抱えながら、パルスガンを抜いた。
絶体絶命。この狭い路地で、逃げ場はなかった。
『……予定変更だ、犬!』
その時、リアの切迫した声が、通信機から響いた。
『上を見ろ!』
カイが咄嗟に顔を上げる。
ビルの谷間の、雨が降りしきる夜空を切り裂いて、一つの影が猛スピードで降下してくるのが見えた。
それは、あの奈落の底で見た、リアの操る鳥の骨格のような偵察ドローンだった。
ドローンは、まるで猛禽類が獲物を狩るように、一直線にこの裏路地へと向かってくる。
赤蛇会の連中も異変に気づき、空を見上げた。
「なんだ、ありゃあ!?」
カイにも、リアが何をしようとしているのか、全く予測がつかなかった。
ただ、ドローンが自分たちの頭上、数メートルの位置で静止し、その機体下部から、一本のワイヤーが射出されるのが見えた。