18 最後の切り札
オークショニアが高らかに開始を告げると、会場の熱気が一気に膨れ上がった。
「さあ、まずは小手調べ! 希少金属100トンから!」
矢継ぎ早に、下層区の有力者たちから声が上がる。武器の密輸ルート、ギャングの縄張り、非合法なドラッグの製造レシピ。欲望にまみれた「資産」が、ステージ上の小さなパーツに注ぎ込まれていく。
『まだだ、犬。泳がせておけ。こいつらはただの前座だ』
リアの冷静な声が、カイの焦りを抑えつける。
やがて、小者たちが脱落していくと、戦いはリアが警戒していた二者に絞られた。攻撃的なコールで場を支配しようとする「赤蛇会」のボスと、一切の表情を見せず、的確な価値の資産だけを提示する「仮面のディーラー」。
「『エクスチェンジ』の管理する、セクターDの水の利権の半分!」
赤蛇会のボスが、周囲を威圧するように叫ぶ。会場がどよめいた。それは、並の組織では到底太刀打ちできない、巨大な資産だ。
だが、仮面のディーラーは動じない。彼の代理人が、静かに一枚のデータカードを掲げた。
「上層区の警備ドローンの、最新ステルス化技術の設計データ」
再び、会場が静まり返る。暴力で支配する赤蛇会に対し、仮面のディーラーは「技術」という、より高次元の資産で対抗していた。
『……よし、犬。やれ。クリスタル一つ』
リアの命令を受け、カイは初めて声を上げた。
「超高純度データクリスタルを、一つ」
カイのか細い声は、しかし、会場の隅々まで響き渡った。全ての視線が、後方の席に座る名も知れないガキへと突き刺さる。リアが言った通り、このクリスタルの価値を知る者にとって、それは他のどんな資産よりも雄弁だった。
赤蛇会のボスの顔が、侮辱されたように怒りで赤く染まる。
「ガキが……舐めた真似を! 水の利権全てだ! それに、うちの兵隊100人をお前の組織の護衛に一年間つけてやる!」
『乗るな、犬。奴はムキになってるだけだ。仮面のディーラーを待て』
リアの言う通り、仮面のディーラーが再び札を上げた。
「ステルス化技術に加え、それを無効化するジャミング技術のデータも」
その一言で、赤蛇会のボスは顔面蒼白になり、自らの席に深く沈んだ。技術の応酬では、もはや勝ち目がない。
戦いは、カイと仮面のディーラーの一騎打ちとなった。
「クリスタル、二つ目」
「最新鋭バトルギア用の、模擬戦闘データ一万時間分」
「クリスタル、三つ全てだ!」
カイが最後の資産を投入した。これで、リアから託された軍資金は尽きた。
会場が息を呑む。三つのデータクリスタル。それは、このオークションの歴史でも滅多に出ない、破格の価値だ。
だが――。
「……面白い。では、こちらはこの『資産』を」
仮面のディーラーの代理人が、最後の一枚を掲げた。
「『プロジェクト・アマリリス』に関する、未公開の初期研究データ」
カイの心臓が、凍りついた。
なぜ、その名前を知っている。なぜ、それがこんな場所に出てくる。
『……これまでだ、犬』
リアの声が、絶望的に響いた。
『降りろ。そいつは、あたしたちが払える価値を超えている』
カイの手が、汗で濡れる。ここで降りれば、全てが終わる。レクス7も、エリアナの謎も、全てが。
だが、カイの脳裏に、別の光景が浮かんでいた。奈落の底で見た、黒いカスタムギアの残骸。あのハイエナたちが嗅ぎつけた「お宝」。リアですら、その価値を正確には知らないはずの情報。
カイは、リアの命令を、初めて無視した。
「……待った」
カイは立ち上がり、全ての視線を集めながら、静かに、だがはっきりと告げた。
「その入札、受けよう。こちらの追加資産は――情報だ。……セクターFの崩落現場の底に眠る、軍の新型カスタムギア、一個小隊分の、手付かずの残骸の正確な座標」
シン、と会場が水を打ったように静まり返った。
耳元の通信機からは『このバカ犬! 何てことを!』というリアの絶叫が聞こえる。
仮面のディーラーが、初めてカイの方をゆっくりと向いた。仮面の奥で、その目がわずかに見開かれたのが分かった。
オークショニアが、震える声で尋ねる。
「……仮面のディーラー様、これ以上の入札は?」
長い、長い沈黙。
やがて、仮面のディーラーは、ほとんど見えないほど、わずかに首を横に振った。
ガァンッ!
オークショニアの持つ木槌が、高らかに鳴り響いた。
「落札ッ! 量子カスケード変調器は、後方の運び屋殿に!!」
木槌の音が響き渡った後、会場を支配したのは、祝福の拍手ではなく、獲物を見つけた獣たちの、重く、粘つくような沈黙だった。あちこちから、値踏みするような囁き声が聞こえ始める。
その声の残響の中、カイは、会場にいる全ての人間が放つ、欲望と嫉妬と殺意に満ちた視線を、ただ一人で受け止めていた。