12 リアの目
重いブラストドアが閉まり、カイは下層区の喧騒から完全に切り離された。工房の中は、機械の駆動音と、リアという女が放つ圧倒的な存在感だけが満たしていた。
「突っ立ってるな。そこの隅にでも座ってろ」
リアはカイに顎をしゃくり、自分は巨大なコンソールへと向かう。カイは壁際の工具箱に、崩れ落ちるように腰を下ろした。全身の傷が、休むことを許されたとたん、一斉に痛みを主張し始める。
「おい」
リアが何かを放り投げた。カイが咄嗟に受け止めると、それは軍用の医療キットだった。
「死なれると寝覚めが悪い。それに、壊れた犬は使い物にならんからな。さっさと手当てしろ」
言葉は刺々しいが、それはカイにとって数年ぶりに受ける、他者からの明確な手当てだった。カイは黙ってキットを開け、傷口に痛みを堪えながらバイオスプレーを噴射した。
その間、リアはコンソールのシートに深く腰掛け、ヘッドセットのようなものを装着していた。彼女が指先で数回スクリーンに触れると、工房の天井の一部が開き、鳥の骨格のように細く、無数のレンズを持つ小型ドローンが音もなく上昇していく。
「さてと……お前の言う逸品とやらを、拝ませてもらうか」
リアの呟きと共に、工房のメインモニターに、ドローンの視点映像が映し出された。
ドローンは工房の隠しハッチから抜け出し、溶接横丁の闇を抜け、カイが来た道を驚くべき速度と正確さで遡っていく。リアの指が、まるでピアノを奏でるようにコンソールの上を舞い、ドローンは複雑な地下通路を障害物を巧みにかわしながら突き進んでいく。その操縦技術は、カイが今まで見た誰よりも卓越していた。
やがて、モニターの景色は見覚えのある地下空洞へと変わった。
ドローンはまず、散乱する黒いカスタムギアの残骸を、様々な角度からスキャンしていく。
「……ほう。軍の新型で編成された小隊を相手にしたのか。無茶苦茶やりやがる」
リアが初めて、感心したような、呆れたような声を漏らした。
そして、ドローンのカメラが、空洞の中央で無様に横たわるレクス7の姿を捉える。
「見た目はただの鉄屑だな。さて、中身は……」
リアはドローンから多重スペクトルスキャナーを起動させた。モニターに、レクス7の内部構造を示す青白いワイヤーフレームが浮かび上がる。損傷箇所が赤く点滅し、機体の惨状を映し出す。
リアは、最初は退屈そうにデータを眺めていた。だが、スキャンが動力炉周辺に及んだ瞬間、彼女の表情が一変した。
「……なんだ、これは」
リアはコンソールに身を乗り出し、食い入るように画面を見つめる。彼女はパネルを素早く操作し、モニターに表示された動力炉のデータを極限まで拡大させた。
「エネルギーの痕跡反応……通常の融合炉じゃない。位相が…安定しすぎている。まるで、停止しているのに動き続けているような……。馬鹿な、理論上だけの存在のはずだ。このフレームに使われている合金も、データにない。なんだ、この機体は……一体、誰が……?」
リアの口から、驚愕と、歓喜とも取れる言葉が次々と漏れ出す。
それは、宝を発見した探検家のような、純粋な探究者の顔だった。
しばらくして、ドローンは静かに帰還した。
リアはヘッドセットを外し、長い沈黙の後、ゆっくりとカイの方へ振り返る。
その目には、もはやカイを侮蔑する色はなかった。代わりに、未知の獲物を前にした狩人のような、ギラギラとした獰猛な光が宿っていた。
「おい、ガキ」
リアの声は、先ほどまでとは違う熱を帯びていた。
「取引は成立だ。あたしの全てを懸けて、その鉄屑を蘇らせてやる」
彼女は、壁に掛かった汚れたタオルをカイに投げつけた。
「だが、約束は約束だ。まずはお前から対価を払ってもらう。……そこの分解されたギアアームを、向こうの棚まで運べ。それが終わったら、床のオイル掃除だ。朝日が昇るまで、休むなよ」
カイは黙ってタオルを拾い、立ち上がった。
絶望の淵で見つけた、唯一の蜘蛛の糸。その先で待つのが地獄か、それとも……。
カイの、新たな檻での生活が、静かに始まった。