観測誤差
研究所の防犯カメラには、深夜2時47分の映像が記録されていない。
その日の実験データを確認していた私は、モニターの異常に気付いた。粒子の観測値が示す軌跡が、まるで意思を持つように規則正しい模様を描いていく。
「不可能です」と彼女は言った。新任の研究員は、髪を後ろで纏めながら画面を覗き込んでいた。「でも、美しいですね」
確かにそうだった。ランダムなはずの量子の軌跡が、まるでバレリーナのように優雅に舞っている。物理法則に従えば、こんな現象は起こりえない。
「これ、私の卒論のテーマに似ているんです」
彼女はそう言って、自身のタブレットを取り出した。画面には、私には理解できない数式が並んでいた。
「理論上は...」
その言葉は、突然の停電で遮られた。非常灯が点くまでのほんの数秒、私は漆黒の闇の中で、微かな歌声のようなものを聞いた気がした。
復旧後、彼女の姿も、彼女のタブレットも消えていた。実験データも、すべて通常の値に戻っていた。
後日、人事部に確認したが、そんな研究員は存在しないという。ただ、防犯カメラの2時47分の欠損だけは、システムログに残っていた。
今でも深夜の実験室で、時々データの波形が微かに震える。それは、まるで誰かが口ずさむ歌のように。