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小さい女神に何を願うか3

                  3


 水曜日の朝、僕はいつものトンネルに行く。いつものような重い足取りではなく、しっかりした足取りでだ。昨日は学校をサボった。学校を休むことを母に告げた時、「学校なんて行きたくないなら行かなくていい。中退して働くか?」といかにも元ヤンキーらしいことを言っていた。

 僕を見るなりリューイチは

「どうして昨日休んだ? お前まで不登校になったかと思ったぞ。それにまた着信もラインも無視しやがって」

 と凄んで来たが、それを無視して僕は力強く言った。

「言いたいことがある」

「あ?」

 リューイチの顔が険しくなるが無視して続ける。

「俺にはいま”願い事を叶えてくれる女神”がついている。神がいるということは天国や地獄という死後の世界も存在するということだ。そして、残念ながらお前たち2人は地獄行きだそうだ」

 リューイチは呆気に取られたようにぽかんとしていたが、そのぽかんとしていた口の両口角がゆっくりと上がっていき、

「ははははは!」

 と大声でわざとらしく笑い始めた。

「おいおい、どうするキョーイチ? こいつ、ついにおかしくなったぞ! やり過ぎたか? それとも、変な宗教にがっつりハマったか?」

 そう言ってひとしきりわざとらしく笑った次の瞬間、

「ふざけるな!」

 と恐ろしい顔になって僕の胸倉を両手で掴み、背中を欄干に押し付けた。もの凄い力だ。いままでで一番強い力かもしれない。

「だったらその願いを叶えてくれる女神とやらにいまこの状況を助けてくれるように頼んでみろ!」

 まあ、こういう反応になるよな。僕が口を開きかけたその時、

「いや、リューイチ。ちょっと待て」

 とキョーイチが真顔で口を挟んできた。

「なんだよ?」

 僕を睨みつけながらリューイチは訊く。

「最近、確かにこいつからおかしな感じがすることがあるんだよ」

 霊感があるキョーイチは真顔で言った。

「なんだ? お前こんな話を信じるのか?」

 リューイチがキョーイチの方を向いて言う。

「いや、そういうわけじゃないけど……でもここ最近のこいつは変だ。左手に傷痕ができたかと思ったらそれと同時に亜由美の左手の傷痕が消えていたり、右手を深く切ったはずなのにすぐ治ったり、他にも上手く言えないけど……とにかくなんだか変な感じがすることがあるんだ」

 キョーイチが僕の前でこんなに真剣な顔で話をするのは初めてだ。

「それらは全て俺が女神に願ったことだ! 図書カードだって女神に願っている。考えてみろ、いくらなんでもあんなに頻繁に貰えると思うか?」

 キョーイチが、まだ恐ろしい顔で僕の胸倉を掴んで離さないリューイチの肩を無言で、それでいてしっかりと叩いた。リューイチはまったく納得できていないようだったが、とりあえず手を離した。キョーイチに助けられるとは思わなかったな。

 僕は一呼吸置いてから

「クラスのみんなの前で話したいことがある。学校へ行こう」

 と学校へ向かって歩き始めた。「おい!」というリューイチの声がするが僕は有無を言わせない足取りで学校に向かった。考えてみたら僕が2人を学校へ急かすのは初めてのことだな。

 2年生の昇降口に着くとカバ子さんが壁にもたれかかって渋い顔で腕組みをしていた。ちゃんと約束通り待ってくれていたようだ。

「おはようございます。お願いします」

 と僕は頭を下げた。カバ子さんは渋い顔のまま、「ああ……」とうなずいた。「なんだお前?」とリューイチがカバ子さんに訊いたが、カバ子さんは無言でついてくる。キョーリューは不可解な顔をしながらもそれ以上カバ子さんを追及することはしなかった。今日のカバ子さんからはいつもとはまた違った異様な緊張感が漂っている。そしてそのまま4人で教室に入った。

 林さんの姿はない。ほっとした。こちらもちゃんと約束を守ってくれたか。

 クラスの皆はカバ子さんもいることに「なんだ?」という顔をしている。アカの顔つきが少し青くなった。が、そんなことはどうでもいい。僕は教壇に立った。僕が口を開けるその前にキョーイチが大声で言った。

「おい! 全員、静かにしろ! 信矢くんからお話があるそうだ! 何を言うのか、しっかり聞いてやれ!」

 クラス全員の「なんだ?」という視線が僕に集まる。リューイチはふてくされた顔でだが、黙って僕を見ていた。僕は隣にいるカバ子さんをチラリと見た。カバ子さんは軽く頷く。

 僕は大きく息を吸って、しっかりとした声で言った。

「俺にはいま願い事を叶えてくれる女神がいる。神がいるということは天国や地獄という死後の世界も存在するということだ。そして残念ながらみんなは地獄行きだそうだ」

 先程のリューイチと同じように、みんな呆気に取られてぽかんと口を開けている。そしてやはり先程のリューイチと同じように両口角がゆっくりと上がってきた。いまだな、と、僕は口を大きく開けて、はっきりとした声で言った。

「女神、今日の願い事だ。()()()()姿()()()()()()()!」

 次の瞬間、皆の視線が僕の右上辺りにいっせいに移動した。

 女神は言った。

「おめでとうございます。あなた()は幸運な人()です。私は願い事を叶える女神です。まずは私の存在を信じて下さい。全てはそれからです。私の存在を信じてくれた者の願いをひとつだけ叶えるのです」

 皆が唖然と口を開けている。さきほど僕の言ったことに対して呆気に取られている口の開け方とはまったく違う。

 まったく、どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう? やっぱり頭が悪いんだな僕は。


 一昨日の夜。

「そう言えばお前、『自分の姿が俺以外の他の人に見えるようにはできない』とかそういう制限はなかったよな?」

 僕がそう訊くと、女神は片手で顔を覆って天を見上げた。

「あちゃあ……そこに気がついたか。いちばん気づかれたくないことに気づかれてしまった……」

 いや、というか、どうしてこんな簡単なことにいままで気がつかなかったんだ? 考え付かなかったんだ? こいつの存在を皆に知らしめてやればいいんだ。そして地獄というものが実際にあって、このままでは地獄行きだと信じさせれば彼らの悪行も、もちろんいじめもなくなるんじゃないのか。

 そして、だ。

「お前は最初『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と言ったはずだ。それは相手が誰であっても、お前が現れて、お前を信じた者の願いは叶えるということじゃないのか? そして多人数からの願い事であってもお前に願い事ができる、違うか?」

「頭の悪い君ならそのあたりのことは気がつかないと思ったのになあ……いちばん気がつかれたくないことだったのに……」

 女神は嘆いている。僕は続ける。

「お前は、『僕は人を選んでその人の前にだけ現れる。真面目な人の前にだけしか現れない』とは言った。でもそれはあくまでもお前の()()()()()()()であって別に真面目じゃない人間の前にも、いや、どんな人の前にも現れることは可能なんじゃないのか? 実際、『真面目ではない人間の前には現れることはできないし願い事も叶えることはできない』なんて(たぐい)の制限はない」

「あーあ……全部気づかれた……」

 女神はそうため息を吐く。

 僕が自分で勝手に、女神は自分以外にはどうあっても見えない、現れない、願いも叶えない、と思い込んでた。アニメや漫画なんかではそういうパターンが多い。女神の『君の前にだけ現れた』とかいう言葉にすっかり誘導されてしまっていた。こいつは、『他の人の前に現れることができない』なんて一言も言っていないのだ。

 そうか。だんだんはっきりわかってきたぞ。

「お前を、願い事を叶える女神を他人の前に現すということは『他人を救うこと、助けることはできない』という制限に引っかかるか? いや、ならないだろう。俺はただお前を皆の前に現してやるだけなんだ。何より願い事の制限が多くて救いや助けになるとは限らないからな。実際、俺だっていじめから救ってほしいといういちばんの願いを叶えてもらっていないんだ」

 女神は渋い顔で「そうだね」とうなずく。

 そして、だ。

「ちっさいお前のことだ。ショボい神だとか願い事のスケールが小さいとか思われるのはプライドが許さない。それで『どうせ制限があって大した願いは叶えられないんだし、不誠実な人間の願いを叶えることや多人数の願いを叶えることくらいはまあいいか』とか考えたんじゃないのか?『何回でも願い事が叶う』ということを復活させた時と似たような経緯だったんじゃないのか? そして、おそらくだけど、多人数の前に現れて、多人数の願いを叶えるということは面倒臭いことなんじゃないのか? だから俺に気がつかれないようにしていた」

「まあね」

 女神はこれまた渋い顔でだが素直にうなずく。

「それでも、いくら制限が多くあるとはいえ真面目な人間の方が”リスク”が少ないから真面目な人を選んでいるんだよ、僕は」

 さらに女神は

「何人もの願いを叶えることはできるけど、君の言う通りそれってけっこう面倒臭いことになるかもしれないんだよね。だから気付かれないよう気をつけていたのにな」

 とため息混じり言う。もう『こいつ本当に神か?』と思うことさえ飽きた。

「それにね、多くの人間がいると何がなんでも僕を信じないという人間も必ずと言っていいほどいる。それは僕のプライドが許せないから嫌だった」

 もう『ちっさいやつだ』と思うことさえ飽きた。

 しかし、ひとつ気になる疑問があった。

「もし、何人もの人が『何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ』という願い事をしたらどうするんだ?」

「そうだよ。それが面倒なところなんだよ」

 女神が声高になる。

「分身してその人達に一生ついていないといけないからね」

「分身? そんなことができるのか?」

「できないなんて言ってないだろ? 僕は神なんだよ? それくらいのことがどうしてできないと思ったの?」

 こういうところも相変わらずだ。

「そんなに面倒なことなのか?」

「面倒なことに決まっているだろ。人間で言えばそうだな……何台も電話があるオフィスで1人で電話番をする、ってところかな」

 わかるようなわからないような……

 しかしとにかくできるんだ。それなら―― 


 と、僕はみんなの前にこの(ちっ)さい女神を現したのだ。

「さあ、私を信じてください。そしてあなた達の願い事を言ってください」

 と女神は神々(こうごう)しく両手を広げてそんなことを言っている。考えてみたらこいつの大きさをいまのサイズに変えておいてよかった。最初のあの小さな姿だったら僕の部屋よりずっと広いこの教室では目立たなかっただろう。しかし、いまその教室は静まり返っている。

 しばらくして

「こんなの嘘よ……」

 という声がした。

 そしてその声に誘発されたように

「そうだ。お前、何をやった!」

「どんな手品だ?」

「集団催眠?」

「プロジェクターだ! いまは小さくても、はっきりと映るプロジェクターがある!」

 と、次々とそんな声が飛んでくる。やっぱりこうなるよな。しかし、だ。そういう態度だとこのちっさい女神は……

「嘘じゃない! 僕は神だ! どうして信じないんだ!」

 と、キンキンする大声でそう叫ぶと教室中をかき回すかのようにめちゃくちゃに飛び回り始めた。みんなその動きをあんぐりと口と目を開けて見ている。この女神の(ちっ)ささが役に立つときが来るとは思わなかった。

「こんなことできる人間がいるか? これがプロジェクターの映像や手品や催眠や夢や幻に思えるか? 僕は神だ! 信じないと願い事は叶えてやらない!」

 キンキン叫びながら教室中を暴れるように飛び回る。いいぞ、そうやってムキになってお前のちっさいプライドを皆に振り撒いてやれ。お前がそうやって教室中を飛び回るほどお前が幻だの手品だのじゃなくて本物だと信じるやつは多くなる。こいつがこんなふうにちっさいやつじゃなかったら、いかにも神らしい真摯で慎ましく、そして神々(こうごう)しい神だったら、逆に信用するやつは少ないだろう。

 さらにはこういう行動をするやつならみんな混乱する。思考もまともじゃなくなるだろう。僕がそうだったように。そうなることも計略のうちだ。

「スマホに写らない!」

 アイラがスマホのカメラを女神の方に向けてそう叫んだ。

「そんなものに僕が写るもんか!」

 女神はムキになって叫ぶ。

「まさか本当だったのか……」

 キョーイチが唖然としながらつぶやいた。そして、

「俺は信じるぞ!」

 と叫んだ。意外にもキョーイチが最初に信じた。霊感があるからだろうか? すると、それに同調されたように

「俺も信じる。願い事を叶えてくれ!」

「私も信じるわ。願いを叶えて!」

「信じるよ!」

「信じるわ!」

 と言う声が次々に起こった。クラスを締めているキョーイチが最初に信じたことが功を奏することになったようだ。リューイチまでもが、

「信じるよ……」

 と呆然としながらつぶやくように言った。

「おや? 全員が信じてくれましたね。当然です。私は神なんですから。それではあなた達の願い事をひとつずつ叶えましょう」

 全員が信じた? それは意外だった。全員が信じることはないだろうと思っていた。そうなったら女神は全員が信じるまで鬱陶しく飛び回っていただろう。そうなった時のことも想定していたのだが……

 でもまあ全員が信じたのならそれに越したことはない。

「しかし、願い事に責任を持ってもらう為、叶えた願いは撤回できません。それをよく心得ておいて下さい」

 女神は例の制限を言い始めた。

「そして叶えられる願い事には以下の制限があります」

 制限をひとつひとつ言う度に皆の顔が「はあ?」という感じで白けていくのがわかる。そしていろいろと混乱している。よし、叶えられる願い事のスケールの小ささも有益に働いている。この間に、と僕はカバンからチスタガネを取り出した。母に手渡されたあれだ。それをカバ子さんに手渡す。

「本当にいいんだな?」

 カバ子さんは神妙な顔で訊いてくる。

「はい。昨日話した手はず通りにお願いします」

 僕はカバ子さんを見ながら強くそう言った。

 早く次に移ろう。僕は黒板に、手早くあることを書いた。皆がまだ混乱しているうちに早く進めなければ。勘のいい人がいて『何回でも願いを叶うようにしてくれ』と言われたら女神の言う通りやっかいなことになるだろう。とにかく考える隙を与えてはいけない。

 女神が制限を言い終えた。皆、やはりぽかんとしている。

「それで何を願えと?」

 という声が聞こえた。

「しっかり考えるんだね」

 女神が偉そうにそう言ったとき、

「お前ら! これを見ろ!」

 そうカバ子さんが怒鳴った。白け顔の皆がこっちを向く。カバ子さんは僕の左手首を掴むと僕の手を教壇の上に置いた。僕は左の手の平を広げる。そして覚悟を決めて広げた左手をぐっと直視した。

「うらあ!」

 カバ子さんは大きく手を振りかぶって満身の力でチスタガネで僕の手の平を突き刺した。

「ぐあ!」

 僕は叫び声を上げた。激痛だ。当たり前だが激痛だ。こんな痛みは初めてだ。血があっという間に教壇の上に広がっていく。チスタガネが手の平を貫通した。意識が朦朧とする……が、しっかりしろ! と自分に言い聞かせ、歯を食いしばった。

 教室中に

「うわ!」

 とか

「キャー!」

 とかいう悲鳴が響き渡る。これは山木先生を貶めた時の悲鳴とはまったく違う、本物の悲鳴だ。

 カバ子さんはさらに、なんとか激痛に耐えている僕の血まみれの手を持ち上げ、突き刺さっているチスタガネを手から引き抜いた。僕はまた激痛に顔を歪める。手からは大量の血が溢れ出る。教室中からまた本物の悲鳴が起こった。カバ子さんは昨日僕が頼んだ通りにやってくれた。


 僕はセミが激しく鳴く中、呼び出し場所まで自転車で汗だくになって急いで向かっていた。学校が終わった時間を見計らってライン電話でカバ子さんに連絡した。場所は普段は人気のない公園を選んだが、小さな子供とその親らしき人がいた。これはもう仕方がないことだ。

「おう。どうしたよ」

 僕が着くと、僕が挨拶する前にカバ子さんは少し驚いた顔で訊いてきた。

「すみません、わざわざ」

 僕がぜえぜえ言いながらそう言うのを見て

「落ち着けよ」

 とカバ子さんは苦笑いした。

「今日は学校をサボったんです」

 少し落ち着いてからそう言うと

「お前が学校をサボった?」

 とカバ子さんは驚き、

「真面目なお前が? まさか不登校になるつもりか?」

 と訊いていくる。僕は首を振った。そして、息が完全に落ち着くと大きく息を吸ってからゆっくりと言った。

「僕にはいま、願い事を叶えてくれる女神がいるんです」

「……は?」

 カバ子さんは当然の反応をした。

「おい、女神。今日の願いだ。木村奈々さんの前に姿を現してくれ」

 その瞬間、カバ子さんのただでさえ大きな口が

「え!」

 と大きく開き、小さな目はいつもの倍以上に広がった。女神は僕の前に現れた時と同じ口上を言ったが、やはりカバ子さんも

「何これ! 嘘でしょ!」

 と、大きな声で言う。もちろん女神は「嘘じゃない!」とキンキン声でカバ子さんの周囲を飛びまわった。「え? え?」カバ子さんは大声でそうパニックになる。公園の親子が「なんだあれ?」という感じでこちらを見ている。

 しばらくしてカバ子さんは女神のことを信じて、制限に白けた。僕はいままでの経緯をすべて事細かく語った。カバ子さんはまだ混乱しているようだが、僕が”計略”の詳細を説明して、それに協力してほしいと頼むとさらに混乱した。

()()()()()できるわけないだろ……」

 珍しく弱々しい声でそう言った。でもまあそれが当然の反応だろう。

「どうして私に頼むんだよ?」

 困惑した顔を僕に向ける。

「カバ子さんが一番適任だからです。心配しなくても、カバ子さんが罪になることは一切ありません」

 昨日、前もって女神に確かめておいた。僕に被害者意識がまったくなければ罪にはならない。重雄が僕の手を切ってしまった時と同じだ。

 さらにこういうことも訊いた。

「カバ子さんに頼んでやってもらう。自分で自分を傷つけるわけじゃない。たとえこちからか頼んだとしても最終的な判断をしてやるかどうか決めるのはカバ子さんの意思だ。そして実際にやるのもカバ子さん自身だ。つまり結果的には自分の意思で自分を傷つけるわけじゃない。これは自傷行為にはギリギリならない。違うか?」

「君、屁理屈が上手くなったね。将来政治家にでもなってみる?」

「ちゃかすなよ。自傷行為になるのか? ならないのか?」

「まあ確かにそういう理屈ならならないよ」

 とそんなやりとりをした。

 カバ子さんは

「そりゃ罪になったら困るよ」

 ともう笑うしかない、という感じで笑った。

 困惑しているカバ子さんに僕は力強く言った。

「カバ子さん、恩着せがましいこと言いたくないですが、僕に恩を感じると言ってましたよね。これを恩返しにしてくれませんか?」

「それが恩返しか?」

 カバ子さんは大声で言って苦笑いする。

 でも僕は真顔で続ける。

「もうひとつ、頼みがあるんです。皆が女神のことを信じてくれるとは思えません。そうしたらこの女神は、全員が信じてくれるまでさっきみたいに暴れまわるでしょう」

 と、女神を見ると「ふん!」とふてくされたようにソッポを向いた。

「その時は『信じた人だけの願い事を叶えてやってくれ』と女神に願って下さい。僕はもう願いを言っている状況だから、願い事はできないので」

 しかし、全員が信じたのでその願いを叶えてもらう必要はなくなった。

「ただ、カバ子さんの願い事ができなくなってしまいますが……」

「いや、それより、()()()()()までする必要があるのか?」

「あります」

 僕はきっぱりと言った。

「僕だってずい分迷いましたよ()()()()()。でもやるしかないという結論になりました。何人が女神を信じて、何人がカバ子さんの言うことに素直に従うかはわかりません。でも全員でなくていいんです。5、6人でも2、3人でもいいんです。たとえそれくらいの人数でも、()()()()()が起これば信じなかったやつらもさすがに信じるでしょう」

「そりゃ、たとえ少人数でも、そんな気持ちの悪いことが起こればなあ……」

「そうです。それが()()()になるんです。24時間以内に女神を信じなかったり、願い事を言わなかったりしたらこいつは消えます。ただ単にこの女神が現れて、暴れまわって、白けるような制限を言っただけでは女神が見えなくなって冷静になってからいろいろと難癖をつけてくるでしょう。だからそんな()()()が必要なんです」

 そう力説するが、カバ子さんはまだ迷っている。僕は少し考えてから言った。

「カバ子さん、女子プロレスラーになる為には、これはきっと良い経験になりますよ?」

 カバ子さんは一瞬、『は?』という感じの顔でキョトンとしたが、次の瞬間大声で笑った。

「よし、わかった。その役を請け負う。段取りをしっかり確認しよう」


 悲鳴が響く中、カバ子さんが黒板をぶっ叩いて恐ろしい顔で

「オラァ! いいか! 全員()()をいっせいに言うんだ! わかったか! 言わないやつは私が痛い目に遭わせてやるからな!」

 と地鳴りのように怒鳴った。すると全員静まった。さすが女子プロレスラー志望。とんでもない迫力だった。僕でも手の痛みを一瞬忘れて驚いたくらいだ。混乱しているいまのみんながビビらないわけがない。そして何より、いま僕の手を突き刺すなんて恐ろしいことをした人がそんな物騒なことを怒鳴っているのだ。これ以上恐怖感を与える人もいないだろう。キョーリューでさえびくりと肩を躍らせていたくらいだ。やはりこの人に頼んで正解だった。

「いいかあ! せーのでいっせいに言え! 言ってないやつはここから見ていればすぐにわかるからな!」

 皆、戸惑いと怯えの混ざった顔でカバ子さんを見る。

「いくぞ! せーの……」

 しかし、みんな呆然自失で固まってしまっている。

「オラァ! どうした!」

 カバ子さんが先ほど以上の怒声を発してまた黒板をぶっ叩いた。

「そうか……」

 とカバ子さんは僕の血が付いたチスタガネを振り上げた。

「どうやら全員、痛い目に遭いたいらしいな……」

 そう恐ろしい顔で言って脅迫的な凄みを効かせると「ひっ!」という悲鳴が聞こえた。

「もう一度だけチャンスをやる! ()()を言うんだ! 次はないぞ! 私は本気だ! 痛い目に遭いたくなかったら言え!」

 ガタガタ震える男子や、涙目になっている女子もいる。

「いくぞ! せーの!」

『藤崎信矢の傷を代わりに受けます』

 よし、今度は小さな声ではあったがそう言う声が確実にクラス中から聞こえた。いまこれだけ混乱しているこの場で、さらにカバ子さんに脅されているこの状況で、()()()()を冷静に判断できるやつがこの中にいるとは思えない。そして言わないやつが多いとも思えない。それでも実際には何人が言うのかわからない。僕が林さんの傷を代わりに負った時と同じように”自己犠牲”というはっきりとした言葉や文言を言わせようとするとこんな状況でもさすがに警戒されると思った。そこで結果的に自己犠牲と同じ意味合いになる文言を考えた。女神にもちゃんと確認しておいた。『それなら大丈夫だ』と女神は言った。しかし実際には何人が言ってくれたか……

「その願いを叶えましょう」

 女神がそう言った瞬間、僕の左手の傷と痛みが消え、クラスの全員が大きな悲鳴を上げて左手を押さえた。え? 全員が言った? 誰か言ってないやつもいるのでは? いや、全員左手を押さえて悲鳴を上げている。それに激しく血が出ている。これも意外だった。

「願い事を叶えたので私はこれで……」

 女神はそう言った。どうやら皆の前から消えたようだ。

 僕ははっとして次の行動に移った。

「みんな聞いてくれ!」

 大声でそう言うとみんな顔を大きく歪めながらもなんとか僕の方に顔を向けてくれた。 

()()には以下の意味がある。

 ひとつ、みんなどれくらいの地獄レベルかはわからないが、いまのところは地獄行きだ。でもおそらくそこまで高レベルの地獄に行くわけではないと思う。あの女神を見て、そんな怪我をして、こんな痛みを感じたら、さすがに神だとか天国や地獄という存在も信じただろう。その事をしっかりと心得てもらっていま以上にレベルの高い地獄に行かないようにこれからはもう悪行をしないでもらうこと。

 ひとつ、これは自己犠牲というものだ。この自己犠牲という善行によって少しでも加点してもらうこと。これで地獄レベルが下がる人もいるかもしれない。人殺しやレイプなどの凶悪犯罪者はどれだけの善行を積んでも高レベルの地獄行きは避けられないそうだが、幸いこの中にはいないみたいだ。それならこれから必死に善行を積めば天国に行ける人もいるかもしれない。

 ひとつ、これは俺自身からみんなへの”復讐”だ。いままでみんなから直接的、間接的にいじめられた。そのいじめに対する復讐だ。これでいままでのことは許す。

 以上だ」

 言い終えるとみんな、キョーリューの二人でさえ怯えたような顔で僕を見ていた。

 そして次々と

「地獄行き?」

「地獄レベルって何?」

「善行を積む?」

「自己犠牲?」

 などという疑問が皆の口から出始めた。さらに混乱しているようだ。

「早く病院へ行ってくれ」

 僕はそれだけ言うとカバ子さんに「行きましょう」と言って教室を出た。さらにそのまま学校も出る。どうせ今日は学校は大混乱だ。授業になんかならない。 

「大丈夫か?」

 カバ子さんが青い顔で訊いてきた。

「大丈夫です」

 僕はそう左手を振ってみせた。

「もうなんともないでしょ? 心配するなら他の連中ですよ」

 カバ子さんはうなずいて

「まあそうだな。しかし、本当に凄いな」

 と女神を見た。この女神を凄いと言うとは。まあ、この女神の正体をよく知らないからな。カバ子さんの言葉に女神は気分良さそうに胸を張っている。

「お前も大したものだぞ。感心した」

 僕を見ながらそう言ってくれた。

「しかし、全員が私の言うことに従うとは思わなかったな。1回目は誰も言わなかったのに。あの時は内心焦ったぞ」

 確かに。ただ、1回目の時はみんなパニック状態で固まっていたのだ。それでも2回目で全員が言うとは思ってもなかった。

「僕も驚きました。カバ子さんの脅しの迫力お陰ですよ」

 カバ子さんは「それ褒めているのか?」と苦笑いする。そして「しっかり段取りをやっておいて良かった」とほっとしたように息を吐いた。

「しかし、約束を破ったことになるな。『私の言うことを聞かないと痛い目に遭わせてやる』と言っておいて、全員が言うことを聞いたのに全員が痛い目に遭ってしまった……」

 カバ子さんはそう顔を曇らせた。怒らせたら怖いけれど、心根は本当は優しい人なんだよな。

 僕は鼻でひとつ息を吐いてから言った。

「カバ子さん、女神に願い事があるなら言ってください。さきほど言う必要がなかったので、まだカバ子さんは願い事を叶えられます。24時間以内に言わないとこの女神は消えてしまいますから」

 カバ子さんは口を曲げて女神を見たが、

「いや、別にいいよ。あれだけの制限があったら頭の悪い私には何も思いつかない」

 と、すぐに首を振った。が、その顔の眉間に皺が寄った。

「なあ? 頭の悪い私がいまふっと気がついたんだけど、皆がこの女神を信じなかったときは、『信じた人だけの願い事を叶えてやってくれ』と私が女神に願うんだったよな? それって叶えられない願いじゃないのか?『人の願い事を叶えてやってくれ』てのは、他人を救うこと助けることはできない、という制限に引っかかるんじゃないのか?」

 あ! と思った。確かにそうだ。女神を皆の前に現すだけなのとは違って、()()()()()()()()()()()()()()()ということは他人を救うことや助けることに繋がりそうだ。女神に確かめる。

「そうだね。確かに叶えられないね」

 と女神は平然と言う。

「じゃあ全員が信じてくれなかったら……」

 僕が愕然とそう言うとカバ子さんは

「都合良くいったな」

 と大きな安堵の息を吐いた。

「でも、例え信じなかったとしてもこの女神があれだけ暴れ回ればそれなりに効果はあったと思うぞ私は。あの場では強がって女神を頑なに信じようとはしないが、内心は天国やら地獄やらの存在を少なくともいままでよりは信じるようになっていたんじゃないか?」

 そうだろうか? だったら()()()なんて不要だっただろうか? と、僕は自分の左手を見た。が、すぐ首を振った。いやいや、必要だった。いじめていた連中への復讐として必要だった。そう僕は必死に自分を納得させた。

「それと亜由美にはまた私から連絡しておく。それでいいよな?」

 とぼんやりとしていた僕にカバ子さんはそう言ってくれた。はっとして、確かにカバ子さんに頼む方がいいなと思い、うなずいてから僕は言った。

「はい、お願いします。今日は本当にありがとうございました」

 と頭を下げると「じゃあな」と手を振って帰って行った。カバ子さんも今日はサボりだ。


 昨日、カバ子さんから林さんに連絡してもらって今日学校に来ないようにと説得してもらった。無関係な林さんを巻き込むわけにはいかなかった。でも真面目な林さんはなかなか納得しなかった。するとカバ子さんは女神のことを話し始めた。これには本当に驚いた。

「信じられないか?」

 というカバ子さんのその言葉に林さんはしばらく無言だったみたいだが

「いえ。信じます。私の左手首の傷痕がいきなり無くなったのも、そういうことなら納得できます」

 と言ったそうだ。


 僕はそのまま家に帰ったが、それでめでたしめでたしではなかった。家に帰るとまだ寝ているはずの母がいつになく慌てた様子で玄関までやってきたのだ。さっき先生から連絡があったけど、あんた何をしたの? と慌てている。「なんにもしてないよ」と僕は嘘を言ってごまかしたが、もちろんそれで終わるわけがない。母はいろいろとうるさく訊いてくる。それを僕はのらりくらりとかわすが、学校の先生が事情を説明してほしいと言っていた、と聞いて面倒臭いなと思いながらもまた学校に戻った。

 学校に行くとやはり大混乱だった。担任の先生が母と同じように慌てて僕に駆け寄り、お前何かしたのか? と眉間に深い皺を作って訊いてきた。「何もしてませんよ」僕はまた嘘を言った。でも、みんな左手に大怪我を負って『信矢が』とか『3年の木村が』とか挙句の果てには『女神が』とかわけのわからないことを言って、病院に運ばれて行ったんだぞ?

「確かに大変なことが起きたみたいですけど、僕にはわかりません。だいたい、僕にそんなことができると思いますか?」

 確かにそうだな、と先生も腕組みをした。嘘とごまかし。これはけっこうな”減点”になるのかな? でも僕に必要なものはこういう良い意味での不真面目さだったのかもしれないな。なにより、本当のことを話しても信用してくれるわけがないのだから。


 翌日、学校は一応いつも通りに授業を行うことになった。僕はその連絡を聞いて重雄に連絡した。

「もう大丈夫だ。学校に来てもいじめられないだろう」

 僕はそう言ったが重雄は懐疑的だった。まあそりゃそうだろう。

「もしいじめられたらすぐ帰ればいい。あ、お前がもう他の学校に転校すると固く決めているのなら、別にそのままでもいいんだぞ」

 でも重雄は駅前で僕を待っていた。「本当に大丈夫なのか?」一緒に登校しながら僕におどおどした様子で訊いてくる。

「多分。あれで駄目ならもう救いようがないよ」

 と言うと「”あれ”ってなんだ?」と重雄は訊いてきたが、僕は無言で橋の下のトンネルにも行かずにまっすぐに学校に向かう。

 教室に入るとまたまた意外なことがあって驚いた。全員が登校していたのだ。あんなことがあったその翌日に全員が来るとは思っていなかった。そして全員、左手に痛々しく包帯を巻いていた。騒いでいるやつも誰もいない。みんな大人しく席に座って静まり返っている。まるでお通夜だ。重雄はなにがなんだかわからない、という困惑した顔で自分の席に座った。

「あんなの……きっと何かの間違いよ」

 僕が自分の席に座ろうとすると、そう言う女子の声が聞こえた。

「そうだ。あんなの現実じゃない」

 と言う男子の声も聞こえた。

 やっぱりそうなるか。でも口でそう言ってもその目は怯えている。信じているけど信じたくないのだ。女神を見ると顔を真っ赤にしてふくれっ面になっていた。僕が『だったらその手の傷はなんだ?』と言おうとした時、

「バカやろう!」

 とキョーイチが立ち上がって怒鳴った。

「昨日のあの女神とかいうやつの、あの動きを見ただろ? あんなものが映像だとか手品だとかなわけがないだろ! あんなにはっきりしたものが集団催眠や幻覚なわけがないだろ! どう考えてもあれは現実だった! そして何より――」

 キョーイチは包帯の巻かれた左手を挙げて指を差した。

「全員が()()()()()になっているんだぞ! こんなに痛い! こんなことができるのは、神か悪魔か、とにかく人間をはるかに超越した何かじゃないと不可能だろう!」

 キョーイチは痛みのせいか、大きく顔を歪める。教室がまた静まり返る。女神が「悪魔はないだろ……」と口を尖らせていた。

「私たち、地獄行きって本当?」

 ひとりの女子が小声で怯えた様子で訊いてきた。するといっせいに、

「そうだよ。地獄に行くのか?」

「地獄レベルってなんだよ?」

 とみんな必死の形相と声で僕に訊いてくる。なるほど。そういうことが訊きたくてみんな学校に来たわけか。でも困った。何をどう答えたらいいものか。が、そんな中、アイラが

「私は、中学時代に酷いいじめを受けていて――」

 などと言い始めたのでさすがに僕はカチンと来て怒鳴った。

「だからなんだと言うんだ! それで林さんをいじめて良い理由になるのか? お前はもうやることはやってスッキリしたはずだ! だったらもうそれでいいだろ!」

 アイラが「え!」と青い顔になって畏怖の目で僕を見た。まあそういう目で見られても仕方がない。キョーリューの2人まで青い顔で僕を見ていた。

「お前には、まだ、女神がついているんだよな? どうしてだ?」

 しばらくしてから、リューイチが顔色をなんとかいつもの顔に戻して大きな声で訊いてきた。

「俺は最初に『何回でも願い事が叶うようにしてくれ』と願ったんだ」

 リューイチは「チッ」と舌打ちをした。

「くそ……混乱しててそういうことに気がつかなかった」

 そりゃあの状況でまともな思考なんてできるわけがない。

「善行を積むって、何をすればいいの?」

 またひとりの女子が、消え入るような声で言った。いままで悪行ばかりしていてそれもわからなくなってしまったのだろうか?

「やるべき善行があるでしょう」

 と林さんが強い声を出した。

「山木先生の名誉を回復してあげるのよ。このクラスみんながやった悪行よ」

 確かにそうだ。

「そうだな」

 僕はうなずいた。でもみんな静まり返っている。ところどころから女子の泣き声も聞こえた。

 

 その後、僕はアカを教室の外に連れ出した。

「何よ……」

 恐る恐るという感じでアカが僕にそう訊いてくる。

「もうおばあさんをいじめるのはやめておけ。もう十分だろ? それから……()()()は現世ではどうなるかわからないが、死んだらもう高レベルの地獄行きは絶対確実だ。そこで筆舌に尽くしがたい責め苦を永遠に受ける。それで溜飲を下げてくれ」

 アカは目を見開いて、「はっ」と息を呑んで両手で口を覆った。そりゃ驚くだろう。

「そして、お前を見捨てたあの母親も、かなり高いレベルの地獄へ……」

「止めて!」 

 アカはヒステリックに叫んで両耳を塞いだ。そして両手で顔を覆い、しゃがみ込んで号泣し始めた。しまった……アカはあんな母親でも好きなんだった。アカの溜飲を下げさせようと良かれと思って言ったのに、余計なことをしてしまった。やっぱり馬鹿だな僕は。人に喜ばれることをするというのは難しい。

 号泣するアカに僕は「申し訳ない」と頭を下げることしかできなかった。


 昼休み。避難地区へと来た。どうにもここが落ち着くのだ。

「君はお人好しだね。あんな連中に助言して、さらに許してやるなんて。理解できないよ」

 女神がそう言ってきた。お人好し?

「そんなことはない。あの中に凶悪犯がいるならこんなことはしなかった。でもそこまでの悪者はいなくて、しかもみんな酌量や同情の余地が十分にある。だったら少しくらい救いがあってもいいだろ? それにあいつらにあれだけの痛みを与えてやった。あれでいままでのことは水に流してやったんだ」

「『あいつらにあれだけの痛みを与えてやった』って、全員が僕のことを信じて全員があの自己犠牲の願いを言うという確証はなかっただろ? それは誰よりも君が一番わかっていたはずだ」

 僕は口をへの字にして開けられなかった。女神は『ほら見ろ』という顔で僕を見下ろしている。

「まあ俺もいろいろなことを知って考えたんだよ。お前は言ったよな? 『そんなんじゃあいつまでたっても何も解決しない』って。確かにそうだ。でも、社会全体を改善することは困難だ。だったらせめて自分のできる範囲で出来ることをやってみようと思ったんだ。それで、自分のクラスくらいは改善してみよう、って考えたんだよ。その結果考え付いたのが()()だったんだ」

 女神は

「ふんふん」

 とわかってくれているのか、それとも皮肉なのか、大きくうなずいている。

 でもとにかくこいつの”すべての小ささ”が役に立ったんだ。結果的にはこの女神に感謝するべきだろう。

「それにしても本当に驚くくらい君の目論見通りになったね」

 確かに。自分でも驚いている。

「でも上手くいった一番の理由は君自身が変わったからじゃないかな? それもこの短期間で」

「ん?」

「自分が変われば周囲が変わる。もし人間ひとりひとりが自分の欠点を直そうと努めれば世の中が変わるんだろうけどね……」

 やっぱり酷なことを言うやつだなこいつは。それに――

「俺は別に何も変わってなんかいないぞ?」

「それ、女神と話しているの?」

「え?」

 驚いた。いつの間にか林さんが僕の傍に来ていて僕にそう訊いてきた。さらに重雄も、カバ子さんもいた。

「さっきカバ子さんから女神のことを聞いたんだ」

 重雄のその口ぶりは女神を信じているという感じだ。まあでなけりゃ説明がつかないよな、いまのこの状況は。

「私達もその女神が見たいんだけど」

 林さんがおずおずとそう頼んできた。

「うん。俺も見たい」

 重雄も言う。まあそうなるよな。今日はまだ願い事をしていない。

「女神。今日の願いだ。重雄と林さんの前に現れてくれ」

 2人の視線が僕の上の方に向いた。女神がいつものあの台詞を言う。

「信じるよ」

 重雄が言った。

「もちろん信じるわ。というか可愛いわね」

 林さんもそう言った。

 可愛いと思えるのはいまだけだ。女神が制限を言い始め、言い終えた。これでどっと白けるだろう、と思ったのだが、女神が制限を言い終えると2人とも笑い始めた。

「制限を全部詳しく聞いたか?」

 カバ子さんがそう2人に訊くと林さんも重雄も笑いながら頷いた。

「言った通りだろ? 世の中そんなに上手い話はないんだよ」

 とカバ子さんが笑う。

 そうか、カバ子さんが前もってある程度女神のことを教えていたのか。

「本当に厳しいな」

 重雄が笑う。

「本当!」

 と林さんも笑う。

 あれ? 2人のこんな笑顔を見たのは初めてかな?

 期末テストも近い、セミのうるさいこの暑さの中、カバ子さんと重雄と林さんは長い間笑っていた。


                                了


完結です。

ありがとうございました。

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