叶える人〜あなたの願いが叶いますように〜
その日はサラにとって最悪の一日だった。
父であるバート王が隣国との戦争で公式に敗北を認めたのだ。王宮に帝国の使者が入り調印式を行った。
帝国が仕掛けてきた戦争とはいえ負けは負け。
敗者となったルヒエ王国はフェデラ帝国に従属国となってしまった。
王国の敗北はサラにとって無視することのできない話でもあった。
帝国の皇帝が人質を要求してきたのだ。それも皇帝の側室として。皇帝の噂はサラの耳にも届いていた。噂話はどれも悪い話。いい噂など一つもなく、考えるだけで憂鬱になっていた。
そのことがさらにサラの気持ちを下げていった。
バート王に娘は3人いる。そのうち2人はすでに嫁に出ているため、残る娘は末っ子のサラのみ。父バート王の金髪を受け継ぎ愛した亡き王妃の生き写しのような美しさを兼ね備えたサラをバート王は溺愛していた。王妃が亡くなる前からも溺愛していたが、亡くなると溺愛に拍車をかけていた。
国王の溺愛は王国の人間なら誰もが知るところ。
帝国はそのことを知ってか知らずか人質としては最高の人質を手に入れることに成功したのだった。
苦渋の決断だった。
溺愛していたが故にサラに婚約者はおらずもうじき18になる。というのに浮いた話ひとつ上がっていない。
敗戦国であるから断るのは難しいのだが、バート王はこんなことになるのなら婚約させておけばと後悔した。
婚約さえさせておればどうとでもなったのに。
悪い顔をしながらしきりに後悔するバート王。それを宥める家臣たち。その光景は調印してからというもの何度も繰り返されていた。
そんなバート王の救いはサラが拒絶しなかったことだ。
と言ってもサラは拒絶してもどうせ結婚することに変わりがないのだから諦めて受け入れていただけ。それにさらには王族としていざという時の覚悟があった。
しかし受け入れた事実がバート王の心を軽くしたのは事実だった。
サラが結婚を受け入れてからいくばく語った頃。
「最悪」
バルコニーから亡き母自慢の庭園を眺め心を癒す。先ほどのつぶやきは誰にも聞かれいない。
優雅にお茶を飲んでいたサラの近くでは侍女が忙しなく動き回っていた。
使用人はサラの嫁入り準備で大忙し。
サラの嫁入りは一週間後にに迫っていた。
一週間後、帝国から迎えの使者が訪れサラは旅立つ。
サラには一つだけ未練があった。
だからサラはそばに控えていた年配の侍女に声をかける。
「リサ、私ちょっと出かけたいのだけれど」
「なりません。もし何かあったらどうするのです。大人しくしてくださいませ」
リサと呼ばれ女性はサラの乳母だった人。
幼い頃に母を亡くしたサラにとっては母親のような人であった。
サラの出かけるというのは城下に遊びに行くということだった。
当然サラに長年仕えてきたリサにはすぐにわかった。
だから反対する。しかし同時に最後ぐらいいいのではないかとも思っていた。
悲しげな表情をするリサに気がついた。
生まれた時からサラに仕えてきたリサにとってサラは娘のようなもの。これほど悲しい結婚はなかった。
サラはリサの方にそっと手を置き、できるだけ着丈に振舞って話かけた。
「リサ。そんな顔しないでよ」
「……わかりました。すぐにお持ちします」
「ありがとね」
リサはそう言うとサラの衣装を撮りに向かった。
流石にドレスで城下に出るわけにはいかない。だから庶民の服を変装用具を用意するのだ。
「くれぐれも騒ぎなど起こさぬよう。護衛の騎士がいるとはいえ無茶はなさいませぬよう」
「わかってるわ。心配しないで」
「くれぐれもお気をつけて」
「じゃあ、行ってきまーす」
茶髪のウィッグをかぶり庶民の服を着たサラ。
隠れたところでは二名の騎士が見守っていた。サラの護衛の騎士である。
リサはこうしてサラを見送るのも今日が最後になるのかと思うと静かに涙を流した。
リサは知っている。今日以降このような行動が許されなくなることを。
自由を愛する姫から翼を奪うその残酷な事実にリサは涙を流すことしかできなかった。
彼女のその姿を見るものは誰もいない。静かに泣き崩れた乳母の姿がそこにはあった。
リサが城下に来てしばらく立った頃、サラは1人の青年と出会っていた。
黒髪黒目の整った顔をした青年。名前をルキと言った。
「ねえ、あなたはこの国の人?」
「ううん。観光でこの国に来たんだよ。この国は良い国って僕の恩人が言っていてね」
サラはこの国では珍しいルキの髪と目の色に思わずどこの国か聞いた。
聞かれたルキは慣れたように質問に答える。視線は遠くを眺めていた。思い出すように遠くを。
「そうでしょ。この国は良い国なのよ」
「確かにいい国だ」
そんなルキの姿など気にせず、自慢げに笑うサラ。
その姿をルキは優しげに眺めていた。
公園のベンチに並んで座る2人。
美男美女の2人が並んで座っているわけだが、なぜか恋人には見えない。2人間にはしっかりと隙間が空いていたし雰囲気も恋人のそれではなかっからだ。
サラとルキの出会いは偶然だった。
サラが酔っ払いに絡まれているところをルキが助けたのだ。
その間に護衛の騎士は何をしていたのだって?
騎士はすぐにサラに駆け寄ったルキを見るや、介入は必要ないと判断して見るだけに見守ることにした。
騎士はその青年のことを知っていのだ。
騎士たちは命令されていた。
その青年がいれば遠くからの監視に徹しろと。
そう命令されていたのだ。
「君は何をしていたの」
「私、私は……何をしていたんだろうね。したいことはあったんだけどね。できずにここにいる。あはは、どうしてだろうね」
途端に困った表情を浮かべるリサ。したいことはあった。でもする勇気が出なかった。
彼と会える時間は少ないというのに。
会わなかったことにサラは後悔と同時に安堵した。
行かなくてよかったのかもしれない。
そうよ、きっとそう。
心の中で会いに行かなかった選択を肯定するサラ。
「あなたは表情は何か未練がありそうだ」
「え……」
「いや、僕の仕事がらあなたのような表情をする人を何度も見てきました。そして皆後悔していた。しなかったことにずっと後悔していた」
ルキの言葉がサラに驚きを与える。
なんで分かったのと。
リサは考える。
表情を取り繕うことを忘れていなかったはず、なのにどうしてルキはわかったの。
表情を取り繕うのには自信があった。自分をお転婆だと自認するサラだったが、社交界は真面目に行い貴族からの評判もよかった。
そんなサラだから突然メッキを剥がされたことで頭が真っ白になる。
対してルキにとって相手の感情を見破ることなどとても簡単なことだった。
人によってはサラよりも取り繕うのが上手い人なんて何人もいたのだから。
「未練は断ち切った方がいいよ。これは恩人の言葉だけど、人生に後悔は必要だけど未練は必要ないって言ってたよ」
ルキの言葉が心に刺さる。
会わないと。後悔してもいい。
彼に、彼に会いに行こう。
そうサラが決心した時、護衛について騎士の1人がサラに近づいた。
「姫様、そろそろお時間です」
「まだ帰らないわ。私にはやることがあるの」
「姫様、陛下からのご命令です。姫を連れて帰れと命令が下されました」
「お父様から?」
「……わかったわ。もう少しだけ、あと少し彼と話をさせてくれない」
サラは横目でルキを見て騎士に訴えた。ルキは2人のやりとりを黙って見届けた。そこに驚きの表情はなかった。
騎士は少しだけだと言いたげ表情を浮かべ、先ほどいた場所まで戻っていく。
お父様の命令か……
今日はもう会えないな。
戻っていく騎士を見ながらサラは内心そんなことを考えていた。
父が王として命令したのだその命令に逆らってまで彼に会いに行くという選択をとることはできない。
サラは明日にでも行こうと決心を改め今日は帰ることに決めた。
サラは知らない。
この日以降サラが城下に出ることは許されなくなったことを。
知っていたら会いに行ったあであろうに。
「ねえ、最後に教えてくれない。あなたって何者?私が姫ってことを知っても驚いていないし、もしかして他の国の貴族とか」
サラはそんなわけないわよねと冗談まじりに呟きながらルキを見る。
ルキは変わらず優しげな笑みを浮かべて答えた。
「僕はただの庶民さ。そういえば僕が何者か言ってなかったね。僕は叶える人さ。そういう仕事をしている。仕事柄身分の高い人に会うこともあるからね身分の高い存在に慣れていただけさ」
「叶える人?そう言う仕事?」
サラにはルキが何言っているのかいまいちわからなかった。とりあえず気になった言葉について質問する。
その疑問に答えるようにルキは言葉を続けた。
「そう叶える人。僕が勝手にそう名乗っているんだ。死に行く人が叶えられなかった願いを死後に叶えてる。自己満足のような仕事さ」
「へーそうなんだ。それがあなたの仕事?」
「そうなるね」
そんな仕事もあるのかと若干驚くサラ。彼の知っている仕事はありきたりな仕事のみルキのような変わった仕事は聞いたこともなかった。ただそのことを話ているルキの笑顔はそんな自分に呆れているようであった。
死後に叶えるのか……
死後に叶えても意味ないじゃん。
ルキの言葉を聞いてサラはそんなことを思った。
ルキにはサラがどんなことを考えているのか大体わかってはいたが、変わらず優しげな笑みを浮かべるだけだった。
「あのさ、私も依頼していいの」
「もちろん。依頼があるのなら聞くよ。でも僕は生きている人の願いを叶えることはないからね。君の場合、よほどのことがないと僕の方が先に死ぬから機会はないと思うよ」
「私ね、一週間後に死ぬの」
「……それはまた物騒だね」
笑みを消し、目を細めるルキ。
そんなことを気にせずにサラは話を続けた。
「私ね、隣国に嫁ぐの。敗戦国の姫として隣国に嫁ぐの。この国から離れ1人隣国に嫁ぐ、頼る人が誰もいない隣国に。嫌とは言えない。だってこれは王族として生まれた私の指名だから。あなたにわかるいきなり結婚することが決まった私の気持ち、わかる?」
「想像もつきませんね」
「そうでしょうね。あなたにはわからない。いいえ誰にもわからない。わかってたまるもんですか」
淀んだ表情を浮かべるサラ。
その姿を見てルキにはかける言葉がなかった。何を言っても意味がないことがわかっていたのだ。
「王家に生まれたからには覚悟はしていた。一週間後には笑顔を浮かべ嫁ぎに行くわ。だって私は王女なのだからそこに私の感情は必要ない。そうでしょう、違う?」
「賛成はしかねませんが……事実そうなのでしょうね」
王族たるもの私情は挟まない。それがたとえ望まない者であっても。
ルキはそんなことを考えながらほゆ場を曇らせ、当事者となったサラをただただ憐れんだ。
「だから私は自分を殺すわ。嫌と考える心を、行きたくないと思う心を。一週間かけて殺す」
ルキは黙って聞いた。
サラの叫びを黙って聞くことしかできない自分の無力さを痛感していた。
「だからね、私は死ぬの。私の依頼受けてくれるでしょう?」
「もちろん受けましょう。あなたの願いはなんですか。私としてはあなたが死ぬ前に叶えることを推奨しますけどね。死んでから叶えても意味はないですから」
「あなたへの依頼は保険よ。私が会えなかった時の保険」
サラはルキの目を見た。首筋を伸ばしまっすぐと見る。
ルキもその目を逸らさない、彼女の覚悟が伝わっていたから。
「ではその願いをお教えいただけますか。叶え人ルキがあなたの願いを叶えましょう」
ルキは立ち上がりサラに向かってカーテンシーを取る。
優雅に慣れた動作で、見るものの目をひく綺麗なカーテンシー。
サラは笑みを浮かべて言った。
「私の願いは……」
サラは自身の叶えてほしい願いを伝える。
言い終わるとタイミングよく護衛の騎士が現れ時間だと告げる。先ほどとは違い断固とした言葉で告げた。
サラも特に逆らうことはせずにルキに別れをいい立ち去った。
今後ルキとサラが合うことは二度となかった。
「これはまた忙しくなりそうだ」
ルキのそのつぶやくは夕暮れの景色と共に静かに消えていった。少し気合を入れてから立ち上がると目的の場所に向かって歩み始めた。
ルキ知っている。保険と言った彼女の願いが保険で終わらないことを。
今日を持ってサラが城下に出られなくなることを前もってある人物から聞いていたのだ。
ルキは知っていた。
だから彼女の願いを叶えるためルキは動き出したのだ。
あれから一週間がたった。
もうすぐリサが帝国の騎士に守られながら王都を旅立つのだ。その日の天気は悪く暑い雲に覆われていた。
中央通りを通り、万民に見送られて彼女は旅立つ。
準備はできている。
彼女の願いは絶対に叶える。
叶え人として絶対に。
ルキはそう思い無意識に力強く拳を握った。
「行けるね?」
「もちろん」
ルキは隣にいた青年に声をかける。
ルキとその青年は街路にひっどりと隠れ、中央通りの様子を伺っていた。
青年の名前はケヴィン。
ただの庶民だ。年はサラと同じ18歳、茶髪でそこそこ整った顔立ちをしている。
今は鍛治屋の見習いとして王都で働いていた。
この青年、ケヴィンこそサラが会いたい人だった。
「緊張してる?」
「してない……っていえたらいいんだけど、めっちゃしてる。足なんて震えっぱなしだよ」
ルキがケヴィンの足を見ると本人の言うとおり生まれたての小鹿のように震えていた。
時折、ケヴィンは震えを抑えようと太ももを殴りる。けれど震えは治るどころか時間が経つごとに悪化しているのが現状だった。
「そろそろ時間だ。さあ行くよ」
ルキが言葉をかけると同時に群衆が声を上げた。
王女の乗った馬車が見えたのだ。
サラは馬車のなかで悶々とした時間を過ごしていた。
思えば後悔しかなかった。
どうしてあの日真っ先に会いに行かなかったのだろうか。
どうしてルキという青年と話すことに逃げてしまったのか。
会っていればこんなこと悩まずに済んだのに。
サラの頭の中には後悔しかなかった。
そんなサラの悩みを知ってか知らずか馬車は時刻通りに宮殿を出発する。
サラの乗った馬車には帝国から派遣された次女が共に乗り道すげらのケアを行う。
そして馬車の周りには帝国の騎士服を見に纏った騎士たちが四方を囲んでいた。
花嫁行列が王都の中央通りを練り歩く。
サラの乗る馬車の前後には隊列を組んだ兵士たちが規則正しい歩幅で行進する。
彼らは綺麗服を見にまとい方にはマスケット銃を身につけ意気揚々と行進する。
ゆっくりと歩みを進めるその姿は帝国の武威を見せつけるかのようであった。
サラが内側からしか見えない黒いカーテンを通して外を眺めていると、1人の青年が群衆から飛び出す。
飛び出してきた青年はケヴィンであった。街路の警備をしていた王国の兵士を振り払って通りに出てきたのだ。
特に薄い警備の場所からケヴィンは飛び出した。
初めはたどたどしい足運びではあったケヴィンだが、力強い眼光を馬車に向け一歩また一歩と馬車に近づく。
「何をしている、さっさと排除しろ!」
騎士たちと同じように馬に騎乗していた帝国の使者が冷たい声で兵士に命令する。
右手はコートの下に隠してあった小銃を握っていた。
すぐに命令された兵士がケヴィンの排除に向う。
さらなる不運が使者を襲った。
タイミング良く、空気を読んだかのように馬車が止まる。
「おい、何をしてる。馬車を止めるな」
「すいません、おい、何と止まってる。動け」
汗を流しながら御者が過剰なほど大きく振りかぶりむちを打つ。大きく振りかぶられ鞭はうまく力が伝わらず、馬に当たる時にはかなり弱い力となり、馬が動き出すほどの痛みは伝わっていない。
帝国の使者はその姿を見てさらに苛立つ。
皇帝の恐ろしさを何より知っていた帝国の使者にとって失敗は許されない。もし失敗したとなれば最悪極刑である。自分の命がかかっているのだから尚更御者の態度に腹を立てた。
本当なら今すぐ乱入者を撃ち殺したかった。ただそれもできない、慶事に血を流すなど、それこそ本国に戻った時何をされるか分かったものじゃない。そのため射殺命令も下すに下せなかった。
射殺命令を下せば良かったと後悔するのは少し経ってのこと。
ケヴィンは兵士が向かってくることに気づくと息を大きく吸った。自分に残された時間が短いことに悟ったのだ。
そして吸い込んだ息でできる限り大きく声を張り上げた。
「サラ、僕は君を愛している。君が誰かの元に行こうと僕は君を……愛してる」
その言葉に群衆は息を呑んだ。
これから嫁ぐ花嫁、それも帝国の皇帝の妃となる女性に告白したケヴィンの命知らずな行動に発する言葉をなくしたのだ。
ケヴィンが言い切ると同時にケヴィンは数人の兵士によって地面に組み伏せられる。
組み伏せられ力強く地面に顔を押し付けながらケヴィンは思う、もちろん思っていたのは痛みじゃないサラについてである。
「ねえケヴィン。私夢があるの」
「へーどんな夢さ」
「それはねー幸せになること」
「何だそれ」
出会ったばかりの頃、公園でサンドイッチを食べながらサラが言っていたことを思い出す。
ケヴィンは当たり前の夢を語る彼女の姿に笑った。
誰しも幸せになるために生きているんだ。
そう思っていた。
そこで改めて考える。
望まぬ相手と結婚する彼女は幸せになれるのだろうか。
なれるはずがない。だって自分がサラを思うのと同じようにサラも自分を思っていることを内心気づいていた。
けれどサラが身分の高い人間だと気づいていたケヴィンにとって愛をささやくことなどできない。
それほど自分勝手で傲慢なことなどサラを思えば尚更できなかった。
自分が愛を告げたらその瞬間、サラとの関係は終わる。
だって今の時代身分違いの恋は許されないのだから。
君を愛している。
ただそれだけを伝えたかった。たとえ死んでもいいから君に伝えたかった。
もう一言、もう一言だけ言わせてくれ。
ケヴィンは地面に押さえつけれなが再び口を開く。
「僕は……僕は……君の幸せを心から願っている」
言い切ると同時にケヴィンは意識を手放した。
兵士によってマスケット中で頭を殴られたのだ。
薄れゆく意識の中ケヴィンは願う。
できることならもう一度君と笑いたかった。
もう一度目を見て話したかった。
もう一度手を握りたかった。
もう一度、もう一度と願わずにはいられない。
サラ……またね。
「サラ様どうしたのですか?」
「……何でも……ありません」
ケヴィンの叫びは当然サラの元に届いていた。二度目の声は小さかったが群衆が静かだったこともありサラの耳に入った。
一度目は耐えた。
けれど二度目は限界だった。自分が一番欲しかった言葉。けれど聞けないと思っていた言葉。
優しいから彼は言わない。私の迷惑になるから、私も彼に迷惑かけたくないから言えなかった言葉。
手をつなげたのも一度だけ、偶然護衛の騎士を撒けたその日だけ繋ぐことができた。
サラから手を繋いだあの日、ケヴィンは何も言わず強く握り返していた。
それが答えだと言わんばかりに強く、強く彼女が痛みを感じない強さで優しく。
サラは気づいていたこの告白は命をかけてのものだと、未来の皇妃に告白したのだ彼の処刑は免れないだろうと。
その思いを思えばこそ止めることなどできるはずがなかった。
サラの目からはとめどなく涙が溢れる。
特に隠すこともせず堂々と涙を流す。
その姿に侍女はたじろぎ声をかけた。
「何でもないのです。ただ……思い出したのです」
「思い出したですか。それは悲しい記憶だったのですか?」
「いえ、幸せな記憶」
とてもとても幸せな記憶。
サラの中では走馬灯のように色鮮やかな記憶が駆け巡る。
もう十分。
私は幸せだった。ありがとうケヴィン。
あなたに伝えられないことが心残りで、申し訳なくて。
ありがとう。
あなたの愛してるを私にくれて、心に刻むよ。
あなたの言葉。
私は願わずにはいられない。
あなたに未来を。
ケヴィン、愛してる……
サラは心の中で願う。
誰にも見えない中で秘めたる思いを強く願った。
「……ありがとう」
「何かおっしゃいましたか」
「何も」
小さな声でつぶやいた感謝。先ほどとは違う感謝。
遠くを眺める視線の先には路肩で様子を眺めるルキがいた。
変わった青年。
けれど自分の願いを叶えてくれた青年。
あの日頼んだのは偶然だったけれど、あなたに頼んでよかった。
サラの心は感謝でいっぱいだった。
「私の願いは……愛してるって言われたかった。彼に、ケヴィンに一度でいいから愛してると」
あの日の言葉はルキしか知らない。
叶えられましたか?
壁にもたれかかりながらルキは、重い動き出す馬車を見て思った。
暗雲が過ぎ去り門出を祝うかのような青空を見上げた彼の表情はどこか安堵しているようであった。
そして次の言葉はサラは知らないもの。
サラの願いを聞き届けたその日にルキはケヴィンの元を訪れていた。
「君がケヴィンさんですか?」
「そうだけど。あんたは?」
見習いとしての作業を終えていたケヴィンに声をかけるルキ。
ケヴィンはこんな時間に自分を訪ねてきたルキに胡散臭そうな視線を向けた。
「私はサラさんの使いでここに来ました」
「サラの?」
サラの使いと聞いてケヴィンの表情は強張った。
サラが皇帝に嫁ぐ話は王都では有名な話だった。ケヴィンとしては信じたくなかったが、事実がそれを許してはくれなかった。
そんな時に現れたサラの使い。
警戒するのは当然。内心もしかしたらサラの使いというのは嘘でサラと自分の関係を知って消しにきたのではないかと思っていた。
「単刀直入に言いますね。あなたには二つの選択肢があります。サラさんに告白するか、それともしないのか。その二択です。もしするならば命をかけることになりますよ」
「告白?命をかける?どういうことだよ」
「詳しくは言えません。ただあなたが告白すればサラさんが幸せになるのは確かですね」
詳しくはわからない。でもケヴィンにはそれで十分だった。
彼女が幸せになれるのなら自分の命は惜しくなかった。
「やるよ」
「そうですか。それはよかった。日時は追って知らせますね。それまでどうか覚悟を」
全てを見透かしたような視線でケヴィンを見るルキ。確かにケヴィンに覚悟はあった。あったが揺るぎないというと怪しいものだったのだ。
だからケヴィンは当日までに覚悟を固めた。
何があっても揺るぎない覚悟を
「さようなら。ケヴィン」
小さく、自分にだけ聞こえる声で優しく呟く。
もう言うことのない愛したものもなを優しく呟いた。
これで私は死ねる。国のために死ぬんだ。
今から私は過去に生き、未来に生きる。
さようなら。
この日、サラは幸せそうに自分を殺した。彼女に残ったのは帝国の皇妃サラとしての未来だけだった。
「依頼は完了した」
「ありがとう。君には感謝しても仕切れないよ」
「あなたのためにしたのではありません。彼女のためにしたのです…だからあなたからの感謝は結構です」
「そうかもしれない。でも親として感謝ぐらいはさせてくれ」
薄暗い部屋の中で2人の男が話していた。
1人は黒髪黒目の青年、もう1人は初老の男。
「これはあなたの筋学通りですか?バート王」
「そうだな……大体は筋書き通りと言える。だがまさか告白するとは思わなかった」
心底驚いた表情をするバート王。バート王は護衛につけた騎士などの情報から、サラがケヴィンに会いたいがっていることは知っていたがサラの願いが愛してると言われたいがっていたことまでは知らない。
「……彼は殺すのですか?」
「帝国からは殺せと言われているが……殺さない。いや殺せない。あの子の思いに答えてくれた彼を殺せるはずがない。時期を見て釈放するつもりだ。とは言ってもこの国にいたら危険だから国外追放にはするが」
「彼に……未来はあるのですね」
ケヴィンが死なないことに脱力するルキ。
心の中では彼が処刑されるのではないかと気が気ではなかった。
バート王の人となりは依頼を受けた時に大体知っていたので殺されないだろうとは考えていたが、最終的にバート王の判断に委ねられるため今一つ確信を持てなかったのだ。
「改めて感謝を。娘の願いを聞き届けてくれたばかりか叶えてくれた。私は王として会わせることができなかった。娘が会いたいと思っていたことを知っていたのに。ひどい父親だ」
安堵の表情を浮かべたルキにバート王はゆっくりと頭を下げた。
非公式ながら王が頭を下げるのは異例中の異例なことだった。
バート王の独白。
二度と言うことがない言葉。この日だけは王としての自分を呪った。
王として姫にもしかしてがあってはいけない。たとえそれがない可能性の方が高くても、常に最悪を考えて王は決断を下す。
溺愛する娘が会いたいと思っていても、最悪の可能性があるのなら王は冷酷に決断する。
そこに感情はない。感情を持ってはいけない。たとえそれが大きな後悔を生むとしてもバートは決断したのだった。
「じゃあ私は行きますね」
「もうよては決まっているのかね。君は恩人だ、よければ……」
「残念ながら次の依頼が来てまして」
残念そうな表情でルキを見送るバート王。
ルキはその日のうちに国を出る。足取り軽く次の依頼人の元へと向かうのだった。
十数年後、1人の男の元に手紙が届く。
男は鍛冶屋を営んでいた、小さな村でひっそりと金槌を振るう。
男が依頼品を製造するため、金槌を振るっていると見知った郵便配達員が男に声をかける。
「ケヴィンさん。手紙ですよ」
「手紙?それはまた珍しい」
配達員から手紙を受け取ると差出人を見る。
差出人欄のところには何も書いていなかった。そのため手紙を開け内容を確認することにする
「もしかしてラブレターとかじゃないですか?ほらケヴィンさん地味にモテますから」
茶々を入れる配達員。
うざいなと思いつつも、見知った顔でもありたまに飲みに行く中でもあるので邪険にもできなかった。
「えーと何何……」
手紙を読み始めるケヴィン。
綺麗な文字だった、今まで見た中で一番綺麗な字。身分の高い人が書くような字。
ケヴィンは読み終えるとすぐに遠出の準備をした。
まずは戸棚から全ての金を出す。次に目的地に着くのに何日かかるかわからないから最低限の着替えをカバンに詰めた。
「え、ケヴィンさん。急にどうしたんですか」
「ちょっと急用ができた」
「急用?手紙に何書いてたんすか」
「じゃ、行ってくる」
ケヴィンは家の鍵を閉める時間も惜しいと言わんばかりに家を飛び出した。
向かうは駅。金はかかるが今は時間が惜しい。
ケヴィンは走る。
目的地に向けて出発したのだった。
「サラ!」
「……嘘」
その教会には元皇帝の妃だった人がいるらしい。そんな噂話が村にはあった。
皇帝と死別した時、数多いる皇妃の1人だった彼女は機を見て逃げ出したそうだ。帝国としても併合した国の妃には価値はあまりなく見逃したらしい。
その妃が教会に訪れてから一週間後、珍しく村に1人の旅人が村を訪れる。ここら辺では珍しい黒髪黒目の男だった。男は3日ほど教会を観察し気が済んだのか静かに旅立っていった。
それからさらに三週間後。
また珍しく前のとは違う旅人が現れた。
旅人はその妃を見るや否や走って駆け寄る。
妃は駆け寄る男を見ると涙を流していた。恐怖の涙ではなかった。幸せの涙、見れば男も涙を流す。
2人は人目も憚らず涙を流し、熱い抱擁を交わし、そして………。
その後の2人は行き先はわからない。
妃をその男が連れだって幸せそうに旅立ったことだけ村人は知っている。