ジャンのパートナー
「この忙しい時に迷惑甚だしい……! そのうえ今回に限ってパートナー同伴だと!?」
「そう怒るなよジャン―! オレが決めたわけじゃねえんだから!」
翌日、イサが出勤するなり不穏な空気がフロアに充満していた。
既に先に来ていたらしい先輩案内人達は、フロア奥で何やらもめている約二名にちらちらと目を向け、触らぬ神にたたりなしとばかりに身を潜めている。
イサは首を傾げつつ、自分のデスクへと歩きながら先ほどから注目の二人―――つまりジャンとエキディウスの二人に目をやった。
すると、イサの気配に気付いたらしいジャンがこちらを向く。それにつられるようにエキディウスもイサを見た。がなぜかエキディウスの赤い眉は困り果てるように下がっていた。
「おはようございます。ムール統括長、エキディウスさん」
「ああ」
「はよー、イサ……って、あ! そうだよジャン! イサに頼めば良いんじゃね!?」
イサの挨拶にそろって返事をした二人だったが、突然エキディウスが何かを思いついたように顔を輝かせた。それに、ジャンが意表を突かれたように驚いた表情を見せる。
「おい、まさか……」
「そのまさかだよ! イサに女装してもらえばパートナー問題も解決だ!」
言って、エキディウスが先ほどから片手に持っていたらしい魔術バッドをジャンの顔に突きつける。
だがジャンは至極嫌そうな渋面だ。それに、何やら聞き捨てならない言葉も聞こえた。
「じょ、女装……?」
「イサは小柄だし、他の野郎どもみたいにゴツくねえから、絶対バレないって!」
エキディウスが魔術パッドを指差し、それからイサを指差した。イサはわけがわからずその場で目をぱちりと瞬かせることしか出来ない。けれど、ジャンとは目が合った。彼は戸惑うように瞳を揺らし、一度視線を外したかと思えば再びイサに目を戻すという不可思議な素振りをしている。
「だ、だが……」
「なあイサ、ちょっと来てくれよ。頼みたいことがあるんだ!」
「頼みたいこと? 何でしょうか?」
「まあまずはこれ、読んでみてくれ」
イサが近寄っていくと、エキディウスが魔術パッドに表示している文面を見せてくれた。イサは一番上の行から読み進めていく。
「定期代表統合会談のお知らせ……?」
「ああ。定期的に王都で国内各施設の管理者が集まる会合があるんだよ」
エキディウスの説明によれば、シュトゥールヴァイセン国では年に四回ほど、国内に百五十カ所ほどある国家運営施設の代表達が集まる会が催されるそうだ。基本は施設の運営報告や人事通達くらいのものだそうだが、なぜか今回に限り少々違うらしい。
「厄介なことに今回は「パートナー同伴で」って条件が課せられてるんだよなぁ」
「何か理由があるんですか?」
イサが聞けば、エキディウスは困ったように頭を掻きながら苦笑した。ちなみにジャンはと言えば、エキディウスが説明をしている間も今も、ずっと視線を床の斜め下くらいに向けて気まずげな顔をしている。
「理由つーか、嫌がらせっつーか……」
「嫌がらせ?」
イサが首を傾げると、エキディウスはしまった、という表情を一瞬浮かべた後、すぐにからりと笑って見せた。
「いやまあ、それは追々話すとして。うちの案内所の場合はジャンが行くんだけどさ、コイツ女嫌いじゃん? だからどうしたもんかって話してたんだけど」
「え……もしかして、女装って」
「ご明察ー! イサ、この通りだ頼む! 女装してジャンのパートナーとして会合に出てくれ!!」
「えええっ!?」
エキディウスはそう言って、魔術パッドを持ったままの両手を合わせてイサに頭を下げた。ジャンはそれを難しい顔で無言で睨んでいる。
(わ、私の場合女装って言うのかな……!? でも会合に出るとか、王都とか、緊張してやらかしそうで恐いんですが!)
どう返事をしたものかイサが逡巡していると、いつの間にかイサを見ていたジャンと目が合った。彼は黙ったまま首を横に振ると、ふうと軽く息を吐いて「やらんでいい」と一言告げる。
「エキディウス、業務内容に含まれていないことをビルニッツさせるのは労働契約に違反する。統括長としても認められん」
「けどそれじゃあお前が向こうで困るだろ。またあの馬鹿どもに何言われたもんだか」
「それは俺の問題で、ビルニッツには関係ないことだ」
「だからって」
なおも言い募ろうとするエキディウスを片手間に流しながら、ジャンはもう話は終わりだとばかりに魔術パッドを操作し始めた。
「ビルニッツ、戸惑わせて悪かった。もうデスクに戻って良いぞ」
一瞬、ちらりと視線だけを寄越してジャンがイサに告げた。それに、イサの胸がずきりと痛みを訴える。
(関係、無い……)
イサを遮断するようなジャンの言葉に、正直なところ心に大きなショックを受けていた。少しは近付いたと思っていたのに、一気に突き放されたような気がして、思わず手を強く握りしめてしまう。
イサはもう行けと言われたのに足を動かすことが出来なかった。このまま立ち去りたくなくて、その場に縫い止められたように固まってしまう。
自分を、ジャンに関係の無い人間だと思っていて欲しくなかった。
「あの……やります、女装」
「え?」
「何だと?」
イサの口を突いて出た言葉に、二人が同時に顔を向けた。
「自分で良ければ、ムール統括長のパートナーとして、会合に行きます!」
ジャンの薄氷色の瞳が、普段より大きく開いてイサを見た。




