イタ電ならぬイタ念
「お、お客様、如何なさいましたか?」
「…ふーっ、ふーっ」
(き、気持ち悪いいいいい!)
内心悲鳴を上げつつだがイサは冷静に「お客様?」と呼びかけを繰り返した。
明らかにイタズラ念話だと思うが断定は出来ない。
相手が魔物から混乱の呪いなどを受けていた場合、普段はまともな人でもおかしな言動をしてしまう場合があるからだ。
なので、こういう念話は故意かそうでないかを判断する必要がある。
「お客様、大丈夫でしょうか。何らかの呪いの影響などはございますか?」
「ふ、ふふ、心配、してくれるんだ……? おれのこと……っう」
(ひええええええっ!!)
しかしながら、野太いおっさんの荒い息遣いや時折混じる喘ぎ声、おまけに妙な粘着質な水音となれば、何をやっているかは明白だ。
別にウブなわけでも何でもなく、イサは最初意味がわからなかった。元の世界で女性ばかりのコールセンターにいたころは、割と日常茶飯事だったので嫌々ながらも慣れていたが、案内所は男性限定というのもあり意識からは外れていた。けれど実際業務についてみると、思いの外かかってくるのだこれが。
今回のように男性目当ての男性だったり、イケメンボイス目当ての女性冒険者であったりとパターンは様々だ。
なのでイサは悟った。イタ電ならぬイタ念は、どこの世界でもあるのだと。
しかしだからといって、慣れはしても気持ち悪いことに変わりはない。
「はぁ…っ、君のお尻、きっとすべすべで…綺麗なんだろう、なぁ…っ」
(ぎゃああああああ!!!)
喘ぎ声混じりに言われて、イサはぞぞぞ、と背中に怖気が走った。思わず立ち上がりそうになり、腰が椅子から軽く浮く。けれどその時、イサの頭からヘッドセットがすぽんっと消えた。
「へ?」
どこか既視感を感じながら顔を右に向けた途端、視界に入ったのはブリザードを背中で吹雪かせたジャンだった。また彼にヘッドセットを奪い取られたらしいと気付いた頃には、ジャンがイサのヘッドセット片手に話し始めていた。
「お念話変わりました。案内所責任者、ジャン・ムールです。お客様、これ以上の営業妨害は相応の対応となるが宜しいか」
言いながら、薄らと笑みを浮かべるジャンの背中では氷の風が舞っている。きらきらと輝いているのはダイヤモンドダストだろうか。
美しいが、あまりの冷たさに空気中の水分が凍りついてしまっているのを見てイサの顔が思わず引き攣った。
(な、何か怒っていらっしゃるうううっ!)
びくつきながらジャンの対応を見守っていると、すうっと一気に周囲の温度が氷点下にまで落ちていったのがわかった。あまりの寒さにイサも、イサの三つ隣ぐらいの案内人達までもが震えている。
ジャンの強い怒りが冷気となって彼を中心に空気を冷やしたのだ。
「貸せ、だと……? 貴様……心臓もろとも氷漬けにして欲しいようだな」
低く、重い声音がジャンの口から吐き出された。それに、イサ達案内人がひゅっと身を縮こまらせる。どうやら客が何かジャンの逆鱗に触れるようなことを言ったらしい。
その証拠に、ジャンが片手で持っているイサのヘッドセットと念話機が氷に覆われ始めていた。
「ふむ、貴様の名がわかったぞ。オンロ・バートンか。リビエラ地区セルネーリア通り三十一番区画。妻子持ちが若い男子目当てにイタ念か。嘆かわしいとはこのことだ」
氷点下の怒りを迸らせたかと思えば、ジャンが淡々とおそらく顧客の個人情報らしきものを口にした。イサが吃驚していると、視界の隅でひらひらと動くものがあった。目を向ければ、フロア奥にいるエキディウスが笑顔でジャンに手を振っている。
どうやら彼が念話の逆探知をしたようだ。
「なぜわかったかだと? 案内所は国の機関だ馬鹿者め。そんな場所にイタ念など阿呆の極み、愚の骨頂だ。後ほど自宅に騎士団から人員が派遣されるだろう。妻子への言い訳を考えておくんだな」
冷たくそう言い放ったジャンに顧客が何やら叫んでいるようだが、ジャンは無表情でそれを聞いている。エキディウスのように相手を総無視するのもすごいが、こうやって冷徹に聞き続けるのもそれはそれで恐いとイサは思った。
「黙れ痴れ者め。案内人への妨害は他の客の命に関わる場合もある。悪戯では済まされない。身をもって思い知るがいい」
そう言い終えると、ジャンは念話を終了させてヘッドセットをイサのデスクの上に置いた。
イサはじっとそれを見ていたが、ふいにジャンがこちらを向いたので慌てて頭を下げる。
「あ、ありがとうございましたっ」
「……いや」
短くそう告げたまま、ジャンがイサを見つめた。薄氷色の瞳にじっと見つめられて、イサは一瞬ドキリとしたが、何か言われるのだろうかとそのまま黙って待つことにした。
するとジャンがすっとイサに向かい手を伸ばした。
と同時に、イサの片耳―――右耳が、ジャンの手に塞がれた。
(え?)
瞬間、わけがわからずイサはぽかんとした。その隙に、ジャンがすっと腰をかがめてイサの左側に顔を寄せる。
「君に、他の男の声を聞かせたくないな」
唐突に近付いた距離に驚いていたら、さらりとそう言われた。
イサが言葉の意味を理解しようとした時には既にジャンは身を離し、その後何事も無かったように、背中を向けてフロアの奥へと歩いて行っていた。
(……っ)
ジャンの台詞を数拍置いてから咀嚼したイサの顔が熱気で暴発した。
彼の囁きをまともに浴びてしまった方の耳を思わず片手で押さえ、俯いたままなんとか念話待機の姿勢を取る。
(な……何アレ!? 何今の!?)
頭は混乱のお祭りと化している。あまりに突然だった。ふいにも程がある。
それも台詞には含みがあり過ぎて、まるでジャンが嫉妬しているかのように聞こえた。
いやまさか。けれど、とイサの脳内が様々な思考に浸食されていく。
そのせいでさきほどの気持ちが悪い念話の事など頭から消え去っていた。
イサはその後どうにか暴れ狂う鼓動を押さえ、業務を続けた―――が勿論、その様子をユッタ含め何人かの案内人が目撃していたことは、言うまでもなかった。




