魔石シャワー大事件・後編
(脱衣所からして規格外だとは思ったけど、ここまでとは……!)
イサは浴室に入るなり顔が引き攣ったのを感じた。
(一体どこの王宮なんだここは……)
お風呂セットを片手に、裸で一人途方に暮れる姿は自分でも間抜けだと思った。
豪華過ぎた脱衣所からしてある程度予想はしていたものの、中はまさかのそれを凌駕していたのだ。
というよりも、これを浴室と言って良いのかどうか、イサは迷った。
少し仄暗い浴室内はイサが元の世界で見た大衆浴場の十倍はある。形は丸い半月型で、ちょうど曲線に当たる部分が翡翠の浴槽になっていた。その周りを深い青に所々金色が混じった石の壁がぐるりと覆っているがあれは確かそう、ラピスラズリという宝石の色合いだ。壁が宝石。異世界ならば不思議はないのだろうが、日本で育ったイサからすればとんでもない世界だ
(ひええ……! あの柱とか! 何か色々嵌まってるんですけどおお……!)
左右に等間隔で並ぶ太い円柱にはアラベスク柄が彫り込まれ、所々にとりどりの宝石が嵌め込んである。あれ一つでおそらくイサの給料の何十年、どころか百年分くらいありそうである。
「うう……ここまで来ると暴力に近い気もするけど……と、とにかく、お風呂なんだから! 入るものなんだから! うん、そうそう! ……でも汚すの恐いぃ……」
何とか自分に言い聞かせるが、美術品のような浴場で自分の垢を落とすというのがあまりにも場違いな気がしてしまう。しかし、イサの目の前では翡翠色大理石の浴槽で白い湯気がほわほわと立ち上っている。浴場内はほどよく温かく温度も保たれているようだ。
(ええい、入ってしまえばきっと大丈夫……!)
意を決して、イサは全身綺麗に洗い終わってから浴槽に足を付けた。かけ湯をする際の桶がオーロラっぽい色だったことなどはこの際見て見ぬふりをしておく。
「あったかい……癒やされる……」
入ってみれば浴槽はごく普通の(?)大理石だった。広さは尋常ではないし、ほとんど泉の規模だが、海外の映像でこういった感じのお風呂を見たことはあったので、精神的ダメージはまだマシだ。風呂の中に円柱があるところなどはローマ風呂を思わせる。ので、イサは観光地にいる気分になろうと自分に暗示をかけた。
(リゾートホテルだと思えばなんとか……というか、ムール統括長もここのお風呂使ってるんだよね……?)
湯船の縁に後頭部を乗せて、イサは天井を見つめてぼんやり考えた。壁と同じくラピスラズリの天井には星形のランプが灯っている。
(いや似合い過ぎない……? そりゃ王子様らしいから似合って当然なのかな……? でもただの噂らしいし……そんなの関係なくムール統括長は格好良いけど)
王子であるかは別にして、この異国情緒溢れる風情とジャンはこのうえないほど似合っている気がして、イサは考えてはいけないと思いつつも勝手に脳内が展開させる光景に顔を赤くした。
(いや!! セクハラだから! 駄目だから!! 上司相手に何考えてるんだ私は!!??)
ばしゃりと両手で顔面に湯をかけて、悶々とした脳内を吹き飛ばす。
これではまるで中学生男子だ。いや偏見かもしれないが。
(じゃなくて、どうして私はムール統括長のこと考えてるんだろう?)
ここ最近、やけにジャンと関わる機会が多かったからだろうか。
あの出張案内以降、イサとジャンの関係は確実に変わった気がしている。ただの上司と部下というより、もう少しだけ近くなったというか。今日合った出来事も含めてだ。
「今日も助けてくれたし……出張案内でも、念話の時も……ずっと」
一番始め、イサが念話切断でトラブっていたのに気付いてくれたのはジャンだった。そして出張案内では身を挺して庇ってくれようとした。イサの性別が女だとわかっても、クビにせず困った時は頼れと言ってくれて、念話で呪われかけた時もヘッドセットを奪い壊してくれたのはジャンだった。
今日も結局助けてくれたのはジャンだ。イサは、ジャンに助けられてばかりだ。
「私も、何かムール統括長に……何か、したいなぁ……」
熱くなった頬を押さえて、虚空に呟く。
今日のジャンは彼には珍しく取り乱していた。彼の反応から、心に何かを抱えているのだろうことは聞かずともわかる。イサは、もしそれを少しでも軽く出来るのなら、自分に何か出来ることがあるのなら、何でもしたいのにと思う。
その気持ちがこれまでジャンにお世話になった事への恩返しからくるものなか、違うものも含んでいるのか、それはまだイサにはわからない。
だけど、何かしたい。と思う。ジャンの為に。本当は誰より優しく、イサの気持ちを慮ってくれたジャンに、彼が笑顔になれる何かをしたい。
「何か……無いのかなぁ……」
白い湯気にイサの心が溶けていく。この気持ちは何なのか。ジャンのことを思うと、胸が高鳴る時もあれば、温かくもなるのだ。
「―――誰かいるのか?」
そう、ジャンのことを考えていたからだろうか。
彼の声が聞こえた気がした。
「え?」
「は?」
考え事をしていたイサは、浴室の扉が開いた音に全く気が付かなかった。そのせいで、「彼」がすぐ側に来るまで、ぼけっと天井を眺めたままだったのだ。
首を元に戻し、声がした方向……湯気の向こうを見る。
そこには上半身裸で腰に白いタオルを巻き付けた銀髪の麗人、ジャンがいた。
「ムール統括長?」
「ビルニッツ」
一瞬、二人の間で時が止まった。気がした。
ジャンですら驚いた顔でその場に固まっている。イサなど湯船に浸かったままだ。
だがこの場合は浸かったままで正解だったといえる。
ジャンも、イサも、互いに状況が飲み込めず硬直していた。
時間にしてはコンマ数秒程度だったろうか。驚愕の表情を浮かべていたジャンの顔が、眉間に深い皺を刻んだ状態に変化した。
「……なぜ君がいるんだ」
そして、あからさまに不機嫌、いや怒気すら纏った空気を漂わせながらイサに問う。
「え、と」
イサはゆっくり湯船に首まで沈みながら、喉から声を絞り出した。視線が泳いでいるのは目のやり場に困っているからだ。白衣を着ていないジャンの視覚的破壊力は凄まじい。細身に見えてしっかりした肩や筋肉質な胸板が惜しげも無く晒されている。
節ばった腕や白いタオルから覗く大腿筋がどこからどう見ても成人男性のそれで、そのうえ首元に流れる銀髪が彼の匂い立つ色気を増長させていた。
(ひいぃっ視覚の暴力……!)
大人の男の色気に当てられながら、イサはなんとか声を絞り出した。一体どうしてこんな状況になっているのか、てんでわからない。
「つ、使って良いと言っていただいたので……」
「そういう意味じゃない。札が掛かっていなかったと言ってるんだ」
イサの返事に間髪入れずに帰ってきたジャンの返事は、まさしく真っ当なものだった。
「あっ」
(わ、忘れてた……!)
ジャンの指摘に気が付いたイサは一瞬で血の気が引いた。体温が高温から低温へ急行直下する。入浴時には札を掛けるように言われていたさっぱり忘れていた。つまり、札が掛かっていないイコール、無人。そう思っていたジャンからすれば、確かに何故イサがいるのか状態だろう。
「も、申し訳ありません……!」
「忘れたんだな」
「はいぃ……」
謝罪すれば、ジャンは盛大にため息を吐いてそう言いながら後ろを向いた。イサは自分のやらかしに絶望しながらがくりと項垂れる他ない。善意で入浴許可を出してくれたというのに、また失敗だ。それも致命的なミスをしてしまった。ただでさえイサは性別を誰にも知られてはならないというのに。
「俺は外で待っているから、さっさと済ませ―――っマズい」
背中越しにそう言っていたジャンの様子が突然一変した。彼はくるりとイサの方に向き直ると、何を思ったのか素早く湯船に入ってくる。
「え、ええっ?」
「誰か来る! 君は奥へ行け!」
上司の行動に目を剥いたイサを無視してジャンが必死の形相で言い放つ。ジャンに肩をぐいぐい押されたイサは、目を白黒させて慌てふためいた。湯が跳ね上がり、飛沫が顔にかかる。
「えっ、あああのっ」
「急げ! 頭を低く、首まで浸かっていろ!」
(ひえええっ! 一緒にお風呂に入ってるううう!)
イサの内心の叫びを余所に、ジャンはイサを湯船の一番奥にある壁と円柱の影に押し込めてしまう。それと同じくして、ガチャリと扉が開く音がした。
(えっ!? また!?)
イサは立て続けの侵入者に驚愕した。それもこれも、自分が札をかけ忘れたせいだ。しかし、ジャンが入ってきた時に彼は札を掛けなかったのだろうか、と束の間疑問に思う。
「よお! やっぱジャンか。一緒に入ろうぜー!」
そう考えたところで、聞き慣れた声がした。
(え、エキディウスさん……!?)
円柱の影でイサが驚いていると、イサを隠すように柱の前にジャンが移動した。彼は胸辺りまで湯に浸かり、エキディウスからイサが見えないようにしてくれている。
イサは後ろを壁に、横は柱に、前方はジャンの背中に隠れる形になっていた。
「エキディウス、お前がなぜ入ってくるんだ! 入浴中の札があったはずだろう!」
「あったぜ? でも籠にお前の白衣があったからさ、解除しちまった! たまにはお前と裸の付き合いをしようかと思ってな」
「迷惑だ!」
激高するジャンにエキディウスはけろりと言い放つ。イサは苦笑した。
(あはは……エキディウスさんらしい……っわ)
「まあそう言うなってー! 男同士、ゆっくり語り合おうぜジャンー!」
「来るな馬鹿者!」
(ぎゃああ来ないでエキディウスさん!)
ジャンの制止を無視したエキディウスが勢いよく湯船にダイブしてきたせいで、湯が大きく波打ちイサの身体が傾いた。あわや顔が沈む、と思ったところで、右腕を何かに掴まれる。
(わっ……)
イサの腕を掴んだのはジャンだ。彼は咄嗟に後ろ手でイサの腕を掴んでくれていた。そしてイサが体勢を持ち直したのを察すると、すぐに手を離す。
「ふぃ〜〜、生き返るねえ」
しかしイサの願い空しく、エキディウスはジャンの目の前、ちょうど人一人分空けた場所に座り込んでしまった。
彼は呑気に風呂の感想を呟きながら、両手で湯をすくい上げるとそのまま顔を洗い始める。
まるで仕事上がりのサラリーマンだ。そうジャンの肩越しにエキディウスを観察していると、全身が何かに包まれる感覚がした。まるで薄いシーツに包まれたみたいだった。
(あ……これ、隠してくれてるんだ……)
驚きながらイサが自分の肌に目をやると、ほんのり淡く発光していた。どうやらジャンが術をかけてイサの身を隠してくれているようだ。でなければ、剣士であるエキディウスに容易に気配を悟られてしまうからだろう。
けれど、イサはここにきてあることに気が付いてしまった。
(駄目だ……身体がすごく熱い……)
そもそも考え事をしていたせいで結構な時間湯船に浸かっていたのだ。イサの身体はのぼせはじめている。そのうえ、イサは壁と柱、ジャンと三方を囲まれているせいで熱の逃げ場が無い。
(頭……ぐらぐらしてきた……)
思考がぼやけてきたイサは無意識に前方にもたれかかった。前に居るのはジャンだ。彼の背中にぴたりとくっつくと、イサの胸がむにゅりと潰れた。
「っ……」
一瞬、ジャンの身体が強張ったような気がしたが、それよりイサは段々霞がかっていく意識の中でジャンのことばかり考えていた。
(失敗したのは私なのに、こうやってまた庇ってくれるんだもんなぁ……良い人過ぎるよ……)
札を掛け忘れたのはイサなのに、エキディウスにバレないよう術までかけてくれているジャンの人の良さが好ましくて、イサはついすりすりと甘えるようにジャンの背中にすり寄ってしまった。
途端、びくりと彼の肩が震えた気がした。それからまるで返事をするかのようにジャンが後ろ手でイサの腕をするりと撫でていく。
イサは茹だった頭でその心地よさにうっとりと瞳を細めた。
「ん? ジャンお前なんか顔が赤くないか?」
「……のぼせただけだ」
ジャンの背中にもたれたままのイサの耳に、二人の会話が聞こえてくる。普段より少し口調が砕けているのは、二人が友人関係だからこそなのだろう。
「お前が? こりゃまた珍しいこともあったもんだなぁ」
「やかましい」
ジャンがにべもなく言い放つのを、エキディウスはくつくつ笑って受け流している。勝手知ったるといった風だ。イサはジャンとそんな風に会話が出来るエキディウスのことを羨ましく思った。
(いいなぁ……私もムール統括長と、もっといろんな話ができたらいいのに……)
「話は変わるけど、お前さぁ………あいつ、イサのこと、気に入ってるだろ」
「は?」
(ん……? わたし?)
急に飛び込んだ自分の話題に、朦朧としたイサの意識が僅かばかり正気を取り戻す。エキディウスは本人がその場に居るとも知らず続けた。
「だってよー。何かと世話焼いてやってるじゃん。案内所に入ってからずっと他の奴らより圧倒的に話しかけてるし」
「そんな事実はない。断じて」
「あのなぁ、おれがお前と何年一緒にいると思ってんだよ。お前がイサを気にしてることくらい見てればわかるって」
呆れたような口調で言うエキディウスに、ジャンは暫し黙り込んだ。それにじっと耳を澄ませながら、イサは自分がジャンにどう思われているのか、しきりに気になってくる。
「かの……いやビルニッツは、案内人としては一番の新参だ。配慮するのは当たり前だろう」
「配慮、ねえ? いやぁ〜、俺はそうは思わんがなぁ。イサと話してる時のお前の顔、いつもと全然違うぜぇ? ま、気持ちはわかるがな。イサは素直だし、小柄で華奢なとこなんてまるで女みたいに可愛いし。あの瞳も良いよなぁ、どこの国出身か知らんけど、あの澄んだ黒い目で見つめられると流石の俺でもドキッと……」
「っ黙れ!!」
軽口を叩くエキディウスを突然、ジャンが怒鳴りつけた。その声に驚いて、イサですらびくりと身体が跳ねてしまう。
(びっ……くりした)
「きゅ、急にどうしたんだよ、ジャン」
案の定、エキディウスも戸惑いを隠せずにいるようだ。そんな彼に、ジャンは大きくため息を吐き出し、自分を落ち着かせるように呼吸を数回繰り返してから、口を開いた。
「……そういう話は、ビルニッツに対して無礼だろう。仕事に真剣に取り組んでいる者をそんな風に言うな。俺の顔が違うというのなら、それはビルニッツの姿勢が真摯だからだ。俺はそれに応えているに過ぎない。だというのに能力以外のことを持ち出して、ビルニッツを侮辱するな」
ジャンがエキディウスに真剣な、やや怒気の混じる口調で告げた。
「そんなつもりは……わ、悪かったって」
「それとエキディウス。今日お前は執務官との定例会議があったんじゃなかったのか。そろそろ時間だぞ」
それから間断無くそう続けると、「あ」というエキディウスの声がすぐに聞こえた。
「やっべえ! 忘れてた!」
「はあ。さっさと行け」
「おう、悪かったよジャン。またあとでな」
「……ああ」
呆れを滲ませるジャンに謝罪を告げてから、エキディウスは来た時と同じように嵐の如く浴場を出て行った。イサはぼんやりした頭でそれを聞きながら、彼は身体を洗いにまた入ることになるんだろうなぁととりとめなく考える。最早思考が定まっていない。本当に限界のようだ。
「行ったぞ。もう出てきて……おいっ!? 大丈夫かっ」
ジャンが振り返ろうとした時、イサの身体がずるりと崩れ落ちた。
彼の焦った声を聞いたのを最後に、イサの意識が闇に沈んでいく。
イサは裸のまま、ジャンの腕の中に倒れ込んでいた。




