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バレるな危険


「着いたぞ。近くにはいないようだ」


 転送陣で移動したイサ達は、風が吹き荒れる崖の上にいた。


 まだ昼頃なせいか周囲は明るいが、見渡す限りにむき出しの茶色い地面が広がっている。


 いたる所にごつごつした岩や石片が落ちており、強く吹き付ける風で今にも身体が飛ばされそうだ。


 舞い上がる土埃が鼻腔に入り込んでくるのが地味に鬱陶しい。


「念話中に走っている様子でしたので、移動したのかと……っくし!」


 くしゃみをしながらイサは答えた。

 風で前髪が目に入りそうになるのを片手で押さえる。


 イサ達が転送された場所は、シュトゥールヴァイセン国内でも北東奥部に位置するディスパニア地方・山岳地帯の山頂付近だ。


 視界に移るのは灰色がかった空と切り立った崖ばかりで、標高は千をゆうに超えているだろう。


「っち、これでは襲ってくれと言っているようなものだ」


 厳しい顔で周囲の警戒をしていたジャンが吐き捨てるように言った。


(確かに。ここ、格好の的になってる……)


 イサ達が居る場所は中心部が少しだけ拓けていた。しかし歩ける場所は限られている。


 周りを取り囲む尖った岩の向こうは断崖絶壁で、全体的に足場は悪いうえ大した遮蔽物も逃げ場も無いとくれば、ジャンが毒づきたくなるのも仕方がない気がした。


 冒険者とは総じて無鉄砲な人間か、もしくは必要に駆られた人間がなるものだとイサは思っている。

 どうやら今回の客は前者のようだ。


 生活のために命を賭けているタイプの冒険者なら、もっと自分が戦いやすい場所フィールドを選ぶ。それこそ身を隠せる遮蔽物があり、退路として使える逃走ルートがあるような場所だ。


 今回の客はそれとは全く違う。つまり、今イサ達が探しているのは己の力量すら図れない未熟者、というわけだ。


 月食期での一儲けを狙った新人冒険者かもしれない。

 まったくもって迷惑な話だとイサは内心ため息を吐いた。


「この足場の悪さではそう遠くには行っていないだろう。面倒だが探すぞ」


 長い銀髪が風に煽られるのも気にせずジャンが指示を出した。彼は早々に客の無謀さを察したようで、むすりと不機嫌そうに歩き始めていく。


 イサも警戒しながら視線を走らせ、客の姿を探した。腰くらいの背丈の尖った岩が群れを成す場に目をやれば、向こう側にイサ達が出た所よりももっと大きく拓けた場所を見つけた。


 奥に見えているのは岩の洞穴だ。大人三人ほどが横に並べるほどの直径がある。おそらくドラゴンが巣として使っている場所なのだろう。今気配が無いのは客の冒険者を追いかけていったからだ。


 客はともかく、転送術での出会い頭にドラゴンと遭遇しなくて良かったと思いながら、イサは小声でジャンを呼んだ。


「ムール統括長……!」


「どうした」


「巣がありました!」


 イサの声を聞いたジャンがすぐさまやってきた。そして眉を顰めながらドラゴンの巣を見据える。


「愚かにも卵を狙ったか……巣の大きさからしてそこまで古い奴ではなさそうだが。こちらが客を見つける前に気付かれると厄介だ。なるべく音を立てずに静かに、気配を殺して動け」


「は、はい」


(って、無茶言うなぁ……)


 頷いたもののイサはジャンの命令に苦虫を噛み潰す気持ちだった。

 なにせこちらは戦闘の素人なのだ。


 案内人オペレーターとなった際に一通りの戦闘訓練は受けたものの、出張案内は専門士がいるからと言い訳程度にしか教えてもらっていない。気配を殺すなど到底不可能である。


 まあ、ジャンは統括長というだけあって戦士としての能力も相当高いと聞いている。彼からすれば出来て当たり前なのかもしれない。


「向こうの岩壁に何かが擦れた跡があった。恐らく逃げる時にぶつかったんだろう。あの辺りを探すぞ」


「承知しました」


 ジャンが客の痕跡を見つけていた。指摘された灰色の岩肌を見にいくと、確かに黒く擦れたような跡が付着していた。


 まるで誰かが岩にぴたりとくっつきながら移動したようだ。というより、実際そうなのだろう。


 跡は岩肌を這うように真っ直ぐ先へと続いている。


 ジャンは痕跡を辿りながら歩みを進めていった。彼の長い銀髪が風に煽られ四方へと散らばっている。


 鬱陶しくはないのだろうか。


 イサは目の前を進む白衣の背中を見つめた。真っ直ぐ伸びた背筋は神経質そうで、実際その通りだ。


 念話が切断されたことに真っ先に気付いたのもこのジャンだった。


 彼は案内所の端から端までさながら鷹のごとく目を配っている。そのうえ地獄耳だと他の案内人が称していた。つまり統括長の肩書きは伊達ではないのだ。


 イサはジャンの腰できらりと光る銀剣に目をやった。


 細身の割にしっかりした幅のある腰には銀色に輝く月晶剣カウム・ディが帯剣されている。


 呑気にも綺麗だなと思ってしまうが、同僚のユッタから聞いた話では、ジャンの剣は月光が結晶化し刀身となったものだそうだ。最初は「光が結晶化って何だそれ」と思ったが、ここはそういう世界なので無理矢理に納得した。


 しかもこの武器、外見はつるぎに見えるが、その刀身は幾重にも重なった刃の連なりであり、芯であるワイヤーを調節することで蛇腹じゃばら状のむちへと変化し敵を仕留めるらしい。

 使い手と同様、美しいが冷酷無比な武器だと聞いている。


(むしろ、女だってバレてクビならまだ良い方かも……)


 イサは自分がジャンの剣のさびになるところを想像してぞっとした。


 ただの規則違反だけであればクビになるだけで済むだろうが、理由が「女だから」というのが余計にまずいのだ。


 ことこの上司に関しては。


「ビルニッツ。客だが、性別は男か」


 背中越しに聞かれて、イサはぎくりとした。振り返らない白い背を観察しながら、慎重に返事をする。


「……はい。男性です」


「ならいい。女は好かん」


 吐き捨てるような言葉に、イサは内心「はは……」と乾いた笑いを零した。


 その大嫌いな女と一緒に今あなたは出張案内に来ているんですよーなどとは、口が裂けても言えない。


 言ったら確実に腰の剣で仕留められる気がした。


(何がなんでも、バレないようにしよう……)


 ジャンの髪が陽光できらきらと輝くのを見つつ、イサは元の世界ならトリートメントのCMに出れただろうに、とほんの少しだけ現実逃避した。


***


「『鉄壁』に耐火水と耐毒を付与したと言っていたな。ディスパニア地方では山岳部にヴェロアマジェス《硫仙酸竜》の生息が確認されている。奴らが吐く体液には重度の硫酸が含まれているが、耐硫酸効果は付与したのか」


「し、していません……!」


 捜索を続けながらジャンに詰問され、イサの胃がぎゅうと縮んだ。


 言われて今更ながら致命的なサポートミスに気付く。


 調べる時間が無かったとはいえ、各地方の代表的な魔物の特徴は案内人として覚えていてしかるべきだ。


 確実に、イサの知識不足が原因である。

 女バレ以前に業務上の過失でクビになるかもしれない、と思わず青ざめた。


「……検索の暇が無かったのだろうが、地元では子供でも知っている話だ。勉強不足だったな。まあ、耐水の効果でしばらくは防げるだろう。余程の阿呆でなければ客自身も装備をしているはずだ。生きていることを祈れ。それと、帰ったら始末書を覚悟しろ」


 少し間を置いてジャンが背中越しに続けた。イサは彼には見えないのを知っていたが、その場で深く頭を下げた。


「承知しました! 申し訳ありませんでした……!」


 クビではなく始末書と言われ、イサは内心安堵した。同時に反省する。

 ほっとしている場合ではないのだ。人の生死がかかっているのだから。


 ただ単に首の皮一枚繋がっただけとも言えた。


 仕事に就く前にきちんと雇用契約を結んではいるが、案内人がクビになることはそう珍しい事ではない。

 客の死イコール、業務上過失致死の罪に問われる場合があるからだ。


 しかし魔物の討伐に向かった時点で、客つまり冒険者自身の自己責任である部分も大きいため、余程の事がない限りは適用はされない。

 それでも二年か三年に一度くらいはクビになる人間が出るらしい。


 イサはまだ見たことがないが、先輩案内人がそう言っていた。

 といっても、この出張案内が無事に終わるまではイサがクビになる可能性は大いにある。

 客の無事はもちろんのこと、イサは自分の身の無事も祈るほかないのだ。


「イサ・ビルニッツ、謝罪は客に言え。それと、自覚があるようだが君は他の案内人達より格段と知識が劣っている。案内所に来るまでは箱入りだったと聞いているが、そればかりは地道に身につけるしかあるまい」


 先を歩くジャンが少しだけ顔を傾け、視線だけを流して言った。その目には責めているというより、部下に淡々と指導をする上司の義務感が表れている。


「はい……」


 イサが他の案内人達より無知である理由は、箱入りだったせいではなく別にある。が、それを説明するわけにもいかず、イサは返事をしつつも内心項垂れた。


(まさか別の世界から来たからです、なんて言えないしなぁ……)


 案内所ではイサは『貴族の箱入りお坊っちゃま』として認識されている。


 そうなってしまったのはイサの保護者になった人物が原因だったりするのだが……いやそもそも、すべての元凶がその人物にあるのだが、これは今更言ってもどうにもならない。


(全部あのロクデナシのせいで……!)


 この世界へ来る羽目になった諸悪の根源を脳内で罵倒していると、ふいにジャンが立ち止まり後ろを振り返った。


「わ、ととっ」


 突然の制止にイサの足がたたらを踏んだ。


「……三ヶ月前、配属された当時の君はどこの世間知らずかと思うほどものを知らなかった。ビルニッツ家の縁者であると聞いて納得はしたが。それにしても、知らなさ過ぎる」


 慌てて立ち止まったイサがそろりと目を上げると、ジャンが氷色の瞳を眇め彼女を見据えていた。


 凍てつくような冷たい虹彩の中には、疑惑の文字がありありと浮かんでいる。


(う、疑われてる……!)


 イサの背中に嫌な汗が流れていく。

 完全に不審がられている。


 この上司は目端が利く。そのうえ有能で、鋭いのだ。厄介なことに。


「え、ええとっ……末っ子だったのでっ、その、とても甘やかされまして……!」


 適当に思いついた言い訳を答えてみたが、しどろもどろな口調に余計怪しさが増した。


 焦りのせいか手のひらにじわりと汗を掻いた。頼むから納得してくれ、とひたすら祈る。


「……まあいい。俺は向こうの岩陰を探す。君はあちらを」


 ジャンはイサの真意を図るようにじっと無言で視線を寄越すと、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らし指示を出した。


「は、はいっ……っわ!?」


 ジャンが話題を変えてくれたのにほっとして、名誉挽回のためにも早く客を発見しようと指示通りの方向に歩もうとしたイサは、間抜けにも足元にあった石に躓いた。


 慌てたせいで足元が見えていなかった。思い切りぶつけた足先が痛い。

 何よりも身体がぐらりと大きく傾いていく。しかも前のめりに。


「っ」


(ぎゃーっ! 顔面強打!!)


 急速に迫る岩の地面に、咄嗟にイサは怪我を覚悟した―――がその時、異変が起きた。


「……あれ?」


 気がつけば、地面と顔が出会うまであと少しというところで視界が停止していた。

 同時に、腹の部分をぐっと圧迫しているものがあった。


 腰にしっかりと巻き付いていたのは、腕だ。

 それも白い服を着ている。


 着衣越しにもわかるしなやかな筋肉の感触に、イサは一瞬「はて? これは誰のものだ?」と混乱した。


 ゆっくりと首を持ち上げ救いの主を見れば、迫力のある秀麗な顔が至近距離にあり思わず硬直する。


(近っ!!)


 咄嗟にそう思った。

 ついでにジャンの規格外に長い睫毛と彫りの深さに圧倒される。


 美は時として暴力になる、とイサは明後日な感想を抱いた。


「気をつけろ」


「は、はいぃ……」


 情けない返事をするイサの身体をジャンが起こし立たせてくれる。

 彼は呆れた様子でイサを見下ろしていた。


「君はいつも注意力が足りない。改善しろ。それに軽すぎる。もっと鍛えるべきだ」


 氷色の瞳に冷たく見下ろされ苦言を呈される。

 これには流石のイサも項垂れた。


「申し訳ありません……」


 顔を伏せて謝罪を口にする。目の前に立つジャンの顔が見られなかった。


 びゅう、とやや冷えた風が二人の間を吹き抜けていく。


 イサは自分への落胆と悔しさで無意識に唇を噛みしめていた。

 案内のミスをしたうえ、上司に手間までかけさせて。こんなのただの足手まといだ。


(私って情けなさすぎる……!)


 自己嫌悪に陥るイサをジャンが無言でじっと見下ろしている。視線を下げたイサの視界で、ジャンの白衣の右手がぴくりと動いたような、気がした。


「……だが、周囲が見えなくなるほど目の前にある事に尽力する、その姿勢は買っている」


「えっ?」


 ぎりぎり風に吹き消されない程度の声がした。


 それでもちゃんとイサの耳には届いていた。


 届いていながら一瞬、ジャンの言葉の意味が理解できなかったのだが。


 けれど褒められたと分かった瞬間、弾かれたように顔を上げる。

 目を丸くしてジャンの顔を凝視した。彼はイサから視線を逸らし岸壁の方を向いている。


 その横顔を見つめながら、イサは感謝の言葉を口に仕掛け―――た、ちょうどその時。

 ジャンの顔つきが変わった。


「いたぞ。無事のようだ」


「へ? ―――あ」


 薄氷色の視線の先を辿ると、彼が見ている岩壁の方向から白い光が漏れていた。

 あれはイサがかけた防御魔術『鉄壁』の効果によるものだ。


 すぐさま大急ぎで駆けつけると、岩壁を越えてすぐの場所に白い光のドームに包まれた男がいた。


 二十歳前後と思しき男は泡を吹いてひっくり返っているが、胸が上下していることから息はあるらしい。


「気を失っているな。ビルニッツ、君は周囲を警戒しろ。俺は客を覚醒させる」


「了解!」


 すぐさまジャンがドーム内の客に治癒と覚醒術を施していく。けれどそれを待っていたかのように、突如として凄まじい咆哮が辺り一面に轟いた。


 おおん、と反響した音が大気を、大地を揺らす。


「ドラゴンです!!」


「見つかったか」


 イサの警告に、ジャンは瞬時に自分達三人を包む防御結界を展開させた。

 ごう、と辺り周囲に突風が吹き荒れる。


 頭上からばさばさと翼が翻る音が聞こえた。イサの視界に両翼を広げた巨躯の影が映り込む。

 そのあまりの迫力にイサは目を瞠った。


(な―――っ)


 逆光で黒く見えたその姿は、急降下でイサ達の前に降りてくる。

 あたり一面が影で覆われ、視界が一気に暗くなった。

 咆哮の主は瞬く間にイサ達の前に姿を現した。


 それはまるで、恐ろしい腐海の底から生まれ出たような、棘のある尾を持った濃緑のドラゴンだった。


 背丈はゆうに二十メートルは超えているだろうか。

 家屋よりもなお大きな体躯はさながら山そのものが動いているかのようだ。


 濃緑の鱗で覆われた三つのまなこが、イサ達をぎょろりと見据えた。蛍光色に似た原色の黄色に、毒々しい血色の細い瞳孔が縦にきゅぅ、と細まるのが見える。

 まるで蛇のような目に、イサの背筋に怖気が走った。


 こうして魔物を実際に見るのは、初めてだ。


「っ……」


「あれがヴェロアマジェス《硫仙酸竜》だ」


 焦りと混乱で思考が停止しそうなイサの耳に、冷静なジャンの声が届く。


 ぱっと彼を見ると、普段と同じ淡々とした表情でドラゴン、つまりヴェロアマジェスを観察していた。


「仕掛けてくるぞ」


「は、はいっ」


 ジャンの言葉に視線を戻すと、ヴェロアマジェスは鋭い牙を持ったくちばしをがばりと開き、そこから大量に緑の液体を吐き出した。


 液体は剥き出しの岩山に触れた瞬間、じゅうと音を立て黒い煙をもうもうと発生させながら岩壁を黒く染めていく。


 イサはジャンが張った防御結界越しにそれを見て背筋が震えた。


 岸壁に含まれていた鉱石が一瞬で酸化している。結界が無ければ確実に死んでいただろう。


「ビルニッツ、客を守れ」


「了解!!」


 イサに指示を出したジャンが立ち上がり腰の剣を抜いた。


しゃらら、と硝子が擦れたような音が響き、鞘から銀色に光り輝く月晶剣カウム・ディが刀身を現す。 


 イサはジャンの後ろで客を庇う姿勢になると、戦闘の援護をするため術式の展開準備に入った。


(今度は、失敗しない―――!)


 イサの初めての出張案内で。


 戦いの火蓋が今、切られた。


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