男のフリして案内人?
「お念話ありがとうございます! シュトゥールヴァイセン案内所、案内人のイサ・ビルニッツでございます!」
夥しいコール音が鳴り響く中、イサは明るい声でオープニングトークを告げた。
白亜の神殿を思わせるフロアでは、イサと同じ【案内人】達がずらりと席に並び同じ文言を告げている。
数は百人弱といったところ。それだけの人間が話す声は最早声というより騒音に近い。
フロア最奥部の壁には巨大な地図が一面に表示され、各所に青や白の光点が散らばっている。
イサがたった今受信したのもその一つだ。
フロア中央を通る通路を挟んだ西側、三ヶ月の新人研修を終えた者達の中にイサは居た。
「も、もしもしいいいっ!?」
「どうされましたか!?」
開口一番響いた切羽詰まった声にイサは驚いた。若い男性だ。
慌てて頭にあるヘッドセットのスピーカーを片手で耳に押しつける。それから一つの音も聞き漏らさないよう慎重に耳を澄ませた。
イサの【念話】相手はどうやら困った事態に陥っているらしい。
念話とは、この世界の通信方法であり、現代でいう【通話】だ。かかってきた念話に対し適切なサポートを行うのが、イサ達案内人の主な業務内容である。
イサの黒いショートボブの頭には、銀色の蔓でできたようなカチューシャ型ヘッドセットが乗っており、右耳から伸びた蔓の先には親指大ほどの青い魔石マイクがついていた。
スピーカーからはどどど、という衝撃音が聞こえている。
イサの手に緊張が走った。
手早く魔術パッドというタブレット型端末を操作し遠隔で防御魔術の展開を始める。
念話中の客の生命維持サポートは案内人の義務だ。怠れば始末書、もしくは懲罰ものである。
そもそも話を聞く前に死なれては元も子もない。
通話ならぬ念話口ではさまざまな衝撃音が入り混じり、ちゅどーん、だとか、がらがら、など相当な喧騒が聞こえている。おそらく戦闘中なのだろう。
「あああのですねっ! 今、ドラゴンのっ、亜種変異型とっ、戦って、るん、ですがっ!」
「ドラゴン亜種ですね! 属性は何になりますでしょうか……!?」
途切れがちの声にイサは姿勢を正した。
現在進行系で逃げているのだろう客は息を切らせながら説明を始めた。背景ではドラゴンの怒り狂った咆哮が木霊している。かなりおかんむりのようだ。
イサの手にじわりと汗が滲んだ。下手をすれば客は一瞬で殺されてしまう。
緊張で震えそうになる手にぐっと力を入れ、客の返答より先に多くのドラゴンに当てはまる【防火魔術】を遠隔付与した。
今、客の生死はイサの肩にかかっている。気を抜けば、致命的なミスに繋がりかねない。
「た、たぶん水系……っってえええええっ!?」
「大丈夫ですかっ!?」
水系、と聞こえた瞬間、イサは即座に防御魔術に耐水耐毒効果を追加した。同時進行で魔術パッドに表示された客の位置情報を確認する。
大陸地図の北東で光る青い点。場所はディスパニア地方、山岳地帯だ。確か中堅の冒険者御用達のフィールドだ。特にドラゴンの素材集めでは定評があったはず。
イサはこの地方に生息する魔物の一覧を表示しようとした。しかし、ぶしゃあ、という水音に、がらがらと明らかに地盤が崩れた音がして、同時に客の悲鳴が響き身を固くする。
「っわ……うわああああ―――っ!?」
「お客様っ!? っ………」
慌てて息を止めて客の声を聞き取るべく耳を澄ます。けれど、何も聞こえない。
まずい、とイサの鼓動が警鐘を鳴らした。
「っお客様! お客様大丈夫ですかっ!?」
必死に客へ呼びかけるイサの腰は椅子から浮いている。隣の席の同僚が何事かと見上げているが、気にする余裕は無い。
「た、たす……っ……―――」
「お客様っ!!」
応答に一瞬希望を抱いたのも虚しく、声はすぐに途切れてイサの耳に当てたヘッドセットからはツー、ツーという話中音が流れた。
そして他に一切の音が聞こえなくなる。
ぐっと拳を握りしめながらイサが手元にある魔術パッドの表示を見ると、客の現在位置である青かった点が赤色へと切り替わっていた。
これはつまりあれだ。
『念話不能・客の安否不明』という表示だ。
イサは自分の顔から血の気がさぁっと引いていくのを感じた。
それと同じくして、とどめのごとくぶちっと念話が切断された音が続く。
「………き、切れた……」
ヘッドセットを片手で耳に押さえたまま、イサは愕然とした。
同時に、たらりとこめかみから嫌な汗が流れていく。
浮いていた腰が、今から起きるであろう現象を察して力なくすとんと落ちた。
そして戦慄する。
(や、やややばい……っひぃ!?)
思うやいなや、周囲の温度が急激に冷え込んだことでイサは硬直した。
背後からびゅううというブリザードの音が聞こえてくる。空気中の水分が瞬時に凍り、ぱきん、ぴきんと結晶が辺りに飛び散るのが見えた。
(ききき、来たあっ!)
ざわり、と冷たい風が背中を撫でた時、すぐ後ろに人の気配を感じて、イサは震え上がった。
いる。後ろに。
そう確信した。何より背中が一番寒いし冷たくて痛いほどなのだ。
イサは観念して首をぎぎぎ、とゼンマイ巻きの人形のごとく動かした。そろりと視線だけを上向け様子を窺えば、永久凍土と同じ色をした瞳と視線がぶつかる。
「っひ」
こちらを見下ろす眼光は最早凶器だ。鋭く貫かれた恐怖で喉は引き攣り、心臓が一気にミリ単位まで縮こまった気さえした。ぐさりと刺された気分はさながらモズの早贄だ。
(やっぱりいたああああ!!)
まさに戦々恐々。イサは内心絶叫した。
目の前で仁王立ちしてイサを睨み下ろしているのは、雪の女王と般若を足して二で割ったような銀髪の美丈夫である。
真っ直ぐ流れる髪はまるで千本万本の針のようで、透き通った肌が目に眩しい。そのうえ溶けない氷色の瞳は氷柱のごとく鋭く、まさに触れたら切れそうな勢いだ。
顔立ちは幻想種エルフの血を引いていると噂されるだけあって彫りの深さも鼻梁の高さも完璧である。
薄い唇から顎の先に至るラインは天に愛された彫り師が生涯を込めて誂えたかのような優美さだ。
純白の詰め襟服をかっちりと着こなしている姿に一切の隙は無い。これが時折軍服に見えるのは彼の厳格さのせいだろう。
初めて彼を見た際「神父様みたい」などと思った自分をイサは過去に戻って殴り飛ばしてやりたいと思った。
とんでもない話だ。今目の前で不機嫌も露わに両腕を胸の前で組んでいる男はそんな平和的な者ではない。それどころか、イサにとってはある意味で生殺与奪を握られている相手でもあった。
この銀髪の美丈夫の名は、ジャン・ムール。
ここシュトゥールヴァイセン案内所の統括長にして、氷の魔術師という地位に就いている男、つまり―――イサの上司であった。
「イサ・ビルニッツ。状況を説明しろ」
ジャンが氷色の瞳を細く眇め、イサを射殺さんばかりに見据えながら告げた。
「はいぃぃぃ………」
氷点下マイナス五十度はあろうかという冷たい声音に、イサは指先を震わせながら魔術パッドを操作した。
「ドラゴン亜種と遭遇中のお客様で……属性は水系ということだけお聞きしたところで……き、切れました……」
イサはたった今切れたばかりの念話について慎重に説明した。けれどジャンの険しい顔は一層厳しさを増していく。眉間の皺が一本から三本に。額の青筋も連動して増えた。
(ひい、怒ってるー!)
緊張で口内に湧き出した唾液をごくりと飲み下したイサは針の筵にいる思いで上司の返答を待った。
「では、客の生死は定かではない、と?」
「さ、さようでございます……」
「ほう」
「っひ」
質問に頷いた瞬間、イサの足元がぴきりと凍りついた。恐々下を見れば、イサの黒いズボンを履いた膝から足先までが硬い氷に覆われている。まさに文字通り足元が凍りついていた。
その証拠に、痛いほどの冷たさでイサの歯の根がガチガチと鳴った。絶対に怒られると思っていたが、案の定である。実際、そうされても仕方のない状況だと自分でもわかっていた。
「本来ならば、念話を通じて生命力の回復と防御魔術を展開させるべきだろう」
「ぼ、防御魔術の『鉄壁』は使いました! あと耐火水と耐毒効果も付与しています!」
少しでも名誉挽回せねば、と手を上げてイサが言うと、ジャンはすうと目を眇めて冷ややかな視線を寄越した。
「それがどうした?」と言わんばかりの非難を含んだ目が恐ろしい。
イサは思わずうっと喉奥で呻きを上げた。
「どこからの念話だ」
「ディスパニア地方ですっ」
イサは魔術パッドを操作、し広いフロアの真正面に表示されている巨大な念話相手マップの一部を拡大した。マップは魔力によるホログラム映像となっていて、各地の詳細は魔術パッドで参照できる仕様だ。
イサの操作により、シュトゥールヴァイセン国全体の地図から一地方が四角い別ウィンドウで表示された。ウィンドウは赤い線で囲われている。上部にある説明書きには『ディスパニア地方・念話切断』と表示されている。
赤いウィンドウから地図に向かって伸びた矢印の下、真っ赤に光る点は顧客の最終念話地点だ。
本来、この点は無事に念話終了になっていれば消失している。光点の色は顧客の危険度を示し、正常であれば青、軽度の危険は黄色、重度は赤と色分けで判別されていた。
つまり今回イサが受けた念話の場合は最も危険となり、救助を伴う出張案内が必要な案件というわけだった。
「仕方がない。出張案内だ。ビルニッツ、君はまだ行ったことがなかったな。同行しろ」
「えっ。エキディウスさんじゃないんですか!?」
ジャンの予想外の命令にイサは素っ頓狂な声を上げた。
『出張案内』とは、今のように念話が途中で切れて客の生死が不明の場合や、対処不可能な魔物と遭遇した者への救済処置である。
この案内所には主に冒険者からの念話が着信しており、それに対し冒険案内と称するサポートを提供するのがイサ達案内人の仕事だ。
案内人は基本的に念話に出るのがメインのため、救助や魔物討伐が多い出張案内には専門の人材が雇われている。
それがエキディウスという剣士なのだ。
だというのに、ジャンは当然のようにイサを同行させようとしていた。
これは相当まずい状況である。
イサはできるだけ、この上司と行動を共にしたくないのだ。それには事情があるのだが、どうにかして切り抜けられないだろうかとイサは頭をフル回転させた。
が、自分は部下で、相手は上司である。
断る理由が見つからない。
「確かに普段なら奴だが、今は繁忙期だ。人手が足りん」
「で、でも……」
「元は君が招いた事態だろう。責任を取れ」
「ううっ」
自分が招いたと言われても、あの場合は不可抗力では、と一瞬思ったがイサは口に出来なかった。
これ以上は何を言っても無駄だろう。
ジャン・ムールはイサがこれまで出会った中で一番の完璧主義者だ。
実際、彼自身が仕事ができる人間だからこその行動論理なのだろうが、その分部下には厳しいことで有名で、ジャンの指導に耐えかねて案内所を退職した者も多い。
それに、ジャンの意見は全くもって正論なのだ。
確かに現在、シュトゥールヴァイセン案内所は年内で最も忙しい繁忙期に見舞われている。
もう少しで夜から月が消える【月食期】という時期に入るからだ。
闇が増えるこの期間は闇の住人である魔物が大量発生し、それに伴い冒険者などのハンター達もせっせと仕事を請け負ってくる。
一般人ですらスライム等の弱小を相手に小銭稼ぎに出るほどで、ある種の『稼ぎ時』でもあるのだ。
つまり、案内所ではみな忙しさに苛ついている時期、ということだった。
その証拠に、ジャンの組んだ腕の先では長い人差し指がせわしないリズムを刻んでいる。
こんな時に行きたくないなどと口にすれば、リアルに全身氷漬けのうえ死をもって贖うことになりかねない。
流石にそれは嫌だった。
(これは断れない……っ)
「なぜ案内人が成人男性に限られているのか、理由は教えたはずだぞ。君も男なら現場に出てみるべきだ。その貧弱な身体も、少しは鍛えられるだろう」
イサの全身を頭のてっぺんからつま先まで眺めたジャンが断言した。
男、という言葉が耳にことさら強く響く。
ここ『シュトゥールヴァイセン案内所』では、案内人には男性しかなれない規則となっている。
一番の大きな理由は、繁忙期時の出張案内による戦闘が業務に含まれているからだ。
この世界の女性は月の満ち欠けにより魔力が減退することが一般常識で、そのため戦闘には不向きとされている。
また、客である冒険者のほとんどが男性なので、性的な危険を回避するためにも案内人には男性限定の規則が設けられていた。
(但し世の中には男性を好むタイプの方もいるので、時々問題は起こっているらしい)
それに上司ジャンの様子を見る限り、本当はもう一つ理由があるとイサは思っているが、それはこの際置いておくとして。
イサはだってもちろん客の命は助けたい。
誰かが死ぬなんて知らない人でも嫌だ。
だけどこの大人数がいるフロアで、報告するより真っ先にイサの状況に気付いたこの鋭い上司と二人きりで行動して『秘密』を守りきれる自信なんて、イサには小指の爪の先ほども無かった。
もしもバレたらイサの人生はある意味終わってしまう。
だというのに。
「行くぞ」
「はいぃ……」
ジャンの有無を言わさぬ命令に逆らえず、イサは観念するしかなかった。
泣く泣く初めての出張案内準備を始める。
魔物との直接対峙には装備が必要で、貸与されている案内所の事務制服の上に特殊な魔術装置などが入ったベルトポーチを着けねばならない。客、ひいては自分の命を守るために必要なのだ。
イサは内心しくしく泣きながら、自分のデスクからポーチを取り出し、茶色いシャツとベストを着た上に装着した。
手には分厚めの皮の手袋を履いて、黒いズボンの腰には案内所から配布されたカバー付きククリナイフ(刃が内側に湾曲した短刀)を差す。
そうして準備をしていると、二つ隣で案内をしていた明るい金髪の青年が立ち上がりイサに手を振った。
「おっ、イサもしかして出張案内か? ご愁傷さま! これでお前も一人前だな!」
「うるさいユッタ! 仕事しろ!」
イサが叱り飛ばすと金髪の青年は大きな青い目で孤を描き、にっと口端を上げておどけてみせた。鼻の頭に散らばるそばかすが田舎育ちだという彼の素朴さを際立たせている。
ヘッドセットのマイク部分を上に上げていることから、今は念話終了後の後処理をしているところなのだろう。
彼はイサと同じ新人案内人のユッタ・エルトーラスだ。
同期入所したせいか、イサとは友人関係のようなものだが、少々馴れ馴れしいのが玉に瑕であった。
「おれはいつものイタ念でさぁ。ま、頑張ってこい! あっはっは!」
ユッタは悪びれもせずに軽快に笑って肩を竦め、かりかりしているイサに親指を立てて見せた。
イサの眉が思わずぎゅむうと寄る。
なんだよ、ラッキーイタ念かよ、と内心ひとりごちながらユッタに胡乱な目を向ける。
イタ念とはいわゆるイタズラ電話のことだ。迷惑だが処理は少ないので楽な着信として扱われている。
完全に面白がっているユッタがひらひらと手を振ってきたが無視して、イサは自席を離れた。
まったく他人事だと思って良い気なものだ。
こっちはそれどころじゃないというのに。
イサはふてくされた。
(とにかく、絶対にばれないようにしないと……)
案内所フロアから転送陣エリアへと移動しながらイサは決意を固めていた。
すでに支度を済ませていたジャンが早くしろとばかりに転送陣の上でイサを睨んでいるが、それより恐ろしいのは彼と二人きりで『秘密』が守り通せるかどうかだ。
(ただでさえこの人、苦手なのになぁ……ばれたら確実にクビにされる……!)
そうしたら、イサはその場で無職になってしまう。寮だって追い出され、宿無しになるだろう。
こんな『異世界』で仕事を失うなど、考えただけで胃が痛い。
「イサ・ビルニッツ。先に行っておくが、万が一命の危険を感じた場合は緊急転送装置を使え。わかったな」
「はいっ」
ジャンと二人、転送陣の上に並ぶと白い光がイサ達を包んだ。
魔力が二人の身体をディスパニア地方へと運ぼうとしている。
この魔力の出処は、隣にいる上司ジャン・ムールだ。
転送術を行使できるのは、ここシュトゥールヴァイセン国でも限られた人間しかおらず、使用者はその高魔力と高技術を国に買われ、比例するように高い地位と強い権力を手にしている。
つまりジャンがイサをクビにすることなど、赤子の手を捻るより簡単なのだ。
特に、規則違反ともなれば。
(だって私、男じゃないもんなぁ……)
イサは内心、がくりと項垂れた。