「戦闘」
なにゆえ、公爵がクシュリカへ勝負を挑んだか。待ち受けたか。そもそも、衛兵に勝てなかったと言っていた彼が挑んだのは無謀でもあった。
実際、クシュリカの脳内には衛兵の中でも一番強い人のイメージがあるわけで、それと比べてしまえば自分自身が負ける理由はない。正面衝突しても、側面激突してもクシュリカの勝ちは揺るがない。
それほどに、自分が強い意識は残っていた。雁字搦めになるような様態となっていて。
慢心と呼ぶならそうで。
勉強不足というならしっくりきて。
クシュリカは驕っていた。
「…………はぁ……はぁ……っは」
呼吸を素早く体内へ回し、それでも動かない体に鞭を打っているクシュリカは、あっけなく膝をついていた。
そう、勝てるはずだった相手に負けているのだ。
対照的に、公爵は木刀を下ろし、クシュリカを見つめる。異質なほど、冷たく。異様なほど、温かい。そんな歪な視線を向けられてクシュリカはいい気分などしない。むしろ、真逆だ。逆さまになった感情を、心の中に打ち付けるのだ。
「君はどうして負けたのか。なぜ負けたのか。それは驕りだと片付けるには、もったいないし。経験不足というなら、当たり前ではあるし。足りないものをかき集めてどうにか立てるくらいの状態かもしれない。
何が言いたいかといえば、君は魔法を知らなさすぎる」
「…………はっ、はぁ。魔法ですか」
クシュリカは何度だって自覚して、何度だって克服しようもできないものに白旗を上げていた。それが魔力のなさであり、芋づる式に魔法の扱い自体疎かになっていた。
疎かにする他ないのだ。ないがしろにするしかない。それ以外の能力――長所を伸ばす方が効率がいい。戦闘において厄介なのは万能な能力者よりも、突出した精鋭なのだ。
それを目指す方がいいと、クシュリカが勝手に勘違いして――本来得なければいけないことを見失っていたのだ。
自分の考えと一緒に、大切なものを捨ててしまったのだ。
「魔人は魔法を使う。あいつらは、魔力の塊でしかない。だから、体の全てが魔力で出来ていると言っても過言じゃないし、元々魔法生物から進化しただけの獣に過ぎない。そんな、生まれつき魔法を使ってきた連中と戦うのに、そもそも肉弾戦主体の戦いを繰り広げるなんて愚問じゃないかい」
「……」
言い返す言葉もない。
公爵の言葉はそのまま、過去のクシュリカへと突き刺さる。
魔人の生い立ち――そして、彼らが戦闘で重宝しているもの。それらを知っていれば、学んでいれば、見失っていなければ、クシュリカが負ける理由にはならなかった。
「君の経験不足はこの際仕方ないとして、君が負けた理由は明白だよ。君は勘違いしていただけに過ぎない。
僕が魔法を使わないと」
「……その通りでございます」
息が整い、酸素が脳内に染み渡る。クシュリカにとって、それが決定的要素であり、敗因でもあり、戦術的敗北でもあり、完敗の要因である。
「人間が魔法を扱えないこと。扱えなかったこと。君にとってその認識は正しいし、その上で魔法を使わないこと前提の戦い方をしてきたのは必然だと思う。
けどね。相手は魔人で、人間を殺すためならなんでもする奴らだ。魔法が彼らにとっての武器であり、専門道具でしかないのなら、君はそのことを考慮した戦い方をしなければいけない」
「……ですが、公爵様。魔法は今や民間魔法程度にまで発展しました。私はただ、人間相手の戦い方をしただけに過ぎません」
「そうだね。今は魔法の研究が盛んだ。だから僕も使えるわけだけど、君は大きな勘違いをしているといったはずだ。
そして、魔法は彼らの武器だと言っただろう?」
「…………私達の知っているものは魔法じゃない、と?」
クシュリカの頭脳は明晰でなくとも、ある程度の察しができるくらいには回転する。
それは彼女が今まで聞いた話――武勇伝、そのほか被害報告や報告書やらの資料をかき集めて、脳内へ押し込んだ成果でもある。
故に、彼女の賢さは弱点でもあり長所でもあり、相手に利用されても仕方ないほどの優秀さを誇っていた。敵味方問わず、利用しても有り余るほどの才能。
だからこそ、公爵はそれを使っただけに過ぎない。落ちていた物を拾ったように。右足が出れば、左手が出るように。
「その通り。君達が使っているのはただの模倣しただけ。火が出る魔法は火が出るようにしただけで、風で切り裂く魔法は風で切り裂くようにしただけでしかない。
彼らの使う魔法は、ただの真似事と戯れてくれるほど、子供騙しじゃない。君に使った魔法が正しくそうさ」
「…………ですが、公爵様。私は魔法を受けた覚えはありませんけど」
「だから勘違いしているって言ったはずだよ」
再三の言葉にも関わらず、公爵の顔は一切微動だにせず。むしろ、感情の揺れ動きだけじゃない、クシュリカとの会話に左右されない強靭な精神を有しているのだろう。
それこそ、狂人じみたものを。
「僕達――いや、君が知っている魔法はそもそも感知されるだろう? あ、今魔法を使った。あ、今魔法を使うんだ、って」
「はい……」
「魔人はそんな分かりやすく魔法を使用するわけがない。それが厄介で、対処できていないから人間側は押されている。そのことを知らないから、僕が魔法を使ったかどうかが分からなかった。君はそれを意識していなかったから。それが敗因だよ」
――それに、だ。と公爵は付け足す。いや、付け加える。事の真相や本質――もとい、クシュリカが魔法に気づかなかった理由とやらを。
「僕は君に魔法を掛けたつもりはないよ。僕は僕自身に魔法を掛けた覚えならあるけど」
「……え」
魔力が微々たるものしかないクシュリカにとって、魔法の使用有無はこの際関係ないだろう。負けた事実は負けたこととして片付ければいい。
だが、問題は公爵の言葉。
クシュリカには、魔法を掛けていないこと。
そして、自分自身に掛けていたということ。
「僕には『相手の意識の中で、一番強い人の力を付け足す魔法』を掛けただけだよ」
「…………どういうことでしょうか」
落ち着いた呼吸であっても、脳内に巡る思考とやらは落ち着きがないようで、あっちらこっちらと彷徨っている。クシュリカにとって、勉学はそこそこにしていても魔法とやらは門外漢に近い。最近、民間魔法に着手できる程度にまで、認識が追いついただけに過ぎない。
こと魔法については、幼子同様の若さしかない。
故に、公爵の掛けた魔法。
それは非常に魅力的でもあって、是非とも学びたいだけの誘惑さも有していた。だから、彼女が問い掛けるのは当然であって、強かな気持ちとは無縁な――ある一点だけを見ているのだ。
「例えば、君の中で一番強いのは誰だい」
「……この間戦った衛兵隊長でしょうか」
記憶を思い起こし、衛兵隊長との戦闘経験が口を動かす。それでもクシュリカ自身が負けることはなかった。快勝とはいかなくとも、辛勝くらいの相手だ。それは強いと言ってもいいのだろうと、さながら試行錯誤――選定したような口ぶりをしたクシュリカであったが、公爵はその一言に眉を顰める。
そう、眉間がぐにゃっとなってしまうほど。
「君の中で一番強いのは衛兵隊長なのかい? じゃあ、君は衛兵隊長に負けたことがあるのかい」
「いえ、苦しい戦いでしたが私の――――」
そこでクシュリカの思考がパタリと止まる。
そして、止まった思考とやらは別の方向へと、質問者の意図、本来の質問へと直る。
勝ったのは誰だ。
衛兵隊長との戦い――確かに苦しいものがあったのは、誰だ。
それは間違いなく自分であり、クシュリカであり、確固たる事実として刻まれている記憶に違いない。
だとすれば、だとすれば……だ。
公爵の言っていることに対して、クシュリカの言っていたことは間違いでもあったし、気づけば深層心理とやらはより凶悪でもあり、魔法の極悪さを再認識するには充分でもあった。
「気づいたみたいだね。そうだよ。僕はクシュリカ、君の力を付け足したわけだよ。君が自分自身を強いと思っているのと、誰にも負けなかった確信を利用しただけ――使用しただけなんだよ。よく言うだろう? 本当の敵は自分自身、だって」
「…………」
盲点――よりかは、失念に近いだろう。
誰彼構わず該当するだろう。
自分のことを一番知っているのは自分であって、自分のことを一番知らないのも自分だと。今回の公爵との戦いだってそうだ。
自分が負け知らずなのは知っていて、公爵が衛兵にだって負けたのを知っていたから勝つのは未来予想図にしてもおかしくない。
ただ、自分が魔法のことを知っていなかったのだ。自分の力を利用されることなんか想像できなかったのだ。慢心にも近い。民間魔法を学んでいるから大丈夫だろうと、本を読み漁っているから問題ないと。傲慢さが自分の負けに繋がったとすれば、クシュリカの惜敗は当然でもある。
なにより、先述の通り――魔人想定、魔法を使う相手との戦いを考慮していなかったのだ。自分の落ち度は確かなもので、さっきまで自信満々だった自分を殴り飛ばしてやりたい気持ちにもなるわけだ。
「そんな君に、僕は不躾ながらも――未熟ながらも教えようと思うわけだよ。魔人の倒し方、殺し方――果ては魔王の滅ぼし方までを、ね」
「…………どうしてそこまで」
クシュリカにとって疑問があるとすれば、それは己の弱さである。魔法も使えず、戦闘経験すらない。公爵が未熟であるならば、自身は立てぬ赤子同然である。そんな自分自身が公爵のお眼鏡にかなったこともそうだが、わざわざ足労の上、教授してもらえるなんて恐悦至極を通り越して、戦々恐々の至りなのだ。
故に、疑問は尽きず、渇望も満たされず、どっちつかずの感情に行き場を見失った彼女が問い掛けるのも仕方の無いことではあった。
だから、公爵は満面の笑みを向けるのだろう。
清々しい気分に、晴れやかな青空、この上なく極上の感情を乗せたそれは、クシュリカの胸へ突風を吹き込む。
「君なら、魔王を倒せる――いや、魔人を滅ぼせるから」
それは、彼女を前へ進めるのに、充分すぎるほどの後押しとなった。