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「初恋」


 そんなクシュリカが足繁く通った図書館であったが、古びた本特有の淡くも豊かなにおいの中、たった一つの出会いがあったことは書き記しておかねばならぬ。

 なるまいよ。

 クシュリカが、長年――十年もの間でようやく獲得した程よく日差しがあたり、穏やかな清風が頬を撫でてくれる絶好のポジションを獲得した時のことである。

 いつものように、魔法の知識。基礎。そういったものを叩き込みながら、自身の魔力の低さ――魔力そのものが欠如していると言っても差し支えない状態にも関わらず、できることはなにか。そう考えた結論がゆえの行動に出ている時、一人の――茶褐色の髪を一つにまとめなければいけないほど、長く後頭部から垂らした男がやってくる。


「…………君がクシュリカ・ハイムかな」


「………………」


 クシュリカが顔を上げ、目の前の男を無表情にでも観察する。整った顔立ちにすらっとした鼻っ柱。憎たらしいくらいの美少年。異性のクシュリカでさえ、きめ細かい肌にすることは面倒ながらも心血を注いでいるというのに、目の前の男は自然のままあるがままでいるはずが、クシュリカよりも肌が綺麗なのだ。

 故に、クシュリカの気分は少しだけ最悪へと傾く。


「……それがなにか? どこかの公爵様には関係ない人間ですよ」


 そう言いながら本へと向き直る。そうしなければ、苛立ちが顔に出てしまいそうになったからだ。感情の揺らめき、起伏、そういったものはなるべく見せない方がいい。今後のためにも。自分自身のこういった嫉妬に弱いことを理解できたのならば、上々であるし、そういった意味でなら、美男子との遭遇も意味があったというものだろう。

 今から感情を悟られないような、明鏡止水に努めようと更なる目標を決めようとしたが、公爵男子はそれを許さなかった。


「関係あるさ。隣に座ってもいいかな。ここはいい場所でね、僕も昔ここに来ては穏やかな一日を過ごしていたものさ」


「…………私に聞いておきながら許可なく座るなら聞かないでください。それに、公爵様はお忙しいご様子。こんな芋臭い女と話していたとあれば私も申し訳ないのですが」


「芋臭い――まぁ、そうだね。綺麗な服で上手いこと隠しているみたいだけど、君、()()()()()()()()()()()()


「…………」


 驚愕――とは実際に起きてしまえば、なにも言えなくなってしまうのだと。クシュリカは的外れにも思った。

 本を読み進める視線が止まったことも。わずかながらの時間でも、硬直してしまった時間があることも。

 自身が人知れず、やっていたことがバレてしまったことも。

 思わない一言で思考が止まってしまうのだから、見つけた魔法に意味はあるのだと無関係ながらも思ってしまうのだ。それでも、彼女は涼しい顔をしていたつもりだったのだが、思わぬ人が違和感に気づいたのだから、まだ修行不足ということだろうか。


「僕の勘違いだったらごめんね。明らかに椅子の高さと君の腰の位置に違和感があって、思わず聞いてしまっただけなんだ」


「普通の人はそんなところ見ずに本を読んでいるはずでしょうに……。それに、バレないようにしていたはずなんですけど」


 ぺたん、と椅子に今度こそ座るクシュリカ。

 別に隠していたわけじゃなかったが、本来の目的や用途とは違うやり方をしているものだから、他の人の邪魔にならないようしていただけ。だが、実際問題、空気椅子で本を読んでいる人がいれば、周りの人は何度見だってするだろう。「なに?」「なにしてるの?」とおかしい人を見ることに集中してしまって、読書の邪魔をしてしまう羽目になる。

 そうなれば、図書館側から出禁になるのは、火を見るより明らかであった。文字を見るよりも明らかなのだ。行間で全てを片付けられるほどに。

 だから、バレないように。バレないように。それこそ、常連になるまでの年月をかけてまで丹精込めたやり方であったが、思いもよらない場面でバレてしまってクシュリカは少しばかり落ち込む。

 よりによって、相手が相手――公爵にだ。


「それで……私は公爵様の気分を害したとして極刑でしょうか? 独房に閉じ込められるのでしょうか」


「僕にそんな権限は無いよ。安心して欲しいし、誤解して欲しくないけど、ただの好奇心で聞いただけだよ」


「……でしたら、好奇心の解消はできたでしょうか? 満足いただけましたでしょうか」


 ここまでくれば、自分のやっていることに公爵様を巻き込んでしまうのはいけない、とクシュリカは考えを巡らせる。ちょっとだけ裕福な家庭で産まれたクシュリカにとって、公爵という立場の人間は雲の上の存在である。

 話の上の話である。

 空想の話の上である。

 上の上の話である。

 つまりは、会うことどころか見かけることだってない人なのだ。ただ、父親からこの人が公爵様だよ、と教えて貰っていなければ、クシュリカの表情はより一層険しいものになっていたかもしれないし、無礼を働いていたかもしれないのだ。

 そう考えれば、かつての父親が必死にかき集めた公爵の肖像画は意味があったのだろう。それがありとあらゆる部屋に飾られていることを除けば、意味があったようにも思える。そう思っておく方がクシュリカのげんなりとした表情で、それぞれの部屋に入ることも肯定的となれる。


「……満足、と言えばまだしていないね。君みたいなうら若き乙女がなぜ、戦士のように鍛えているのか、聞いてみてもいいかな」


「聞いても面白く話すことはできませんよ。ただの、暇つぶしだと思ってください」


「だが、クシュリカ。君はおそらく、この街の誰よりも強いだろ?」


「…………」


 絶句。

 クシュリカの言葉は詰まってしまう。いや、元々否定的な言葉を乗せるつもりが、なぜだが舌に乗ることも無かったのだ。「いいえ、そんなことはありません」と言うべきはずが――言いたいはずが、言えないのだ。

 隠したい本音や、隠すべき事実や、隠しておかねばいけない努力が、うやむやにならず、隠しきれない。


「僕はこれでも公爵でありながら、街の衛兵達と剣を交わしていてね。行く先々、訪れる先、どこかしこでも誰かと剣を交えて、研鑽を積んできた」


「……公爵様ともおろうお方が、そんなことをされなくとも」


「そうしなければ、いけないんだよ。僕に負ける時点で衛兵失格だ。本来守るべき人間よりも、弱いだなんて衛兵の風上にも置けない。だから、交えるわけだよ。衛兵にとっては、気分が良くないだろうけどね」


「えぇ、とっても」


「だが、ここの衛兵は皆僕よりも強かった。全員が全員。それこそ、王国にいる奴よりも強いんじゃないかってくらいの化け物じみた強さだ。だから、聞いてみたのさ。秘訣はなにか、どうしてそこまで強いのかを」


 嫌な予感が、クシュリカの中でより一層の濃さとなる。いや、こんな話が出てくる時点でこうなることは予測できただろうに。それでも逃れられなかったのは、恐らく公爵が纏う固有のものだろう。

 個性と言ってもいい。

 公爵の個性によって、真実を話さねばいけないし。隠してもいけない。逃れようもない。

 だから、彼は公爵の椅子に座っている。そんな裏付けができるほどに。説得力をもった、雰囲気で押し切られる。


「この街には、貴族の娘でありながら衛兵の誰よりも強い人がいます。その人と毎日、勝負を仕掛けられていたもので。

 そう答えてくれてね。その衛兵から、君の名前を聞き出すのは簡単だったよ。クシュリカ」


「……」


 普段。クシュリカは貴族の娘として――公爵や伯爵といった上級貴族に嫁ぐため、日々所作や作法。貴族として、貴族の嫁になる身として恥ずかしくない教養を身につけているわけだが、それでも自由な時間はできる。

 普通の貴族の娘にとっては、ハードな一日であってもクシュリカの異常じみた体力と集中力にとっては、簡単にこなし終えてしまう。それこそ、一日掛かるものをたった数時間で終わらせるくらいには。

 だから、暇になったクシュリカはいつも通りにこなしていた筋肉の増強をやめて、たまには気分転換をしようとなり。結果として、衛兵達との打ち合いへ至った。

 流れるように。ながるるままに。しかし、クシュリカも決して馬鹿ではない。ただただ、自分のことしか考えていないわけではない。

 その時、打ち合いをした衛兵達へは必ず「このことは誰にも言わないようにお願いします」と約束を交わしているのだ。

 いたはずなのだ。


「衛兵達もかなり渋そうな顔をしていてね。聞いてみれば、君に負けたことを黙っているよう言われたらしい。他でもない、君自身に。約束そのものを僕が台無しにしてしまったようで、申し訳ない」


「いえ、そんな……。公爵様のご命令が最優先となりますので、その衛兵は優秀だったというだけであります」


「そう? 少なくとも、あの衛兵は君との約束の方が大事だと見受けられた。他所から来た公爵よりも、主君である領土の長よりも、友情を大切にしたいと思うような、そんな青年だったが。

 まぁ、衛兵としては優秀でないかもしれないが、人としては優秀だと思うよ。だが、そうだね。君の言うことを考慮すると衛兵としては及第点じゃないかな。少なくとも、公爵である僕の言うことは聞いたわけだし」


「…………仰る通りです」


 公爵は、そのまま外に並んで生えている木を見つめる。麗らかな日差しを目一杯浴びては、煌々と豊かさをなびかせるその姿に見とれているのだろうか。

 それとも、凪の暇に憂いているのだろうか。

 クシュリカから見える、彼の表情はそれほど難解で、困難で、激しいほどに好奇心をそそるものであった。

 ありとあらゆるものを見透かす双眸が、何を考えているのか分からない。

 様々な事象を読み解く頭脳が、停滞する理由。

 他所から来てまで、一般人に紛れる貴族の娘へその歩き慣れた足を向けるだけの意思。

 気になってしまい、気にしてしまい。脳が締め付けられるよりも、心がゆっくりと真綿で覆われるような――包まれるような、そんな温かな感覚。

 それが、クシュリカを夢中にさせた。


「公爵様は、どうして衛兵と戦うような真似をされるんでしょうか?」


「……ん?」


 突拍子もない質問ではなかった。

 自然ではあったが、公爵の意図を汲み取らず、聞き取ろうとしていることは意外だったのかもしれない。

 しかし、クシュリカのしていることはあくまで衛兵を利用した自分のためのことで、黙っているように約束事にしたのもクシュリカ自身のためである。保身のためであって、公爵がわざわざ足を運んで衛兵と木刀で打ち合うなんて、本来であれば必要のないことだ。

 むしろ、無駄ではあるし、適任はいる。

 それこそ、公爵についてくる護衛の人にでも任せればいい。それが最善で、最良であるはずが、公爵は理解していながら、そんなことをする意図を――理由を、魂胆を聞きたいクシュリカは、真摯な瞳で彼を捉える。

 そんな公爵は、考える暇もなく口から柔らかな音が流れてくる。


「守るべき人間が、衛兵よりも護衛よりも強くならないと彼らは目標を見失ってしまうからね――という、建前ではあるけど、実際には暇つぶしの『監査』みたいなものだよ。

 たまったものじゃないでしょ、自分よりも上の立場の人がいきなりやってきて、剣での打ち合いとか抜き打ち試験とか提案してきたら」


「そうですね……」


「そうすることで、暇つぶしじゃないように見せているんだけどね。……あ、このことは内緒にしてね」


「大丈夫ですよ。秘密を守らなければいけない相手など、おりませんので」


 それは果たして安心と呼べるのだろうか。そういう疑問さえ浮かんできては不意に消えてしまうような、儚い表情をクシュリカはしていた。

 秘密を共有できる相手はいない。

 いや、厳密に言えば、秘密を()()()()()()相手がいないのが正しいだろう。

 ましてや、公爵が暇つぶしに衛兵を試していること。それを言う相手なんて、それこそいないわけだ。

 だからこそ、公爵はなんと踏み込んでしまったのかとバツの悪そうな顔をする。この時代――というよりも、いつの時代であろうと、多種多様な人々が社会性とやらを獲得してからというもの、独り身かつひとりぼっちの孤独への風当たりとは強いもので。

 政略結婚やお見合い。家が決めた婚約者との結婚。そういったものを用いてまで()()でいることを回避していく世の中だからこそ、クシュリカへの公爵が抱いた罪悪感は増すものがあった。


「しかし、そんな公爵様がそんな『試練』を与えなければいけないほど、魔王の軍勢は強大ということでしょうか」


 そういった――罪悪感が垣間見えるほど心優しい公爵を気遣ったか、クシュリカは昨今の状況とやらに話を切り替えた。というより、そうする方がいいと判断したのだ。

 先程の公爵の行動や言動に非がある――無遠慮な言葉を選んでしまったことに対して、罪の意識があるならば、それ以外のことへ目を向けるべきだと。

 彼の言動が駄目だったとすれば、彼のしている行動は良いものだと、肯定するためにも。

 謀略的でも、策士家でも、奇策を好むようなクシュリカではないが、そういったところは頭が回る。伊達に、貴族出身ではないことを、裏付けるようではあった。


「…………ふむ、君は魔王の配下の方が気になるようだね」


「それはそうでしょう。国の危機であり、人類の危険であり、世界の悲鳴でありますから。民達の平和が自身の願いでしょう」


「そういうことを言えるくらいの権力が君にあれば、傾国足りえたかもしれないけどね。残念ながら、魔王との争いで疲弊しきっているのも事実。隠し通すだけの被害じゃないのも真実。

 だから、君の元へ来たわけだよ。クシュリカ」


 公爵――未だに名前すら名乗らないはずが、立場上の役職だって判明している青年は、ゆっくりとクシュリカの顔を見定める。

 見極める。

 見つめる。

 その瞳の奥が――笑っているようで、深い泥沼のような鈍さをしているのをクシュリカは見逃さなかった。

 だからこそ、手元に置いていた本を思わず触ってしまう。

 恐怖。畏怖。底知れぬ深淵を見つめた心の冷たさ。急激にどん底まで絶望が押し寄せた感覚。それらに等しくも、比較しようもない――おぞましい気配が自身の中に押し寄せてきたのだ。

 軍勢のように。

 魔王を間近にしたように。クシュリカを締め付ける。

 そんな威圧感を放っておきながら、公爵は唇を動かす。


「クシュリカ。僕の元で修行をしないか? 君には魔王だって倒せる力がある」


「え、嫌です」


 

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