君の寝顔と最後の秘密(4) 本当に僕が聞きたかったこと
「いらっしゃい、よくきたね」
「お、お邪魔します。……なんかすごい家?ですね」
「ああ、テラスハウスというらしいよ。知り合いが安く貸してくれてね。売れたら倍にして返せとも言われているがね」
「なるほど」
芸術家って感じの家じゃなくて普通の部屋だ。でも、絵の具、タバコ、女性特有の柔軟剤の香りが混ざり合った不思議な匂いがする。でも、なぜか落ち着いた。
僕とミナミさんは、リビングでもらった賄いを広げる。
「意外と綺麗だと思ったかな?」
「まあ……そうですね。芸術家に人の家って感じはあまりないですね」
「ふふ、隣の部屋は、君の想像してる通りだよ。見るかい?」
「いいんですか?」
「構わないよ」
隣の部屋に入るとキャンバス、パレット、絵の具、雑巾?布巾?、バケツと、まさにアトリエって感じの部屋が現れた。
「おお、凄い。芸術家って感じがします」
「はは、ありがとう。さて、賄いを頂こうか。話はご飯を食べてからだ。腹が減ってはなんとやらだ」
「はい」
2人でいつも通り、黙々とご飯を食べてる。ミナミさんは少食だから、残りは僕が食べる。
「タバコいいかな?」
「どうぞ。僕、病気にならないので」
「はは、羨ましい限りだな」
部屋が静かだから、マッチを擦って火をつける。じゅっと音がしてタバコに火が着く。
甘く有害な香りが、部屋中に広がった。
ご飯を食べ終わってから、賄いで貰った容器を洗ってゴミ袋に捨てる。テーブルを拭いて綺麗にすると、ミナミさんが紅茶を入れてくれた。
「ありがとうございます」
「なに、気にするな」
紅茶を飲んで一息つくミナミさん。
「さて……話をしようか。死の花病のことだったね」
「……はい」
「ヒマワリちゃんだったかな、死の花病末期症状になってしまったんだね」
「そう、なんです」
「私も、同じ経験があるよ。店長から話を聞いて、おおよそ検討はついてると思うが、私の大事な人も死の花病を患って……亡くなったよ」
「……」
僕は何か言葉をかけようとしたけど……無理だった。
僕が自分を優先してヒマリを見捨てた場合の未来が、今のミナミさんだ。
大切な人を亡くして、生き続ける。その選択は、どれほど辛いものなのだろうか。
「はは、いきなり重い話で悪かったね」
「いえ……すみません、僕の方こそ」
「……君は大人だな。自分のことで精一杯だろうに」
「僕は……子供です。自分ができることから逃げてるんです」
「ふむ、逃げているとは?」
「……ヒマリの死が受け入れられなくて……僕は自ら命を断とうとしました」
「そうか……なら、私とまったく同じだな」
「え」
予想外の答えだった。ミナミさんは、今も生きているから。
恋人の死を受け入れて生きていく選択を取ることができる強い女性だと思ってしまったから。
「私も、恋人が死んだ後、自ら命を断とうとしたよ。生きている理由が分からなくなってな」
「……どう、やって、乗り越えることができたんですか?」
「乗り越えたというよりも、運良く助けられたという方が正しい。私は、車通りが激しい場所で死のうとしてね。死ぬ場所は選ばなかったよ。死ねればどこでも良かったからね。……それを店長が止めてくれたんだ」
「店長が……」
「ああ、店長に鬼の形相で止められたよ。『理由は知らねぇが、お前が死んだら悲しむやつがいるんだぞ!!』とね。私は彼の母親が叫び泣いてる姿を思い出して、少しだけ正気に戻ることができた。私は家族から大切にされていることを思い出すことができたんだ」
「それが理由ですか? 残された人が悲しむから」
「もちろんそれもあるが、店長に助けられてすぐ、死のうとした理由を聞かれてな。私の話を聞いた店長に言われたんだ」
ミナミさんはタバコの火をつけてから、店長の言葉を僕に教えてくれた。
『お前さんの中で、恋人は生きてるじゃねぇか。なら、恋人の代わり夢を叶えてやれ』
『つか、俺の店で働けよ。仕事はいいぞ、忙しいと考える暇もねぇからな。死にたいって気持ちが出ないくらいに働かせてやるよ。んでもってよ、死にたいって気持ちが無くなって、生きる元気が出てきたら、やりたいことをやって生きろ。なあに、死ぬより怖いもんはねぇ。お前さんには勇気があるからな、その勇気を別に使えばいいんだ。深い深い底から這い上がった人間は強い。なんせ、あとは登るだけだからな』
『あと、言っちゃ悪いが、自殺してもお前の恋人には会えねぇと思うぞ。自殺したらよ、音も感触も何もない深淵の中で、魂が浮遊するだけらしいからな。あの世で恋人に会いたいなら、真っ当な人生を送って、寿命で死ぬしかねぇんだよ』
ミナミさんは、ふーと煙を吐いて、懐かしむような表情で話を続けてくれる。
「私はその言葉を聞いて号泣したよ。確かに、私の記憶の中で彼は生きている。彼のやり残したことを叶えてあげることができるかもしれないとね。それに、もし本当にあの世があるなら、私は真っ当に生きて死ぬしかないんだとも」
ミナミさんは、もう一度タバコの煙を肺に入れてから、吐き出した。
「だから私はあの店で、命を助けられた恩を返すために働いてるんだ。生きる理由を探しながら、忙しい毎日を過ごしていた。そんな時に思い出したんだ、彼の言葉を。ミナミは絵が上手いんだから、絵を仕事にすればいいのにってね」
「そうだったんですね」
ミナミさんは紅茶を飲んでから、頷く。
「そうだ。だから私は絵を描いてる。絵を描く理由は二つ。さっきも言ったが、店長に言われた言葉が一つ。もう一つは私と彼が過ごすはずだった時間と思い出を絵に残すため。私たちが過ごすはずだった思い出を、形として残したいという気持ちが強かったんだ。私は、いまだに未練たらたらというわけさ」
「……そう、なんですね」
「ああ。私の恋人は確かに死んだ。でも、私の記憶の中で彼は生きている。私は彼と共に今を生きているんだ。死んだ人間は確かにこの世にはいないが、彼の家族と、私の記憶の中で彼は生き続けているんだよ」
死んだ人間が記憶の中で生き続けている。ミナミさんは店長から言われた言葉と、恋人との記憶で生きる希望を見つけたんだ。
店長の言葉もそうだけど、僕には思いつかない考えだった。
「ミナミさんの恋人の夢って」
「ああ、彼は俳優を目指していたんだ。誰もが知る最高の俳優になろうとする夢があった。私はその頃、絵はただの趣味で、仕事にしたいとは思っていなかったんだ。彼の夢を応援しながら、普通に事務の仕事をしていたよ。……残念なことに彼は、有名になる前に死んでしまったがね。……そこで私は考えた。なら、私が彼を有名にしようと思ったんだ。彼からも絵を仕事にすればいいと背中を押されていたし、絵の中で生き続ける彼が有名になれるように、私は絵を描こうと思った。彼との記憶と彼の夢が、今の私を生かしているんだよ」
タイキは教えてくれた。もし仮に自分の命と代償に、大切な人が生きてくれるならそれでいいと。
コウキとイオリは教えてくれた。残された人の気持ちを。残された方は深く悲しむと。現実は物語のように綺麗にはいかないと。
恋人を亡くしたミナミさんは教えてくれた。思い出の中で、ミナミさんの恋人は生きていると。恋人の夢を代わりに叶えるために、生き続けることができると。
僕は全てを間違えるところだったんだ。それは父さんのおかげで、なんとか防ぐことができた。
そして今、色々な人たちから話を聞いて、自分の出すべき答えを探っている。
僕は話し終えたミナミさんにお礼を言ってから、聞きたかったことを聞く。
「あの、少しいいですか?」
「なんだい?」
「……もし、大切な人たちとの思い出を忘れる代わりに、死ぬ予定の大切な人を救えるとしたら、ミナミさんは救いますか?」
難しい顔で、僕を見てくるミナミさん。
「また……難しい質問だな」
「……すみません」
「ふむ……それはもしかして、叶え人のことかい?」
「……そうです」
「噂でしか聞いたことはないが、代償……ね。そんな話は聞いたことがなかったが……。少し、考えても?」
「もちろんです」
ミナミさんは、タバコに火をつけて、考えているのか時折悩ましげな表情をしている。
火をつけたタバコは、ミナミさんが吸うごとに短くなり、吸えるギリギリの場所まできたら、タバコを灰皿に押し付けて火を消した。
「そうだな……これはかなり難しい質問だ。なにせ、大切な人達の思い出が消えるということは、願いを叶えた人間にとって、助けたはずの人間が赤の他人に戻るということだ」
「……そこに、さらに加えても?」
「どうぞ」
これが、本当に僕が聞きたかったことだ。




