指切り
学校に戻って、指定された教室へと向かう。
文化祭では、使われることがない図書室にいるようだ。
この学校の図書室は、狭いし、本も種類が少ないから、まず使われることがない。
なんなら、図書室があることすら、知ってる人の方が少ない。
冷静に話を聞くには、もってこいの場所だ。
図書室の扉の前に立つ。
すでに、夕方となっており、まもなく文化祭が終わろうとしていた。
僕は呼吸を整えてから、図書室の扉を開けた。
「……ヒマリ」
「あー、よかった。ほらヒマワリちゃん、アキラくんきたよ〜」
「アキ……」
ぷいと、横を向いて知らん顔するヒマリ。
ぎゅっと心臓を掴まれるけど、ここで止まるわけにはいかない。
もう、覚悟は決めたから。
「アキラくん。あんまり無茶しちゃだめだよ〜。わたし、教室に戻るね。ヒマワリちゃんとアキラくんは、保健室で休んでることにしておくから、気にしないで〜」
「ありがとう、サクラ」
「うん、じゃあ、また後夜祭でね〜」
サクラが教室に帰ると、一気に室内が静まり返った。
心臓が破裂するんじゃないかって思うほど、強く鼓動している。
僕はヒマリの隣に座る。
ヒマリは何も言わず、動かずにいる。とりあえず、隣にいることは許可されたと思うことにした。
窓からオレンジ色の光が差している。オレンジの光の中に、ふわふわと動く埃たち。
古い紙とインクの匂いが充満する図書室。そのなかに、ひだまりの匂いが混じっている気がした。
僕はこのまま時間がすぎて、仲直りできないことを恐れ始める。
それだけは許されない。なんのために覚悟を決めたのか。
僕は埃が舞う図書室で、少しだけ大きく息を吸って吐いた。
「あのさ、ヒマリ」「あのね、アキラ」
僕らの言葉が被ったことで、お互いに様子を伺う。
「「……」」
またしても、静寂が訪れる。
「ヒマリ」「アキラ」
今度は、顔を見て名前を呼ぶことも被ってしまう。
僕とヒマリの目があって、数秒。
「「……ふふ」」
また、同時に小さく笑った。
「ねえ、わざとやってるでしょ?」
「無茶言わないでよ。こんな高度なことわざとできないし、傷つけたヒマリにふざけたことなんかしないよ」
わざとできたなら、僕たちは以心伝心してることになるよって思ったけど、口には出せなかった。
ヒマリはまた、小さく笑った。
「ふふ、それもそうだね。……なんか以心伝心してるみたいだね」
「……僕もそう思ったよ」
「えへへ、本当だったら、嬉しいな」
「本当だよ」
「そっか……」
本当に、僕もそう思ったんだよ。ヒマリ。
またしても無言の時間が訪れそうになったので、僕はそれを阻止する。
ヒマリの前に座って、ヒマリの瞳を見て話す。
「あのさ、ヒマリ。約束破ってごめんね……。言い訳になるかもしれないけど、体が勝手に動いちゃったんだ。君との約束を破って、傷つけて、悲しい思いをさせて、ごめん」
頭を下げて謝罪する。
ヒマリは僕を起こしてから、僕にピタリと抱きついてきた。
「……そういう、人のために体が勝手に動くアキラのことが好きなのに、怒ってごめんね。でもね、またアキラが傷つくところ見ちゃって、悲しくなって……感情がぐちゃぐちゃになって泣いちゃって……。ユリとヒマリを守ってくれたのに、ひどいこと言ってごめんね……アキラ」
本当にいい子だな、ヒマリは。僕には勿体無いくらいに。
それでも、しくしくと涙を流す君を、僕は離したくないんだ。
頭を撫でながら、ヒマリに優しく言葉をかける。
「いいんだよ。ヒマリは僕を心配してくれたから、僕のために自分を犠牲にしないでって約束をしてくれたのに。僕は酷いやつだ」
「そんなことないよ……ヒマリにとって、アキラはとっても優しくて、かっこよくて、素敵な彼氏だよ。自分のことそんなふうに言わないで……うちが、ヒマリが悪かったから……」
「ヒマリ、泣かないで……君は何も悪くないんだ」
しくしくと声を押し殺して泣き続けるヒマリに対して、僕はただヒマリを優しく抱きしめて頭を撫でてあげることしかできなかった。
少し落ち着いたヒマリが、ぽつりぽつりと話し始める。
「……なんかね、怖くなったの。ヒマリ達を守ってくれたのに、約束を破られたと思ったら、なんだかアキラが遠くにいっちゃう気がして、怖くなって……だから、急に約束のこといっちゃって……ごめん、ごめんねー、あきらぁ」
「……ヒマリ」
僕は何も言い返すことができなかった。
なぜそこで、その言葉が出てきてしまうのか。いつか、本当にそんな未来がくる気がしてしまって、怖くなった。
すこしだけ、抱きしめている腕に力が入ってしまう。
「あきらぁ?」
「……ごめん、痛かった?」
「ううん、もう少しギュッてして欲しい」
「わかった」
少しだけ力を強める。ヒマリのこぼれた吐息と共に、君を感じる。
今度は僕が、ヒマリに頭を撫でられる。僕の行動に何かを感じ取ったような気がしたけど、ヒマリは何も聞かずに、僕を慰めてくれた。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。あまりにも居心地が良すぎて、いつまでもこうしていたいという欲に飲まれそうになってきた。
「ふふ」
「どうしたの?」
急に小さく笑ったヒマリに、問いかける。
「なんか、少し冷静になってきたら、おかしくて。いま、全校集会の時間でしょ。みんなが体育館に集まってる時に、こうして抱きつきあってるなんて、ヒマリ達、悪い子だなって」
「……確かに、なら……もう少しだけ悪いことしよっか」
「なに……?」
僕はヒマリから少し離れて、ヒマリと顔を向き合わせる。
涙を流したばかりのヒマリの瞳。瞳の中の向日葵の花がキラキラと輝いていて、僕はそれに吸い込まれていく感覚を覚えた。
「好きだよ……ヒマリ」
「ヒマリも……アキラが好き」
目を瞑るヒマリ。
「ん」
僕はヒマリとキスをした。
学校での初めてのキス。みんなには秘密の少し悪いキス。
悪いキスもまた、海の味がした。
「アキラ……もう、自分を犠牲にしないって、今度こそ約束してくれる?」
ヒマリの瞳から涙がこぼれ落ちそうになっている。ヒマリを泣かしてしまったのは僕だ。
僕が裏切ったから、彼女は泣いたんだ。
「僕は……」
……覚悟を決めただろ、僕。
大切な人を守るためなら僕は……大切な人にも嘘をつくと。
「僕はもう、ヒマリとの約束を破らないよ」
「うん、ありがとうアキ。じゃあ、はい。約束の指切りね」
「うん」
小指を絡める。なんか、懐かしいな。子供の頃、よく母さんとやった記憶がある。
「指切りげんまん、嘘つたら……」
「……どうしたの?」
「いやさ、もしね、お互いに嘘ついた時にね、針千本はちょっと、残酷だなって思ってさ」
「まあ、そうだね。でも、拳万も残酷だよ。嘘ついたら、万回殴るってことだからね。針千本は追加されただけらしいよ」
「えー、そうなの!! それは嫌だからなあ〜。んー、どうしようかな」
ヒマリは少し考えてから、何か思いついたのか、また歌を歌い始めた。
「嘘ついたらホホビーンタ!」
「「指切った」」
「はは、随分可愛くなったね」
「えー、だって、もしかしたら、今回みたいなことして、破っちゃうかもしれないでしょ?」
「破らないために、きつい罰則を兼ねてるんだけどね。というか、ヒマリは僕が嘘つく前提で話進めてない?」
ちょっと、信用されてないみたいで悲しいけど……事実だから、あんまり責められない。
僕の言葉に対して、ヒマリは悲しげに微笑む。
「……アキは優しいから。今日みたいなことがあったら、また前に出ちゃう気がしてさ〜」
「そうしないための指切りでしょ? 僕はもう君を泣かせないよ。今日みたいなことが起きないように、これから気をつけよ」
僕が君のそばにいられる限りは、ね。
心の中で保険をかけてしまう僕は、やっぱり情けないと思う。
でも、これが僕にできる最後の譲歩なんだ。
「そうだね! うち、足早いし、相手蹴飛ばしてから、一緒に逃げればいっか!」
「はは、そうだね。今度から、そうしようか」
「うん!」
戻るタイミングを失った僕らは、手を絡めつつ談笑しながら、時間がすぎるのを待った。
ガラガラと扉が開くと、そこにはいつものメンバーがいた。
「悪いカップル発見しました、サクラ隊長!!」
「よし、よく見つけましたー、イオリくん。タイキくん、コウキくん、イオリくん、確保〜!」
「「ラジャー!!」」
「……了解した」
男3人に運ばれて、連れさられる。僕はたまらず、声をあげてしまう。
「ちょまって、うわー!!」
「あ、アキ!」
「ほら、ヒマリもいくわよ」
「後夜祭だよ〜、楽しまなくっちゃね〜」
僕は男達に、連れ去られて、体育館まで運ばれた。
学校の人たちにみられて、すごく恥ずかしいけど、なぜだか笑ってしまう。
僕が笑うと、みんなが僕に釣られて笑い始めた。
すごく目立ってるけど……それはもう気にしない。
今をめいいっぱい楽しむなら、周りのことなんか気にしてる暇はないからね。
僕を変えてくれた人たちと一緒に、これからも楽しい人生を過ごせたらいいなって思えた。
僕たちは後夜祭を楽しみつつ、みんなで雑談していた。
コウキとユリは、仲直りした後、付き合うことになったようだ。
飛躍してそうでしてないんだよね、2人は。常に思い合っていたから、むしろ遅いくらいだ。
僕らをみて、付き合うってのもいいことなのかもって思えたみたい。
ユリは学生時代にモテて友達を失った経験のせいで踏み込めなかったようだ。
コウキはコウキで、格闘技に一生懸命だったから、そういうこと今まで考えてなかったみたいだからね。
怪我をして、格闘技以外に時間をおけるようになったから、大切な人って考えて、ユリが浮かんだのかな。
そこから、僕たちの中で付き合ってないのがイオリだけだという話題になった。イオリ発狂しながらも、みんなに祝福の言葉を送ってたのが面白かったな。
イオリもいいやつだから、そのうち見つかるよと言ったら、照れながらお礼を言ってくれた。
その後で、今は音楽に集中したいから、付き合いたい欲がないそう。
僕はイオリの夢を応援することにした。
イオリはバンドを組みたいそうで、僕とコウキとタイキを誘ってたけど、僕は聴き専だから遠慮した。
コウキとタイキは、わりと乗り気そうだった。これから、どうなるのか楽しみだ。
コウキがバンド名を聞いていて、流石にそれはまだ決まってないんじゃないかと思ったけど、どうやら候補があるようだ。
【SUN SMILE】
太陽のような眩しい笑顔でいられるように、自分のバンドを聞く人々が眩しい笑顔でいられるように。
そう言った願いを込めたバンド名だそうだ。
バンド名を聞いたみんなは、かなりの高評価をつけていた。
もちろん、僕もいいと思ったけど、自分の名前がチラつくから、少し照れ臭かったのは、秘密だ。
後夜祭も最後の盛り上がりを見せて、幕引きとなった。
こうして、僕たちの2度目の文化祭は終了した。
友人と本音で話し合ったり、新たな恋が生まれたり、友人の夢を聞いたり、大切な人を泣かせてしまったり、仲直りをしたりと、すごく濃い二日間だった。
どれもこれも、僕にとって忘れたくない大切な思い出になっていく。
記憶を中心に、思い出の花びらが増えていく感覚がする。
満開の思い出の花が咲くように、これからも日々を大切に楽しんで過ごそうと誓った。




