4-5.
「え?」
琉聖のすぐ目の前に立ち、煌我は言った。
「見てればわかるよ。バレーが好きだって気持ちを心が忘れちまってても、からだはちゃんと覚えてる。からだはずっと、バレーが好きだった頃のおまえのままだ。バレーが好きで、勝ちたくて、負けると悔しくてたまらない。おまえは今日まで、ずっと同じからだで生きてる。バレーが大好きなまま、今日、今この瞬間まで、ずっと」
心臓が小さく跳ねた。煌我の言葉の一つ一つが、沁み入るようにからだの隅々を流れていく。
「やめちゃダメだ、琉聖」
煌我が琉聖の右の手首をそっと掴んだ。
「バレーが好きなら、やめちゃダメだ。全国制覇の夢を捨てるつもりはないけど、おまえの心が回復するまで待つよ、おれ。勝ち負けは抜きにして、ここでのんびりやっていけばいい」
優しい声だった。あたたかくて、殺伐としていた琉聖の心を無条件で受け入れ、包み込んでくれるような声。
「前にも言ったけど、この場所でまた一から始めればいいじゃん。おまえの心をめちゃくちゃにしたヤツはここにはいないし、そもそもうちのバレー部には、この先おまえを傷つけようとするヤツなんてひとりもいない。そりゃあ、同じ愛知にいたら試合会場で顔を合わせることにはなるだろうけど、そん時はおれたちがおまえの背中を支えてやる。怖がることなんてなにもない。おまえはただ、おまえの信じるバレーを続けるだけでいい。おれたちは、おまえについていく。今ここにいる全員が、おまえのトスを信じてる」
手首から手のひらへ、煌我の右手が移っていく。きゅっと固く琉聖の手を握り、煌我は笑った。
「一緒にやろう、琉聖。おまえが心から大好きだと思えるバレーを、おれたちと」
雨宮、伊達、眞生、オグ、左京、右京、美砂都。
煌我だけでなく、部員全員が笑顔で琉聖を迎えてくれる。向けられる視線に棘がない。あの頃とは、中学時代とは全然違う。
琉聖はそっと顔を伏せた。感極まって呼吸が揺れる。
なにもかもが虚構だったことを、ようやく素直に受け入れることができそうだった。バレーをやめると決めたことも、バレーが大嫌いだと思った気持ちも、全部、全部嘘だった。
悪夢から逃れたい一心で自分を偽り、目を逸らして、大切なものを失いかけた。自分に嘘をついていた時間が苦しかった。
やりたい。
やりたいんだ、本当は。大好きなバレーボールを。
洟をすすり、琉聖は煌我に尋ねた。
「できるかな、俺に」
「できるさ。当たり前だろ」
「また震え出すかも、俺のからだ」
「大丈夫だよ。そんなのすぐ治るって」
「だけど」
「琉聖」
煌我が握った手の力を強めた。
「試合になれば誰だってビビるよ。だから仲間がいるんだろ。お互い背中を預け合って、弱気なヤツのケツ叩いてさ。そうやってみんなで支え合ってピンチを切り抜けられるのが、チームスポーツのいいところじゃんか」
そのとおりだ、と雨宮が言った。ですよね、と煌我がさらに自信を持つ。
「なぁ、琉聖。おまえがこれまで一緒にやってきたヤツらは、本当の仲間じゃなかったんだよ。おれたちが本当の仲間だ。つらけりゃつらいって言ってくれればいい。受け止めるし、対処法だって考える。みんなでがんばろう。おまえのピンチを、ここにいる全員で乗りきろう。ひとりじゃバレーできないから、おれたちはこうしてチームになったんだからさ」
いつの間にか、ふたりの周りに全員が集まっていた。口々に「一緒にやろうよ」という部員たちの声に、胸がいっぱいになる。
くそ、と心の中で悪態をつく。なんだよ、みんなして寄って集って――。
恥ずかしいし、情けなくてたまらない。けれど、チャンスをもらったのかもしれないとも思えた。もう一度、逃げずに向き合えと言われているような気がした。
逃した夢を再び追うのではなく、新しい夢を、ここにいるみんなと一緒に探す時間。適当に選んで入った高校で与えられたのは、そういう三年間なのかもしれない。
「わかった」
顔を上げ、琉聖ははっきりとうなずいて煌我に言った。
「やるよ」
「よっしゃ! そうこなくっちゃな!」
「うまくいかなかったらごめん」
「バカだな、うまくいくに決まってんだろ。このチームにはおれがいるんだから」
「なんだそれ。すごい自信だな」
「当たり前だろ。なんたっておれは、全国制覇する男だからな!」
結局全国目指すのかよ。琉聖はあきれ顔で笑った。雨宮や眞生が、琉聖の入部を祝ってハイタッチしている。その手はやがて琉聖にも向けられ、全員とハイタッチする流れになった。
「じゃあ私、浜園先生のとこ行ってくるね」
美砂都が出入り口に向かって走り出す。「おう、頼むわ」と雨宮がわかった風に右手を挙げて見送った。
「そういうわけで、久慈は今日から正式に入部ってことでいいんだよな?」
雨宮が改めて尋ねてくる。「はい、お願いします」と答えると、雨宮は満足そうにうなずいた。
「ありがとうな。歓迎するよ。入部届は出さなくていいから」
「え、いいんですか?」
「うん。もう出してあるからいらん」
「は?」
どういうことだ。クラス担任からひとり一枚配られた入部届はまだ琉聖の手もとにあるはずなのに。
コホン、と煌我がわざとらしく咳払いを入れた。琉聖の視線を受けると、煌我はにこやかにサムズアップした。
「おれが代わりに出しといた。体験入部の初日に」
「はぁ!? てめぇ、やっぱり最初から……!」
「さ、練習練習! 早く着替えてこいよ、琉聖」
「ちょっと待て、代筆の入部届なんて無効だろ」
「なに言ってんだ、有効に決まってんだろ。顧問の浜園先生がはんこ押したらオッケーだ!」
「顧問って……」
なるほど、美砂都が向かったのは男子バレー部の顧問のところというわけか。なにからなにまで計算し尽くされたような一連の流れに、俺はとんだピエロだなと琉聖は大きくため息をついた。
眞生が部室へ案内してくれると言い、琉聖は素直についていった。
もうバレーなんてやらないと固く誓ったはずの心は、音もなく、琉聖のもとを離れていった。