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CHANGE ~県立実里丘高校男子バレーボール部の受難~  作者: 貴堂水樹
第1セット もうバレーなんてやらない
7/38

4-3.

 青と黄の球体が、小刻みに震えていた。

 隣のフロアで、女子バスケ部が練習を開始した。快活なかけ声とともにウォームアップのランニングが始まり、琉聖たちの立つもう半面の静けさがより一層際立った。

 誰も声を発しない。琉聖も、煌我さえも。

 ただ琉聖の手の上で、バレーボールが音もなく震え続けている。

「怖いんだ、俺」

 やがて、琉聖がぽつりとこぼした。

「負けるのが怖い。試合に出ることさえも、今は」

「そんなの、みんな一緒だ。誰だって負けたくなんかねぇよ」

 煌我が言った。琉聖は首を振る。

「そうじゃない。負けたら全部俺のせいだから。勝つために、というより、負けないためにバレーをしてた。『おまえのせいで負けた』って言われたくなかったから。あの頃はまだ気持ちが張りつめてたからどうにかやってこられたけど、たぶん、もう無理。一度離れたから、もう心がついていかない」

 バレーボールを求める気持ちの裏側で、自分を守るために、心が勝手にバレーボールを拒絶していた。

 ボールに手は伸びるのに、いざプレーしようとするとからだが震える。別の人間のからだを無理やり扱っているような感覚。眞生や雨宮に褒められたさっきのオーバーハンドパスだって、琉聖に言わせれば全然コントロールしきれていなかった。落下点が毎回違ったのだ。スタンディングでそんな風では、ジャンプトスになったらもっとブレる。常に正確さを求められるセッターにとって、パスの技術は生命線だ。今のままではいけない。こんなにも震えた手じゃ、トスなんてとても上げられない。

「ごめん」

 押しつけるように、琉聖はボールを煌我に手渡す。

「俺、もうバレーはできない」

 やらないのではない。できないのだ。

 目の端に、うっすらと涙がにじんだ。悔しさなのか、悲しみなのか。理由はよくわからなかった。

 うつむくと涙がこぼれそうで、琉聖は顔を上げた。

「誘ってくれてありがとう。全国制覇なんてそう簡単にはいかないと思うけど、おまえらが少しでも夢に近づけるように応援してる」

 がんばって、と言って微笑み、琉聖は煌我に背を向けた。「お邪魔しました」と主に二年生たちに向けて頭を下げて、出入り口である鉄格子の扉へ向かって歩き出す。

「待てよ!」

 双子が置いてくれた荷物を拾い上げる琉聖の背に、煌我の大声が突き刺さった。振り返ると、煌我は琉聖から手渡されたボールを右手一本で鷲づかみにし、突き出すようにその腕を前に伸ばして琉聖に言った。

「最後に一球だけ、おれにトス上げてって!」

 意外な一言だった。てっきり引き止められるのかと思ったけれど、煌我は「最後に」と言った。嘘はなさそうだと感じた。

「いいよ」

 たぶんもう、部に入れとは言われないだろう。ならば、最後に一球くらい付き合ってやるのはやぶさかではない。

 リュックの隣に、ちゃっかり琉聖の体育館用シューズが用意されていた。双子が勝手に持ち出したのだろう。眞生の言った「バレー教えて」は案外本気だったようだ。

 底の薄い真っ白なシューズに足を通し、学ランを脱いでリュックの上にそっと置く。シャツの袖をまくりながら、琉聖はまっすぐ手前のコート、ネット際のセットアップポジションへと向かった。ど真ん中よりわずかにライト寄り。セッターの定位置だ。

 煌我は同じコートのレフト側、アタックライン上に立った。アウトサイドヒッターというのはレフトまたはライト側から攻撃を仕掛けるアタッカーで、右利きの煌我は、相手コートを右手側にとらえられるレフトからの攻撃が有利だ。

 煌我がバスケのバウンドパスの要領で、琉聖にボールを回した。両手でキャッチして、そのまま床で一度弾ませてみる。パシン、と大好きな音が響いた。

 そうしているうちに、二年生ふたりが動いた。雨宮が向かい側の相手コート中央に、伊達は琉聖たちと同じコートの中央にそれぞれ立つ。

「久慈」

 雨宮に声をかけられる。球出しをしてくれるつもりなのだ。琉聖は「お願いします」と言ってネットの下から雨宮へボールを回した。

「レフトオープンでいい?」

 煌我に尋ねる。「おう!」と明るい声が返ってきた。

「むしろ低いのは困る。おれ、高いトスしか打てねぇから」

「そう。じゃあ、オープンで」

 もっともオーソドックスなトスだ。天井に向かって高く上がり、ゆっくりと落ちてくる。跳躍力のあるアタッカーには特に打ちやすい球だ。

 かすかに足が震えている。わかりやすく緊張していた。コートに立つのも去年の夏以来だった。

「失敗するかもしれないぞ」

 煌我に言った。「ないね」と煌我は琉聖の不安を一蹴した。

「確かに、今のおまえはバレーボール選手として死んでるかもしれない。でも、それは心だけだ。死んでるのは心だけ。だからなんの問題もない。からだは全部覚えてる。おまえのからだが勝手に、おまえにいいトスを上げさせるから」

 なんの問題もない、と煌我は自信たっぷりにくり返した。まったく、この男はいつもそうだ。琉聖より琉聖のことをよく知っている風な口を利く。出会ってまだ一週間、お互いのことなど全然知らないはずなのに。

 おかげで緊張が少しほぐれた。超がつくほどのポジティブシンキングだ。やっぱりただの能天気野郎かもしれないと、琉聖は心の中だけで冷ややかに笑った。

 いくぞ、と雨宮が声をかける。ネットを挟んだ向かい側で伊達が右手を挙げた。彼がファーストレシーブを担当してくれるらしい。

 テニスのラケットを振るようにスイングさせた右腕で、雨宮は左手の上に載せたボールを軽く打った。低速で飛ぶチャンスボールがこちら側のコートに入る。

「オーライ!」

 伊達がアンダーハンドでレシーブした。ゆるやかな放物線を描く軌道でボールは琉聖の頭上へと運ばれる。同時に煌我がアタックラインから大きく距離を取った。からだはサイドラインの外側へとはみ出している。

「レフト持ってこい!」

 煌我が叫んだ。耳を澄ませずとも、よく通り、体育館じゅうに響く声だった。

 足の震えが消えた。驚くほど落ちついている。

 他人にはわからないくらい短く息を吐いた。荒ぶりかけていた心の波は凪いでいる。

 ボールの落下点を見極めつつ、琉聖は煌我のスタート位置を目視で確認した。歩幅を予測し、二歩目、三歩目の踏み切り位置を頭の中で思い描くと、数秒後に煌我の右腕が振り抜かれるポイントがはっきりと見えた。トスを、そこへ。

 素早くレシーブボールの落下点へと入り、両足で踏み切って軽く跳び上がる。ありとあらゆる連係攻撃コンビネーションを操るために、ジャンプトスは習得必須のスキルだ。

 ジャンプと同時にサッと両手を額の前に構えると、空中でボールにタッチ。ふわふわと降ってきた鳥の羽根を受け止めるつもりで優しくボールを自らの額へ引き寄せてから、瞬時に手首を返し、押し出すように指先でボールを弾く。

 指から離れたボールは美しい放物線を描き、ゆったりとした速度でレフト方向へ飛んでいく。煌我の体格を考慮し、中学時代に上げていたオープントスより気持ち高めにボールを放った。

 タン、と煌我がフロアを蹴った。

 左、右、左とリズムよく助走を刻む。両腕の大きなバックスイングを伴い、勢いよく跳んだ。

 右肘を大きく引いてスパイクモーションに入った煌我の跳躍に、琉聖は息をのんだ。

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