4-2.
全体的に明るい体育館だった。人が少ないせいかもしれない。中学時代は部員たちがひしめき合うようにコート全体に散らばっていた。ちょうど体育館のもう半面を使って練習を始めようとしている女子バスケットボール部のように、琉聖のいた星川東中の男子バレー部も、三学年で部員五十名を超える大所帯だった。
「セッターがいないの、うちのチーム」
美砂都が紙コップに入った麦茶を琉聖に手渡しながら言った。
「煌我くんが一生懸命探してくれたんだけど、そもそもバレー経験者が少ないみたいで。なぜか女子のほうが多い学校だしね、実里丘は」
麦茶のコップを受け取りながら、琉聖は支柱に紐を結びつけている煌我を見やった。
なるほど、そういうことだったのか。昨日、おとといとおとなしくしていたのは、バレー部に入ってくれる新一年生を探していたからだったのだ。とりあえず試合に出られるだけの人数を揃えてもう一度琉聖を説得しようとしたのか、あるいは琉聖以外にセッターのできる人材を探していたのか。いずれにせよ、ヒットしたのはさっきD組の教室に現れた四人。そのうちひとりはバレー経験がなく、セッター経験者もゼロ。試合には出られても勝算はなさそうで、全国大会どころか、地方大会でさえどこまで上に行けるか見通せないような状況だった。
「それで、俺に入ってほしいと?」
マネージャーに尋ねるのはどうかと思いつつ訊いてみると、美砂都は曖昧に首を振った。
「私は純粋に興味があるだけ。全国レベルのセッターがどのくらいうまいのか」
「たいしたことないですよ。セッターなんて誰がやっても同じだと思うし」
「それは違うよ」
美砂都は即座に否定した。
「私もバレーやってたからわかる。セッターほど、実力の差が如実に表れるポジションはないと思う」
「へぇ、経験者なんですね」
「うん。ミドルブロッカーだったんだ」
「続けなくてよかったんですか? ここにもあるでしょ、女子バレー部」
美砂都は清々しく微笑んだ。
「中学の時、膝を痛めたの。激しい運動はもうできなくて」
清々しさの中に、あきらめと悲しみと後悔が同居していた。「すいません」と琉聖は余計な口を叩いたことを悔いた。
「やれるうちにやっておいたほうがいいこともあるよ」
美砂都はピンと張られたネットを見やった。
「あとになって『やっぱりやりたい』って思った時、やれなくなってたら悲しいじゃない」
口にこそ出さないけれど、「私はもうやれないから」と、スッと細められた美砂都のきれいなふたえの瞳が雄弁に物語っていた。
琉聖に笑いかけ、美砂都は壁に立てかけていたパイプ椅子を一脚、琉聖のために用意した。「ここ、どうぞ」と言い残し、足早に練習の準備へ戻っていく。椅子の上にはよく使い込まれたバレーボールが一つ、持ち主が現れるのを待つかのように置かれていた。
――琉聖が嫌いなのは中学時代の仲間で、バレーボールを嫌いになったわけじゃないから。
眞生の声で聞かされたセリフが、煌我の声で再生される。視線の先には、活躍の時を待つバレーボールが一つ。
吸い寄せられるように手が伸びた。無意識の行動だった。
麦茶のコップと引き換えに、琉聖の手にはバレーボールが収まった。軽いように見えて、片手で持つとちゃんとした重みを感じるのがバレーボールの特徴だ。
ゆっくりと立ち上がる。胸の前にある青と黄に彩られた球に目を落とす。
触るのは去年の夏以来だ。全中が終わって引退してから、一度もバレーをやっていない。ボールに触れてさえいない。
ボールを支える両手に、いつの間にか力が入っていることに気づく。胸の奥がくすぐったい。ただここで突っ立って、ボールと見つめ合っているだけでは、この胸のざわめきはとても治まりそうになかった。
ボールを右手に持ち直し、ふわっと高く、頭の上に放り投げた。
右足を一歩踏みだし、ゆったりとした速度で落下してくるボールの真下へ移動する。両手の親指と人差し指で作った三角形を額の前に構え、落ちてきたボールを額へ引き寄せるように優しく受け止めた。
そのまま素早く手首を返し、両手の親指、人差し指、中指の六本で真上へ押し出すように弾く。顎を引き、跳ね返したボールの行方を目の動きだけで追った。
二メートルほど舞い上がったボールが、再び頭の上へ落ちてくる。両手で優しく受け止め、上空へ押し戻す。ボールを完全に手で持ってしまうと反則になるため、必ず指先で弾き返すことを意識する。教科書どおりの、オーバーハンドパスの基本形だ。
十回ほどポンポンとボールと戯れ、ようやく周囲から視線を集めていることに気がついた。いつの間にか、練習着に着替えていた眞生たちが体育館へ戻ってきていた。
「すげぇ」
眞生が吐息を交じらせた声で言った。
「なんか違う。動きがしなやか」
「確かに」
部長の雨宮が感心したように腕を組んだ。
「これが全国レベルのプレーか。オーラが違うな。ちょっとボールに触っただけでうまいのがわかるって、すごいよな、やっぱ」
他の部員たちも次々とうなずく中、煌我だけは黙って琉聖を見つめていた。
その顔を見て、琉聖は悟った。煌我にだけは、なにもかもがバレている。
ボールを右手に乗せたまま、まっすぐ煌我のもとへ歩み寄る。無言のまま向き合って立つと、琉聖は煌我にボールを差し出した。
「ありがとう。久しぶりにボール触れて楽しかった」
「琉聖」
「見ろよ、佐藤」
琉聖は、ボールの載せられた自らの手に目を落とした。
「俺の手。こんなに震えてる」