4-1.
水曜、木曜と、煌我は琉聖を誘いに来なかった。ようやくあきらめてくれたかと安心できればよかったのだが、静けさがむしろ不安を煽った。煌我のことだ、なにか企んでいるのではないか。そう思えてならなかった。
琉聖の不安は的中した。金曜の放課後、見知らぬ男子生徒が四人、琉聖を訪ねて一年D組の教室までやってきた。
「きみが久慈琉聖くん?」
男子にしてはやや高い声で、一番背の低い生徒が席につく琉聖を覗き込んだ。
「そうだけど」
「やった、当たり! D組で一番愛想の悪そうなヤツって聞いてたけど、すぐわかっちゃった」
反射的に琉聖はそいつの悪ガキ丸出しな笑顔を睨んだ。誰がそんなことを吹き込んだのかは訊かずともわかる。煌我だ。
ズラリと並んだ男子生徒を、琉聖は座ったまま順に見渡す。
声をかけてきた失礼な男は琉聖より背が低く、一六〇センチ前後と見えた。
対してその隣はやたらとデカくて、そういえば煌我が一九九センチある一年がいるとか言ってたなと思い出す。こいつのことなのだろうが、デカい割にあまり威圧感がなかった。表情もどことなく不安そうで、気の弱い男なんだろうなと琉聖は勝手に想像した。
残るふたりは双子だった。ぼんやりと眠そうな目をしていて覇気がない。好んで運動部に入るタイプにはとても見えなかったが、人を見た目で判断するのはよくない。実はめちゃくちゃ足が速いとか、そんな特技を隠しているかもしれないのだ。そう思ってから、ないなと即座に否定した。
琉聖は静かに席を立った。
「おまえら、バレー部?」
そうだよ、と一番小さいやんちゃな子犬みたいな男が答えた。
「オレは栗林眞生。このでっかいのが小椋大二郎。あだ名はオグね。で、そっちの双子が最上左京と最上右京。左京がお兄さんで、右京が弟なんだって」
「ちなみにおれが右利きでー」
兄・左京がもったりとした口調で言いながら右手を挙げ、
「おれが左利きー」
弟・右京が同じ声でまったりと左手を挙げた。「めんどくさ」と琉聖は顔をしかめてつぶやいた。名前と利き手の左右がテレコになっている。
「そんでさ、琉聖」
眞生が本題を切り出した。
「頼みがあるんだけど」
「おめでとう」
眞生になにを言われる前にと、琉聖が割り込むように口を開いた。
「二年生ふたりに、佐藤とおまえら四人。よかったな、七人いれば試合に出られる」
「うん、ありがとう。でも、一つ問題があって」
「問題?」
「そう。オレ、中学時代はバド部だったのね。バドミントン。だからバレーはまったくの素人なの」
話が見えない。「それで?」と琉聖は先を促した。
「琉聖、知ってる? 男子バレー部に監督がいないって話」
「監督がいない?」
初耳だ、と一瞬思ったが、そういえば雨宮が「前の顧問」と口走っていたことを思い出した。
「ひょっとして、転勤?」
「そう。三月まで監督だった先生が、四月から別の高校へ転勤になっちゃったんだって。今年からは副顧問だった先生がスライドして顧問になってくれたんだけど、元野球部のおじいちゃんで、バレー経験はゼロらしいんだよね。オレはまったくの素人だし、こいつら三人もいちおうバレー経験はあるけど全然強くないチームにいたって言うんだよ。だからさ」
眞生がくるりと丸い目をキラッと意味ありげに光らせた。
「琉聖、オレらにバレー教えてくんない?」
なるほど、そう来たか。琉聖の頭の中に、白い歯を見せて笑う煌我の顔が描かれる。監督という名目で琉聖をバレー部に引きずり込む。それが煌我の考えた新たな策というわけだ。
「悪いけど」
琉聖はうんざりした顔で右手を腰に当てた。
「俺、バレーとは金輪際かかわらないって決めてるから」
「うん、煌我から聞いてる」
「だったらどうして……」
「煌我がさぁ」
眞生が真剣な目をして言った。
「琉聖が嫌いなのは中学時代の仲間で、バレーを嫌いになったわけじゃないって言うんだよね」
そうなの? と眞生が尋ねてくる。琉聖は生唾をのみ込んだ。
うまく答えられなかった。バレーが好きだった自分は、過去のものにしたはずだった。
なのに、答えられない。胸の奥がムズムズして気持ち悪い。
全中を終えたあとは、とにもかくにもバレーから離れたい一心だったはずなのだ。強豪校から進学のオファーがいくつも来ていたけれど、バレーはやめますと言ってすべて断った。迷うことなく地元の公立高校への進学を決められたのは、バレーをやりたくないから、バレーを嫌いになったからだったはずだ。
バレーが大好きだったのは過去の自分。それが答え。絶対的な回答であるはずなのに、その言葉は口を衝かない。バレーが嫌い。そう胸を張って言えない自分が、心の奥に居座っている。
「とりあえずさ」
黙ったまま視線を泳がせてしまっていると、眞生がからっとした声で言った。
「一回、見学に来たら? ついでにオレたちの指導もしてってよ」
「ついで、って。おまえ、本音がダダ漏れだぞ」
「細かいことは気にしなーい! ていうか、どっちみち来てもらうことになるんだけどね」
「は?」
眞生がニヤリと右の口角を上げた。
「四人がかりで連れてこいって煌我から言われてんの、オレら」
「え」
琉聖が声を上げるのとほぼ同時に、からだがふわりと宙に浮いた。
「うわっ! え!?」
気がつけば、一九九センチの巨体に担ぎ上げられていた。教室の天井がやたらと近い。
「ばっ! やめろ、下ろせ!」
「あ、ダメ! 琉聖くん、暴れないで。落ちちゃう」
「『落ちちゃう』じゃねぇだろ! 下ろせよ早く!」
肩の上でギャーギャー言っている琉聖と、その下でオロオロしているひょろ長い男、オグこと小椋大二郎。ふたりを横目に「はい行きますよー」と眞生が場を仕切るように手を叩いた。
「一名様、男子バレー部にご案内ー」
「ちょっと待て! 俺は行くなんて一言も言ってねぇぞ!」
「左京と右京は琉聖の荷物持ってきてね」
「「ほーい」」
眞生の指示に双子が仲よく声を揃えた。「おい! 無視すんな!」と琉聖は眞生に向かって吠えた。
「待て! 行かねぇぞ俺は! 早く下ろせ! えーっと、おまえ名前なんだっけ!」
「小椋です。オグでいいよ。煌我くん以外はみんなそう呼ぶから」
「オグね。了解。とにかく早く下ろしてくれ、オグ!」
「下ろすよ」
オグの代わりに眞生が答えた。
「体育館についたらね!」
走れ、オグ! と眞生がオグに指示を飛ばした。「えぇ、走るのは無理……!」と弱気なことを言いながら眞生に続いてひょこひょこと走り出したオグの上で、琉聖が「下ろせぇえええ!」と絶叫した。最後尾を走る双子がアハハと仲よく笑っている。
周囲の視線をひとり占めしながら、琉聖は制服のまま体育館に運び込まれた。到着する頃にはぐったりしていて、下ろされるがままフローリングの上にうつ伏せで倒れ込んだ。
「琉聖!」
着替えてくると言って一度体育館を立ち去った四人の一年生と入れ替わりに、すでに練習着姿である煌我が、ばったりと倒れたままの琉聖の脇に片膝をついて背中をバシバシと景気よく叩いた。
「待ってたぞ! よく来てくれた!」
「酔った……動けん……」
「よし、さっそく練習だ!」
案の定、琉聖の言葉はまるっきり無視され、煌我は上機嫌で張りかけのネットに向かって歩き出した。
「大丈夫?」
冗談ではなく本当に立ち上がれずにいると、頭の上からみずみずしい女性の声が聞こえてきた。腹に力を入れて顔を上げると、男子バレー部の先輩である雨宮や伊達と同じ濃紺のジャージをまとった女子生徒が、高い位置でくくったポニーテールを揺らして琉聖を覗き込んでいた。
「きみね、久慈琉聖くんっていうのは」
「はぁ、どうも」
「時田美砂都です。男バレのマネージャーだよ」
よろしくね、と言って手を差し伸べられ、琉聖は遠慮がちにその手を借りて床に座り、顔を上げた。
目の前に、バレーボールコートがあった。
九×九メートルの正方形を二つつなげ、間に二メートル四十三センチのネットを立てる。サイドライン、エンドライン、センターラインの他、各コート、ネットから三メートルの位置にも白線が引かれている。アタックラインといって、前衛のプレイヤーの攻撃位置を示すものだ。
ネットを立てるための支柱の脇に立った煌我が、逆サイドの支柱付近にいる雨宮と伊達に声をかけていた。三人でネットを張ろうとしているらしい。
心臓の鼓動が速くなるのを嫌でも感じた。
これから、この場所で、バレーボールが始まろうとしている。胸の奥で、なにかがざわざわと音を立てた。