3-2.
〇
顧問の教諭からマッサージを受け始めた久慈琉聖の姿が目の端に映り、井波はかすかな緊張を覚えた。
セット間のブレイク時、雨宮に怒鳴られていたのが遠くに聞こえた。てっきり「もう試合には出さん」と言われていたのかと思ったが、単純に休ませていただけだったのか。
しかし。
厳しい目をして、井波は実里丘コートを見やる。
「よく拾う選手がいたものだ」
久慈の代わりに投入された唯一のベンチスターター、8番の選手に目を向ける。
レシーブフォームのぎこちなさから、高校に入ってバレーを始めた一年生であるらしいことはわかる。だが、とにかくよく拾うレシーバーだった。
強打を打っても拾われる。真正面でなくても飛びつかれる。味方がコート外へ弾き飛ばしたレシーブボールでさえ猛ダッシュして追いつき、あっさり返球されてしまう。
凄まじい身体能力だ。中学時代に別のスポーツを嗜んでいたことは弁を待たないが、それにしても。
サーブではあの8番を狙えとみんなに指示を出してしまった。采配ミスだ。8番の選手より、エースアタッカーのほうがずっとレシーブ力に乏しい。
「一杯食わされたな」
苦笑いがこぼれ落ちる。あんな隠し球を持っていたとは、やはり侮れないチームだ。
次のラリーは井波のサーブから始まる。エンドラインから大きく距離と取ったところで、井波はもう一度笑みをこぼした。
わくわくしてたまらなかった。こんなにも楽しくて、こんなにも勝ちたいと強く思ったのは久しぶりだ。
リードは一点。久慈が戻ってくる前に、もう少し差を広げておきたい。
「負けてたまるか」
主審の笛と同時に、井波は高らかにジャンプサーブのトスを放った。
〇
「ナイスフェイント、左京!」
長いラリーの末、左京がフェイント攻撃を決めて実里丘に得点が入った。
四対四。正南学園がリードを保つ展開から一転、ゲームはふりだしに戻った。
「よし」
琉聖が一歩前に出る。いよいよ眞生との交代の時間だ。
ベンチを振り返る。浜園、美砂都、伊達の三人が笑顔で送り出してくれる。
「いってらっしゃい!」
「いってきます」
少し恥ずかしそうに答え、琉聖は副審に駆け寄った。
「メンバーチェンジお願いします」
副審が笛を吹き、試合を一時中断させる。笛の音に気づいた眞生が、まっすぐ琉聖の待つサイドライン際へと駆けてきた。
「すごかったぞ、眞生」
肩の高さで眞生と静かに手を重ねながら、琉聖は眞生の健闘を称えた。
「おまえのところへ飛んできたボール、一度も落とさなかっただろ」
「へへっ、まぁね。案外なんとかなるもんだなって思った」
「言うねぇ」
ふたりが笑い合っている間、副審がせっせとラインアップシートの書き換えをおこなっている。交代したメンバーの背番号などを控えているのだ。メンバー交代には回数制限がある。
「ありがとう、眞生」
琉聖は改めて礼を述べた。
「助かったよ。おまえがいてくれてよかった」
「こっちこそ。まさか今日がデビュー戦になるとは思わなかったけど、すげー楽しかった!」
眞生の笑顔を見て、ふと、入学式の日にもらったビラを思い出した。『男子バレー部の救世主』。あの文言はまさに眞生のことだったなと琉聖は思った。
「けどさ、琉聖。腰、大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。浜園先生のゴッドハンドで治してもらった」
「へ?」
眞生が目をまんまるにしたところで、副審が「はい、いいですよ」とふたりに交代するよう促した。
「お疲れ、眞生。あとはまかせろ」
「うん、まかせた!」
重ねた右手をスッと離し、サイドライン上でふたりの立ち位置が入れ替わる。
眞生がベンチへ。そして琉聖が、満を持してコートに立った。
「琉聖!」
煌我が一番に駆け寄ってきて、互いに両手でハイタッチを交わした。
「大丈夫か?」
「おう。ごめんな、心配かけて」
琉聖は自信を持って答えた。浜園のマッサージがよく効いて、背中に翼が生えたみたいに足が軽々と動くようになったのだ。
「無理するなよ、久慈」
雨宮が声をかけてきた。琉聖は迷わず頭を下げる。
「迷惑かけてすいませんでした」
「もういいよ。俺のほうこそ、怒鳴って悪かった」
笑顔でハイタッチを交わす。他のみんなとも、琉聖は次々に手を重ねた。
「はぁ、よかったー」
煌我がホッとした顔で息をついた。
「やっと琉聖のトスでスパイクが打てるよー。雨宮さんのじゃ、なーんか調子狂うっていうか」
「佐藤てめぇぶっ飛ばすぞ!」
雨宮が吠えた。
「なんで俺が文句を言われなきゃいけないんだ! こっちは慣れないことを必死にやってやったってのに!」
「まぁまぁ、裕隆」
いつの間にかベンチからやってきていた伊達が仲裁に入る。
「抑えて抑えて」
「公恭!」
「さ、ぼくらも交代しよう。お疲れさま、臨時セッターさん」
トントンと肩を叩いてねぎらわれた雨宮は、不機嫌な顔のまますごすごとベンチへ下がっていった。実里丘が、ようやく本来のチーム編成を取り戻した。
ネット際に立ち、琉聖はフッと気持ち強めに息を吐き出す。
大丈夫。やれる。美砂都にやってもらったテーピングで腰は固めた。問題ない。
相手コート鋭く睨む。顧問の浜園に、この試合にバレー人生をかけると宣言してきた。
「いくぞ」
負けられない。絶対に。琉聖は力強く言葉を紡いだ。
「反撃開始だ」




