2.
第三セットは正南学園のサーブからスタートした。
実里丘の守りは、セッター役の雨宮と、サーブレシーブに不安のある煌我をネット際に上げ、右京、リベロの伊達、左京、そして琉聖の代わりにコートに入っている眞生の四人で陣を敷く。雨宮はオグの対角、ミドルブロッカーのポジションに残ったままセッターを務め、琉聖があけた右京の対角のポジションに眞生がはまっている状態だ。
相手セッターのジャンプサーブは、小手調べのつもりか、眞生を狙って打ち込まれた。井波や名越ほどの威力はないが、初心者の眞生を襲うには十分すぎるほどの速さがある。
「よっと!」
それでも眞生は、琉聖から教わったレシーブの基礎をしっかりと実践し、ボールをコートの中に残した。
「オッケー! ナイス眞生!」
雨宮がネット際からボールに向かって走り出す。レフトから右京が、ライトから煌我がそれぞれトスを呼んだ。
雨宮はレフトで待つ右京にトスを振る。大きく上がるオープントスだ。しかし、左利きの右京にとってレフトからの攻撃では分が悪い。相手の高い二枚ブロックにあえなくシャットアウトされ、〇対一。ゲームは正南学園の先制で始まった。
「真正面に打つなよ、バカ」
琉聖がぼやく。膝をかかえた体操座りの姿勢から動かない。動けなかった。気力もない。
再び眞生がサーブで狙われたが、眞生は今度も手堅くレシーブボールをコート内に残した。ほとんど真上に上がり、眞生のすぐ隣で守る左京が二段トスを上げる。
「左京! ライトだ!」
煌我が叫んだ。「こうがよろしくー!」と左京は煌我の呼び声に従った。
「よっしゃあ!」
ポーンと高らかな放物線を描く左京のトスに対し、煌我はタイミングをはかりながらゆっくりと助走に入る。一、二、三と流れるような美しいフォームで足を踏み出し、ダイナミックなバックスイングから大きく右腕を振り上げてフロアを蹴った。
高く、天まで届きそうなくらい、煌我は大きく勢いよくジャンプした。そのまま大きく振りかぶった右腕が力強く振り抜かれるのだと、会場にいる誰もが思った時だった。
煌我の右手が、上に高く伸ばした状態で止まる。指先だけでボールに触れた。
琉聖は座ったまま身を乗り出した。煌我の指先から離れたボールは、ふわりと宙をたゆたうタンポポの綿毛のような動きで相手の二枚ブロックの上をすり抜けていく。
琉聖も、ブロックに飛んだ相手のふたりも、実里丘の選手さえも、煌我のプレーに目を見開いた。
ストン。
正南学園コート、ブロックに飛んだ二年生ミドルのすぐ後ろ。
煌我の放ったフェイントが、静かにフロアを鳴らした。
「嘘だろ」
琉聖のつぶやきは、煌我の雄叫びにかき消された。コートに立つ雨宮たちが、満面の笑みで一斉に煌我を囲む。
会場のボルテージが一気に上がった。一対一。ゲームはふりだしに戻った。
「なんだよ」
しばらく唖然としていた琉聖だったが、やがて小さく笑みをこぼした。
「やればできんじゃん」
心が震えた。自分と同じくらい意地っ張りな煌我が、あれほど頑なに拒絶してきた軟打による攻撃に打って出た。
聞こえる。これまで塞いでいたこの耳に、今、確かに届いている。
変化の足音。期待の高まる胸の音。
勝ちたい。負けたくない。変わりたい。強くなりたい。
負けない、絶対に。
全員の心の声が、耳の奥でこだましている。
「煌我!」
琉聖が叫んだ。立ち上がれないまま、大切な仲間の名を呼んだ。
煌我がゆっくりと振り返る。少し驚いたようなその顔に、琉聖は曇りのない笑顔を向けた。
「ナイスフェイント!」
ぐっと親指を立ててやる。煌我はなぜか「だーもう!」と怒って短い黒髪をぐしゃぐしゃにした。
「やっぱ嫌いだ! セコいぞ、フェイントなんて!」
「なんだそれ」
琉聖が笑う。煌我も笑った。コートの中と外だけれど、ふたりは心でハイタッチを交わした。
実里丘にサーブが回る。ファーストサーバーは雨宮だ。
リベロの伊達と交代でコートに入るオグが、走り出してすぐ立ち止まり、琉聖を振り返った。
「琉聖くん」
「うん?」
「ボクは……」
オグはいつものように不安そうな目をして言った。
「ボクは、ヘタだから。琉聖くんがいてくれないと、なにもできない」
「そんなことないって」
琉聖は右手を腰に添え、ふらふらしながら立ち上がった。咄嗟に支えてくれたオグの背中を、琉聖はポンと叩いてやる。
「大丈夫。トスは上がってこなくても、おまえにはブロックっていう強い武器がある。その武器で点を稼げばいい。誰よりもデカいおまえにしかできない点の取り方だろ?」
励ましたつもりが、むしろオグはさっきよりも不安そうな顔になった。「がんばれ」と琉聖はさらに背中を押してやる。
「大丈夫だ。コートにはみんながいる。勝てるよ、絶対に」
オグ! と交代を待つ伊達が叫んだ。オグはちらりと伊達を振り返って、再び琉聖と目を合わせた。
「琉聖くん、戻ってくるよね?」
「え?」
「この試合……もう、コートには戻ってこないの?」
針が刺さるような痛みを胸に覚える。
考えてもみなかった。
俺はこのまま、この試合が終わるまで、ずっとベンチをあたため続けるのだろうか。




