9-4.
右京の三本目のサーブはきれいにレシーブされ、三年生ミドルのAクイックが決まって五対九。続く正南学園のサーブはミスとなり、六対九。
オグにサーブが回り、雨宮が前衛に上がってきた。オグのへなちょこサーブがあっという間に切り替えされ、六対十。なかなか点差が縮まらない。
しっかりしろ、と琉聖は自らの頬を両手で叩く。腰から太腿のほうへ、疼くような痛みがじわりじわりと広がってきている。
サーブレシーブが乱れた。琉聖はボールの落下点めがけて走り込む。
足が重い。いつもなら余裕でジャンプトスができるのに、追いつかず、アンダーハンドで無理やりライトの左京へとトスを振った。苦しい攻撃となり、ブロックに阻まれた。六対十一。
続くサーブレシーブはきれいに琉聖へと返り、雨宮のAクイックで切り返して、七対十一。
左京がサーブに下がり、煌我が前衛に上がってきた。煌我の表情は冴えない。
「琉聖、大丈夫か?」
ユニホームの袖口で額の汗を拭う琉聖を、煌我は心配そうに見やる。「問題ない」と琉聖は答えた。
「頼むぞ、煌我。相手の動きをしっかり見て打てよ」
「お、おう。まかせとけ!」
返事は立派だが、俺の言いたかったことはきちんと伝わっただろうかと琉聖はやや不安になる。さっさと勝って試合を終わらせたいのに、よく考えもせず無闇やたらに強打ばかりを打たれてはたまらない。
正南学園のレシーバーが左京のサーブの対応に苦慮し、ライトで待つ名越に振ったセッターのトスはネットに近くなりすぎた。
「おらぁっ!」
ネット上での、名越と煌我の空中戦。右手一本で押しきろうとした名越だったが、両手でブロックした煌我がパワーでねじ伏せた。
「しゃあ!」
「くそ!」
ボールを吸い込む形となった名越が自力でフォローしようとするが、ネットに邪魔され、うまく上がることはなかった。
八対十一。ゲーム中盤、再び実里丘の追い上げムードが高まってくる。
次のラリーは長い打ち合いになった。両チームともスパイクが軒並みブロックに引っかかり、強打とチャンスボールが何度もネットの上を行き来した。
「頼む、煌我!」
乱れたレシーブから煌我に大きくトスを振る。煌我が高らかに跳ね、右腕を振り抜いた。
二枚ブロックの間を、技術ではなくパワーで押しきるスパイクになった。ボールが正南学園コートに落ち、九対十一。実里丘が流れを掴みつつあった。
「追いつくぞ!」
琉聖が声を張る。チームメイトが呼応する。
コート内が、ほどよい緊張感と熱気に包まれていく。勝ちたい。格上の相手だけれど、負けたくない。全員のそんな気持ちがどんどん強くなっていくのがわかる。
いつも以上に気合いの入った左京のサーブが相手を崩し、チャンスボールが返ってきた。伊達のレシーブから、琉聖はジャンプトスのモーションに入る。
「7!」
雨宮の声が聞こえた。――いける。絶対に決まる。
雨宮だけが呼ぶ『7』は、センターからライト側へと走り込んで強打を打ち込む移動攻撃のサインだ。ジャンプした琉聖は、両手でタッチしたボールを弾く直前、ライト方向へバックトスを上げるため、上体を軽く後ろへ反らした。
「うっ」
琉聖の表情が空中で歪む。腰に激痛が走った。
いつもとなんら変わりない、美しい軌道でトスが舞う。左足一本で踏みきった雨宮が腕を振る。相手ミドルの左脇をすり抜ける、ノータッチの強打が正南学園コートに叩き込まれた。
ボールの行方を見届けられず、琉聖は雨宮がスパイクを打つ音だけを背中越しに聞いていた。フロアへ着地すると同時に前屈みになり、無意識的に右手で痛む腰を押さえた。
強烈な痛みに息が詰まる。限界だ。立っていることさえうまくできそうにない。
苦悶をその顔に映し、琉聖は膝からくずおれた。主審の笛。雨宮の声。沸き上がる会場の熱気。それらのすべてが、別の世界のものに思えた。痛みに打ち震える琉聖のからだだけがこの世界に取り残されているような、寒々しい孤独感に苛まれる。
「琉聖!」
煌我の声で、少し意識がはっきりした。続く「大丈夫か!」の一言で耳が冴え、会場がざわついているのがわかった。
骨が悲鳴を上げている。立ち上がろうにも、足に力が入らない。恥を忍んで、琉聖は「煌我」と声を絞った。
「ごめん、ちょっと肩貸して」
「いやいや、待てって! そんなんで立ち上がれんのかよ?」
「いいから。早く」
「久慈」
雨宮の声が頭上から降り注いだ。
「腰か?」
「いえ、なんでもないです」
「なんでもなくないだろ。腰を痛めたのかって訊いてんだ。きちんと答えろ!」
怒鳴られた。雨宮が声を荒げる姿を見るのははじめてだった。
痛みをこらえ、琉聖は自力で立ち上がろうと片膝を立てる。煌我が手を差し伸べてくれた。立ち上がると、軽い眩暈を起こしてふらついた。
「生まれつき、腰に痛みが出やすいからだなんですよ、俺」
答えながら、なぜか無性に腹が立った。誰に対しての怒りなのかはわからない。
「今みたいに、バックトスを上げたりして背中を反らすのがダメで」
「なんだよそれ。聞いてないぞ、そんな話」
「そりゃあね。言ってないから」
「ふざけるな!」雨宮の罵声。「おまえ、まさかそのまま試合に出続ける気か!」
「当たり前でしょ。俺以外にセッターできる人、いないんだから」
雨宮は黙った。誰も琉聖の言葉に反論できなかった。
ベンチに残っているのは、セッターどころかバレーボール経験すらろくにない眞生ただひとり。琉聖の代わりをさせるのはあまりにも酷だ。他の誰かがセッターをやるにせよ、これまでどおりのプレーは間違いなくできなくなる。ただでさえ負けているゲーム展開なのだ。このセットを落とせばフルセットになり、どんどん分が悪くなる。
「俺は大丈夫」
しゃんと背筋を伸ばして立ち、琉聖は全員に聞こえるように言った。
「あと一点で追いつけるんだ。このセットを絶対に取る。そうすりゃ俺たちの勝ちだ」
「琉聖」
煌我が不安だらけの表情で琉聖を見る。翳りのあるその顔を、琉聖は痛みをこらえながら睨みつけた。
「勝つ気がないなら、おまえがベンチに下がれ」
「違う、そんなつもりじゃ」
琉聖の右手が、煌我の胸ぐらを掴み上げた。
「だったらそんな顔してんじゃねぇよ。エースだろ!」
「すまん、おれは……」
「いいか、一瞬でもあきらめてみろ。そんなヤツには二度とトスなんて上げない。二度とだ」
煌我が生唾をのみ込む音が聞こえた。手を離した琉聖は、うつむき、肩で息をした。
「これまでどおりだ。これまでどおり、やる。おまえらアタッカーは、一点でも多く稼いでくることだけを考えてくれればそれでいい。あとのことは、俺がなんとかするから」
勝てばいい。
試合にさえ勝てたら、細かいことはすべて帳消しになる。
ピリピリと痛む腰を指の腹でセルフマッサージしながら、琉聖は正南学園コートを見た。
キャプテンの井波が、険しい表情で琉聖のことを見つめていた。




