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第九十九話・「些細なことだ、気にするな」

 惨劇と死闘の間にはそぐわない、賛辞。本来あるべきは壮大なオペラホール。

 その響くような高く乾いた音は、断続的に俺とキズナの耳に届く。何事かと首をかしげる俺よりも早く、キズナは音のする方向に目を向けていた。

 人質達が押し込められていた一角とは反対の座席にからのぞく頭頂部。黒髪の人間であった。

 男はゆっくりと腰を上げると、のそのそと座席の間を通り抜けて、女の背後に立つ。

 黒のレザーシャツに、ダメージのあるジーンズ。動きの度に揺れ動く銀のウォレットチェーンが、ラフな雰囲気の中にひときわ光彩を放つ。


「ねぇねぇ、褒められたみたいよ、私」


 小鼻をつんとさせて俺に誇ってみせる。


「そのようだな」


 褒められたことに対し無邪気に誇ってみせるその姿は、泥遊びの似合う子供のようだ。嬉々として殺し合う人間の笑みには思えない。おもちゃが単に武器に変わっただけ……キズナにとってはそれに似たような感覚なのだろう。

 額の出血は、拍手の中、人間とは思えない回復力ですでに止血され始めていた。【恩寵者】であるキズナの垂れ流すほどの魔力は、自然治癒という本人の意思とは別の方向で、キズナをフォローする。

 本人にその自覚はないだろうが、優れた才能である。


「傷はどうだ?」


 一応、師匠らしく弟子を気遣ってみる。キズナは唇に達した最後の血液をぺろりと舌で舐め取り、刀身のない【川蝉】を手の中で器用に回転させてみせた。


「ん、こんなのかすり傷よ、どうってことないわ。放っておけば勝手に治るわよ」


 それはお前だけだ。

 そして……拍手が止まる。

 座席から中央通路に立った男は、切れ長の目をキズナに向ける。上から下までしっかりと確認した後、傍らで血を流す女を見る。


「お前、やるな。金で雇った奴らには、はなから期待はしていなかったとして……」


 キズナが瞬殺した男達にはさほどの興味も示さない。


「大丈夫か、ディナ?」


 長々とした拍手の後に出たのは、キズナへの賛辞と、ディナと呼ばれた女への労りだった。


「かなり血が出てるぞ」

「……出てません」


 出てるだろ……と、敵にお節介は不要か。


「出てるじゃない」


 男の心配を突っぱねる女に、我が弟子はつっこまずにはいられなかったようだ。俺の思考と同じタイミングで言葉が出るあたり、良くも悪くも弟子と言うことか。

 ううむ、そういうところは似て欲しくないのだが。


「敵もそう言ってるぞ、ディナ」

「……」


 余計なことを言ったキズナに敵意に勝る殺気をぶつけてくる。

 おお、怖い怖い。

 俺はポケットに隠れながら、身をぶるぶると震わせる。倭国には雪女という妖怪がいるそうだが、こんな感覚なのだろうか。

 ……ともあれ、だ。どうやらキズナと壮絶な頭突き合いを演じた女はディナという名前であるらしい。


「意地張るな、出てるだろ。ほらこっち向け、確認してやるから」


 男はディナの小さな肩にぽんと手を乗せた。ディナは肩に乗る男の手を見つめる。


「……意地など張っていませんし、血など出てませんし、こっちも向きませんし、確認も不要です」


 氷のような無表情で、淡々と言葉を凍らせる。触れれば凍傷を起こしそうな、声音の連続に男は困った顔をし、頬を指でポリポリとかく。


「いい加減にしろよ、強情っ張りめ」


 がしっ、ぐいっ、という擬音語がぴったりな所作で、ディナの頭を鷲づかみにし強引に自分の方を向かせる。

 ディナの首の心配をしたくなるが、男はそんなことを気にする素振りも見せず、ポケットから丸められたハンカチを取り出し、ごしごしとディナの額を拭いていく。

 優しさの欠片もない拭い方だが、ディナはあきらめたように抵抗の素振りを見せない。

 やがて雪解け水が流れるような細々とした声色で、ディナがつぶやく。


「……痛いです」


 押しつけたハンカチに隠れしまって、ディナがどのような顔をしているかは見えない。


「ほら見ろ、痛いんじゃないか」

「……。あなたという人間には、優しさが足りません」

「ま、それは些細なことだ、気にするな」

「……。お言葉ですが、この痛みはあなたのせいです」

「些細なことだ、気にするな」


 男の困り顔につけ込むように、ディナは言葉の槍で男を突く。しかし、ハンカチで拭うことを止めようとはしなかった。まるで鼻をかめない子供に母親がハンカチをあてがう構図。


「そもそも私は意地など張っていませんでしたし、血も出てませんでしたし、こっちも向くつもりもありませんでしたし、確認も不要でしたし、首も痛みを訴えずに済みました」

「些細なことだ、気にするな」

「……時にジェイク。このハンカチは一刻ほど前にトイレに行かれたときの物では?」

「……。些細なことだ、気に」

「します」

「すまん。つい、な」


 男は血を拭ったハンカチをぽいと後方に投げ捨てる。それをディナは素早くつかむと、鼻をぶつける距離に詰め寄る。血液を失った蒼白の表情は、無表情の中にさらなる威圧感をプラスさせる。


「すまん。つい、な。ポイ捨ては禁止だったよな」

「……。これは洗って返します」


 ハンカチをしまうディナに男は目を丸める。


「あ、おお……すまん」

「なぜ謝るのですか」

「すまん。つい、な」

「だから、なぜ謝るのですか」

「すまん。つい」

「もう結構です」


 押し問答はディナの勝利に終わったらしい。


(そうか、この男が……)


 記憶と声を照合させる。ジェイク。ディナは男をそう呼んだ。優男然とした男を呼んだディナの声に間違いはない。


(この男が【ハンド・オブ・ブラッド】のボスか)


 殺気のほとばしっていた車内にあるまじき会話に和んでいる場合ではないようだ。


「羨ましいぜ、ボスはいつもディナにはあめーんだよな。お前もそう思うよな、アルフ?」


 レザージャケットの男が奥の通路扉から姿を現わす。


「嫉妬か、キース。男のくせに女々しいぞ」


 続いて扉を窮屈そうにくぐる長身。見るからに筋肉質の大男も同様の服装をしていた。


「うるせー」


 ふざけあうようにキースがアルフに肘を入れる。強く入ったかに見えたが、アルフは蚊にでも刺されたように平然な顔で立っている。いずれもキズナと拳を交えたことのある人間だ。


(役者が揃ったという言葉を使うタイミングは、今をおいて他にないな)


 敵は四人。

 キズナが屠った金で雇われたという男達とは格段に纏うオーラが違う。平和な日常の一端を垣間見るような会話の中でも、それは容易に判別できる。指の一本すら動かせない乗客達にはただただ不幸を呪ってもらうしかないだろう。

 【ハンド・オブ・ブラッド】という組織の構成は知らないが、ディナという女と同等かそれ以上の者達がぞろぞろいるとしたらと考えると今後の展開が難しくなる。

 いくら戦闘馬鹿のキズナとはいえ、連戦連闘歯で歯が立つ相手ではない。

 俺は胸ポケットから身を乗り出す。


「キズナ、手を貸そうか?」


次で百話ですね。

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