第九十八話・「雑魚ではなさそうね」
低姿勢のまま最速で女に詰め寄るキズナ。加速力により胸ポケットにいる俺の身体がキズナの胸に押しつけられる。弾力に乏しく、少し骨っぽいのは愛敬か。
女は微動だにしないまま、キズナの加速を受け入れる。
先程キズナに倒された人間には、キズナの動きは見えていなかった。キズナが有する常人の想像の一手を行くスピードは、初見者にとっては致命的な誤算になり得るからだ。それにより常に後手側に廻ることは、攻めを得意とするキズナにとっては完全なる優勢となる。女はそんなキズナに対しどういった対抗策を講じるのか。講じられなければ後手に回り続けた挙げ句、刃によって一刀両断されるだろう。血液が蒸発する悪臭が周囲に立ちこめるのは間違いない。
キズナは出し惜しみなく、【川蝉】の刃を作り出す。
青白く輝く刀身がキズナの魔力を得て煌々と輝く。対する女の武器は透明な刃である。キズナは武器の間合いも分からないのも構わずに、嬉々として飛び込んでいく。キズナが【川蝉】振りかぶったのを計らい、女の身体がゆらりとかしぎ、瞳が的確にキズナの獲物を捕らえる。
キズナが【川蝉】を袈裟斬りにすれば、女は迷わず地面を蹴って間合いの半歩外へと抜け出す。どうやら刀身を計算し、間合いを頭にたたき込んだのだろう。刀身を出現させた回数は、都合二回にすぎない。それだけですでに戦い方をある程度組み立てつつあると言うことか。並の人間が出来る動きではない。
空振りに終わったキズナを狙うべく、女は後退した身体を、すぐさまバネのように跳ね上がらせ直進してくる。
襲うのは、透明な刃だ。
突き出された透明な刃にキズナの制服の切れ端が宙を舞う。キズナは実をよじってかわした刃にぎりりと歯を噛みしめ、回転したまま空いている左腕で、女に裏拳を見舞った。女は腕を上げることによって簡単にそれを受け止め、そのままキズナの腕を取り、身体に巻き込むようにしてキズナを背負う。
キズナの天と地、加えて俺の天と地が逆さまになり、仲良く床に叩きつけられる。
(うぐ……ここはクッション性に乏しいな。色々な意味で)
「一言多いわよ!」
受け身を取るキズナが次に見たものは喉元を通り抜ける透明な刃だ。きらりと月光に反射した刃は、まさに舌なめずりをした獣の牙そのもの。キズナが首を目一杯にかしげてギリギリのところで刃を逃れると、指三本分のはあろうかという創痕が出来上がる。
エンジニアブーツが傷つけられた床の復讐が如く、女の肩口を襲った。
身体を突き抜ける鈍い衝撃に、女は座席に叩き付けられる。
「まさに首の皮一枚ね!」
(間一髪の方が用法的には正しいな。首の皮一枚では、すでに首の半分以上は胴体と離れているからな)
丸めた身体を伸び上がらせるようにしてキズナはすぐさま跳ね上がると、女に向かって【川蝉】を薙ぐ。女が腰を落とせば、背もたれが綺麗に両断され、後ろの座席にずり落ちていく。尻餅をつく格好となった女にキズナが追い打ちの【川蝉】を振り下ろした。転がるようにして逃れた女と、切り口美しく真っ二つに割られた座敷の無残な姿が視界に残る。
関心したように口笛を吹くキズナ。
「かわした。へー、今のをかわした。雑魚ではなさそうね。例えるなら……強い雑魚って所かしら」
断じて例えていない。
キズナの馬鹿発言に、げんなりと肩を落とす。
キズナの子供じみた発言が、女のカンに触ったのだろうか。女がキズナに向かって手のひらを突き出す。無表情の女にも感情の変化があったのだろう、突き動かされるように、魔力が女の身体から膨れあがる。
毛並みがざわざわと逆立ち、危険を第六感が教えてくれる。
長々とした詠唱はない。単詠唱魔法だろう。
電車という狭隘な空間故、魔法は決め手にはなるかもしれないが、同時に自らの危険も伴うこととなる。足場を壊して列車を脱線させる馬鹿は、どこを探してもいないからだ。
魔法はその点で大雑把であり、細かい制御が非常に困難な代物だ。
ま、俺にかかればそんなものは朝飯前では物足りず、その前日の夕飯前ぐらいのものだがな。
そういう複数の条件下では、魔法の使えない――正確には、詠唱魔法しか使えない――キズナにとって、列車の中という狭い空間は好条件のたまり場だ。
「させないわよ」
女が詠唱を口頭に上そうとする前に、キズナが女に刀を振り下ろす。女は吐き出しかけた空気を飲込んで、キズナの刃を透明な獲物で受け止める。再び透明な武器が悲鳴を上げ、自らの身体を光りに代えて周囲に散らす。鍔迫り合いではキズナの勝利だ。魔力にものを言わせた魔法刀の切れ味に並ぶ物はない。力でもキズナが上となれば、負ける要素はない。女もそれを分かっているのか、膠着を利用する。
受け止めた刃が切り落とされる前に、単詠唱魔法を唱えようと左手を突き出した。
「だから、させないっての!」
キズナが言葉と共に突き出したのは刃ではない。脳みそのろくに詰まっていない頭だった。
女の額に、自らの額を激突させる。
痛みをかえりみない速度の攻撃に、女の視界には満天の星空が広がったはずだ。運が悪ければ女の意識は脳しんとうを起こして織り姫と彦星の待つ空の彼方だ。
女はゆらりと揺らぐ身体をすんでの所で取り戻し、キズナの髪の毛をわしづかみにする。
朱の走った額と動きのない無表情は、キズナが行動の先を予想するには困難だった。女はキズナの髪の毛をわしづかみにしたまま、今度は自らの額をぶつけてきた。
やられたらやり返す。
無表情の中にそんな意思はないと思っていたが、どうやら訂正を要するようだ。鈍い衝撃が胸ポケットにいる俺の所にまで伝わる。響く音は耳を割るほどに。
キズナは痛みのある額でニヤリと笑い、負けじと女の髪の毛をがっちりとつかむ。
「付き合うわよ」
半ば強引に頭突き合戦に持ち込む。
路地裏のケンカを思わせる低レベルな根比べ。俺の揺れる視界の中で、思わず耳を覆う乗客の姿が見えた。
それはそうだ。俺だって願い下げだ。付き合わされる俺の身にもなってくれ。
額が割れ、血が滴る。額をぶつけ合う度に飛び散る血が、床に点々とにわか雨を降らせた。
やがて女は、痛みに耐えかねたのか馬鹿らしくて付き合えないと思ったのか、キズナのこめかみに肘を打ち込み、強引に身体を遠ざける。
キズナはまるで獣のような荒い呼吸で額の血を拭う。疲労もそうだが興奮も混じっての鼻息は、闘牛士の赤に触発される猛牛そのもの。距離を置いた女も、わずかだが息は上がっていた。純白だったワイシャツには、キズナの血か女の血か分からない赤の斑点が、そこかしこに染みこんでしまっていた。
「もう終わり? あと一時間は続けてやろうと思ったのに」
(それはちょうど良い。頭に上った血をこの際どばっと抜いておくといいぞ、馬鹿め)
くらくらする頭で俺は愚痴をこぼす。
「……」
無言、無表情を貫くが、次の瞬間には飛び出そうと獲物を構える。
透明だった獲物には、キズナの頭突き合いによる赤が飛び散っていた。獲物の刀身に沿うように流れ落ちる両者の血液。その跡を見ると、敵の獲物は、どうやら袖口から伸びているようであった。
「お前の行為に意味はあったとは思えないが、結果的には不透明であった敵の獲物を知ることには成功したわけだ」
「不透明? 最初から透明でしょ、あの武器。頭おかしくなったんじゃないの、リニオ?」
「今まさにおかしいぐらい頭をどうにかしたのはお前だ、キズナ。……って、おい、血がポケットに降ってきてるぞ!」
狭いポケットの中で身を縮める。
「これぞ血の雨ね」
「お前が雨になってどうする」
適当にぐいと血を拭うキズナに毎度の文句を言っていると、この場にはふさわしくない音が俺の耳に飛び込んできた。幻聴かと思えたが、周囲の人間達の反応を見る限り幻ではないらしい。
それは拍手であった。
戦闘を書くのは楽しいです。でも、更新は遅いですね。




