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第九十五話・「牝豚が!」

 テロリストが人質となった人間の首を締め上げる。突きつけられたナイフが緊張した状況下で震えているのが見えた。力加減を忘れてあてがわれたナイフは人質の頬にミリ単位でめり込み、血が赤い玉となって刃先を伝っていく。


「頼む! 助けてくれ!」


 頬を差す痛みが人質に悲痛な叫びをあげさせる。よくよく見れば、人質は食堂車でマレーナを難破していた禿頭男。緊張と恐怖からか、浮かび上がった脂汗が禿頭から滑り落ちて薄暗い車内に鈍く光を与えている。

 全くもってその災難の連続は同情を買うに値する。

 頭頂を隠そうと整髪されていたわずかな髪の毛も、今は哀れなほどに散らばって垂れ下がってしまっていた。


「動くな!」


 一歩を踏み出そうとしたキズナを声で制するテロリスト。


「動いたらコイツの命はない。コイツだけじゃない、他の奴等の命もだ」


 強引に笑ってみせながら、隅に集められた人質達を一瞥する。人質達は一様に身をすくませ、怯えた眼差しをテロリストに向ける。

 一方で、人々は固唾をのみながらテロリストとキズナのやりとりを見守りながらも、キズナに対して窮地からの救いを求めていた。人質達の瞳にはキズナに対する期待感が灯り始め、それは嫌が応にもテロリストに伝わってしまう。


「よく聞け!」


 焦りと人質の期待感に抗うように、テロリストが口角から泡を飛ばす。


「俺は魔法使いだ! 単詠唱魔法も使える。コイツでこの豚の喉をかき斬ることだって出来るが、単詠唱魔法を唱えれば、一言でこの車両全部を火だるまにだって出来る。そんなのは望まないだろう?」


 ナイフをあてがわれた挙げ句に豚呼ばわりされた人質の禿頭男が、がくがくと膝を震わせている。頬から流れる血がナイフの鍔に到達し、床に赤い斑点を描き始めた。


「分かったら抵抗するな。そうすればコイツも人質も殺さないでやる。無事に列車から下ろしてやると約束してやろう」


 テロリストの言葉が人質に希望の手をさしのべる。助かると分かった人質達が、かすかに胸をなで下ろす雰囲気が伝わってきた。


「これは困ったわね、身動き取れないじゃない」


 キズナが身体から抵抗する力を抜く。


「――とでも言うと思ったの?」


 そして、声と同時に再び力を取り戻す。

 弛緩させたはずの力を再びみなぎらせて、一歩、確実にテロリストに向かって踏み出す。エンジニアブーツの重厚な足音が,確実にテロリストとの距離を縮めていく。

 驚いたのはテロリストと人質だ。


「動くなと言ったのが聞こえないのか! 動いたらコイツはおろか乗客の命も――」

「殺れば?」


 空気が固まる。


「ほら、固まってないでさっさと殺りなさいよ。私がきっちり見ててあげるから、その豚も人質も全部殺しなさいよ。ま、殺しても殺さなくても私がアンタを殺すことには変わりないけどね」


 キズナは頭をボリボリとかいて面倒臭そうにしている。


「お前は何を言ってるんだ!」


 声を荒げたのはテロリストではなく、人質になっていた禿頭男……通称豚だった。禿頭男だけではない。キズナの行動に人質達の非難の視線が集中する。物言わぬ意思がまるで狂人とでも言いたげにキズナの全身に突き刺さった。車両内にいるキズナを除く全ての人間が、今やキズナの敵となってしまっていた。本来であれば人質を保護する側にあるはずのキズナに対し、敵対心を抱き始める人質達。もちろん、キズナの異次元の行動による不可解さもあるだろうが、人質がテロリスト側に立ってしまっている異常さをこの場の誰が説明できるだろう。


「せっかくお前が動かなければ助けてくれると言っているのに、何をやっているんだ! 馬鹿なのか! 豚はお前だ! 牝豚が!」


 淀んだ車両内の空気の中で人々の首が一様にうなずくのが分かった。

 恐怖で支配された状況下で、絶対悪であるテロリストに対して反抗や嫌悪で対応するのではなく、あまつさえ協力や信頼、好意で応対しようとする異常な意識の動き。自らの生存確率を高くするためだけの都合の良い心理的反応が、闇より黒く人質達の影にわだかまる。


(……ストックホルム症候群、か)


 胸ポケットでこぼした俺の小さなつぶやきは、誰にも聞こえない。


「コイツの言うとおりだ。分かったら動くんじゃない、女」


 自らの有利を確信するテロリストが口元に笑みを浮かべる。


「もういい、アンタがやらないなら、私が全員殺してやる」


 キズナが猛禽類のような目でテロリストと禿頭男をにらみ付けた。

 ……これではどちらがテロリストか分からないな。


花粉症です。

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