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第九十三話・「……聞いた俺が馬鹿だった」

 通路に灯ったわずかな車内灯を踏みつけながら、キズナがずんずんと進んでいく。通路の隅にわだかまる闇も、キズナの歩をかすめ取るには至らない。


「キズナよ、本当に交渉する気があるのか?」

「あるわよ、あるある」

「ふむ……俺の記憶にある限りでは、犯人に人質を取られているときの交渉術など教えた覚えはないし、それ以前にお前が心得ているとは思えないが」

「失敗したらそのときよ。結局なるようになるし」

「……まさかお前は失敗すること前提で考えてはいないか? 俺への返答の冒頭にいきなり失敗という文字を持ってきたことからも相当その匂いかぎ取れるんだが」


 胸ポケットから見上げるキズナの横顔には、自信か諦観の見極めが非常に困難な笑みがある。


「失敗は成功の母ってよく言うでしょ、それよそれ」

「何の努力もなしに容易く何度も失敗されても、成功の母は怒ると思うぞ」

「それならよほど成功の母がヒステリックなのよ」


 俺のため息と同時に、キズナが食堂車へとつながるドアを乱暴に開ける。

 キズナといたときにはあれほど賑わっていた食堂車兼バーに人影はない。男女の睦み合う声も聞こえなければ、グラスのぶつかる清涼な音も、砂漠に揺らめく幻のように目の前には立ち上がってこない。乗客全てが忽然と姿を消し、実は自分たちしか乗っていないのではないか、そんな夢の中のような気分になってくる。


(記憶力が良いというのも、考えものだな)


 キズナが大股でのしのしと歩く度に上下運動を余儀なくされる胸ポケットの中、俺はあのとき目に焼き付いた言葉の配列が思い出されていた。


『……自分でも残り時間が少ないと分かってしまう時がある。日に日に発作の起きる間隔が短くなっているのが分かるし、そのときに流れ出していく魔力の量も、痛みに比例するように増えていきます』


 思い出されるのは、エリスの膝の上から転がり落ちた気持ちの履歴。日記という過去の止まり木。枝葉に残る心象の一部一部。キズナとうるわが互いに相容れない意志を力に託すその目下で、俺は無言のまま日記にとらわれていた。


『……最初は身体の中から内蔵を握られるような不快感だったものが、そのまま握りつぶされるような、あるいは体内から引きずり出されるような激痛に変わるの。少しずつ命が脅かされる恐怖。外側から削り取られていく恐怖』


 エリスの恐怖が手に取るように分かる文章。一冊の分厚い日記のほとんどに絶望が刻まれていると考えると、まるでパンドラの箱の中に詰まっていた恐怖の数を想起させられる。異なっているのは、その中に一つでも希望が詰まっているのかということ。


『もういやなの』


 聞こえないはずのエリスの叫びが脳内に響いた気がした。


「ここからは慎重に行かないとね」


 日記の紙面から意識をはがされる。テロリストの立てこもっているらしい車両まで来たキズナは、物陰からこっそりと中をうかがう。頭隠して尻隠さずの適当な身の隠し方。

 車両の扉前には二名のスーツ男がうろうろしていた。二名とも背が高く、一般人ならばおいそれとは近付けないような雰囲気を纏っている。通常の魔法列車よりも広く堅固かつ豪奢に造られているハイザーゼン行きの列車だが、基本的な車両構造は同じ。一つの扉のみが人の出入りを許すような構造であり、周りから窓を伝って侵入というような派手な手段は使えそうにない……というか、キズナならば可能かも知れないが、どうやらこの場かで志にはその発想すらもないようである。

 俺への是非の確認もなく、物陰から堂々と出て行く。自らの正体を明かすことを厭わない、自信を持った足取り。俺は一抹の不安を覚えた。


「慎重に行くのではなかったのか?」

「慎重よ、慎重。超慎重。足取りとかもう、それはそれは」

「……聞いた俺が馬鹿だった」


 考えなしの正面突破。


「ま、リニオはそこで見てなさい、上手くやるから」


 通路灯に照らされながらキズナはゆっくりと扉へ歩いていく。見とがめた男達は、サングラスに隠れた眉をぴくりと上げ、キズナの前に立ちはだかった。


「止まれ」


 キズナより頭一つは大きい。厚い胸板が壁のように立ちはだかる。


「アンタ達【ハンド・オブ・ブラッド】よね?」

「……。……お前は――」


 キズナの唐突で直接的な物言いに、男は一瞬の逡巡を交える。

 キズナにとって確認はそれだけで十分だったらしい。


「私は【恩寵者】よ。悪いけど、押し通るわ」


 キズナの身体が男の目の前から消える。頭一つ男が大きい分、身体を沈めたキズナを視界から失うのも早い。キズナは素早く身体を上下反転させて、男の頭を両足首でロックする。エンジニアブーツで締め上げる男の頭がみしみしと音を立てる。反動と体重を交えて、キズナは逆立ちをする格好から、足首で頭を締めたまま、男の頭を地面に叩きつけた。なんと足癖の悪い女だ。

 鈍い音が二つ重なる。

 男の頸椎が折れた音と、地面にめり込む音の二つだ。男の意識は身体から離れ、二度と戻ることはない。キズナは素早く身を起こすと、二人目の男が襲いかかってくるのを目の端に留める。繰り出される男の拳。キズナは首をかしげて軽々と避けると、続けざまにその腕を取り、勢いを制して一本背負い。受け身も取れずに背中を地面に打ち付ける男の口から、苦悶の声がもれる。

 男の意識がキズナに投げられたことを認識する間に、キズナは男の胴体に馬乗りになっている。連続的で隙のない動き。首を右肘で絞めにかかるキズナ。圧迫される呼吸系。ぐ、ぐ、ぐ、と締め付けを増すキズナの力に、男が泡を吹いて白目を剥いた。


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