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第八十七話・「キズナには分からないの」

 切り分けた傍から紙が無くなっていく。

 うるわは淡々と紙を裁断し、エリスの側に置いておく。エリスは取り憑かれたように書き殴っては投げ捨てていく。書き付ける手元に目をこらしてみるが、それは文字であったりなかったりとまちまちであるようだった。中には地震計の針の動きのような乱れた線もあった。直線もあり、曲線もある。筆圧に無残に貫かれた紙もある。方向性の定まっていない幾何学模様は、ダダイスムとは言い難く、カオス理論を飲込んで床に落ちていった。


「紙の無駄遣いね」


 拾い上げた一枚の紙を握りつぶすと、後方に放り投げる。床に散らばった紙を大股で踏みつけながら、エリスの前に進み出る。ずけずけと踏み込んでくるキズナに、うるわが警戒の視線を飛ばす。自然と紙を切る手が止まった。いつ手に持ったハサミが凶器になるか、気が気ではない。


「落とし物よ、エリス。コイツが拾っておいたみたい。感謝することね」


 胸ポケットにいる俺に顎をしゃくる。


「エリス、良かったですね。キズナがようやく雇われらしい行いをしてきたようです」


 エリスを気遣う言葉には触れもせず、キズナの手から金色のケースを奪い取るエリス。その拍子に、膝の上に置いていた日記帳がベッドから落ちて床に転がる。ページを上にして広がった日記帳には、綴るのを辞めた形跡がある。俺はキズナのポケットから抜けだし、ツインテールの片方をラペリング降下の要領でするすると伝い、床に着地する。

 胸ポケットから見る視点と、ハムスターの視点で見る紙の平原は雲泥の差があった。頭をよぎったのは大陸同盟との本土決戦で廃墟と化した倭国の都市群であった。

 崩れ去った石造りの建築物や、燃え尽きた木造家屋、いまだくすぶる木々、うち捨てられた魔法使いの死体……。

 丸められた紙や、破られて散り散りになった紙片、黒に塗り潰された紙の束に、容赦なく過去の映像が重なった。

 ひどく気分の悪い光景だった。ちらちらと目にかすめる文字はどれもがネガティブに溢れていて気が滅入りそうになる。

 俺は首をブルブルと振ると、転がる日記に向けて歩き出す。


「倒れる前のこと、覚えているわよね」


 声が上から落ちてくる。


「アンタなんかと出会わなければ良かった――」


 エリスの肩がびくりと震える。


「――って言ったこと。その……悪かったわ。そんなことを言うつもりじゃなかったのよ、ただあのときは無性にアンタがむかついただけ。嫌いって訳じゃないから、安心しなさい」


 首筋を人差し指でかきながら、目をそらす。少し口が引きつっているのは慣れないことをしているせいだろう。初々しい弟子である。キズナは頬を少しだけ桃色に染めるが、白い紙に漂う夜の闇に顔をしかめる。


「でも、こんな光景見たら馬鹿らしくなったわ。せっかくうるわが掃除したのに、主人自ら散らかすなんて主人失格なんじゃない?」


 涙の跡が金色の髪の毛に隠れていた。リアクションはない。


「キズナ、口を慎みなさい」

「慎む? 何を? うるわ、気がつかないの? それとも気がつかない振りをしているの? 慎むのはアンタの主人がしているお絵かきの方よ」

「これ以上は、私がこの手で黙らせます」


 うるわがハサミを手の中でくるりと回して逆手に持つ。俺が予期したとおり、あっと言う間に利器は凶器と化した。


「ふん、所詮、馬鹿とハサミは使いようってね」


 ……。

 ……上手いことを言ったような面構えだが、残念ながらお前が一体何を意図して言ったのか全く理解できない。もしや、言いたかっただけなのか。きっとそうに違いない。


「流石に馬鹿につける薬はありませんとはよく言ったものです。馬鹿は死ななければ直りませんが、二度あることは三度あるとも言います。キズナさえよろしければ、三度殺して差し上げましょうか?」

「うるわに私がやれるの? そうは思えないけど」


 椅子から立ち上がったうるわと、腰に左手を当てて右手をふらふらさせるキズナ。緊張が走る中、エリスはケースを開けて、何事かを書き込み始める。額にはじっとりと汗を浮かべていて、大粒の汗が涙のように頬を落ちていく。文字を書く作業というのは存外に力のかかる作業だ。この一面に広がる紙の平原を作るだけでも相当の筆量であったはず。

 エリスはケースから千切った紙をキズナに向けた。うるわが口惜しそうに唇を噛み、ハサミを下ろす。必死に綴るエリスをさえぎることは出来ないのだろう。


『キズナには分からないの』『私みたいに病気じゃないし』


 手にとって読む度に、キズナは足下にエリスの言葉を落としていく。まるでいらないと言わんばかりだ。俺の進む先にそれは降り積もっていく。俺はその言葉を横目にしながらキズナとうるわの足下を抜け、日記に辿り着く。


『私と違って』『キズナは強いから』


 最後の文字は泣き顔だった。

 キズナはその言葉すらもつまらなそうに足下に落とす。


「そうね、これっぽっちも分からないわね。なんせ私は強いから。弱いアンタのことなんて全く持って分からないわ」


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