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第八十二話・「こんなの私じゃないわ」

 魔法列車に訪れた夜は、外気の寒さも手伝って静けさに溢れていた。

 鍾乳洞の中、鍾乳石の先端から落ちる水滴のように、わずかな物音でも車内には大きく響くように感じられた。魔法列車は大陸を横断する列車なので、日夜を問わずにレールの上で車体を滑らせ続ける。動き続ける車両が停車するのは、主要な都市を通り過ぎるときや、貨物を積み込みするときぐらいである。

 深夜零時を回った車内には人々の動きはなく、ほとんどの乗客は今頃、ベッドの上でレールと車両の織り成す子守歌を聴いている頃だろう。そのほとんどからもれた上流世界の客だけが、バーへと変貌した食堂車へと集っている。テーブルの上には、甘ったるいアロマキャンドルの香りが漂っていて、アルコールを傾ける人々の鼻腔をくすぐっている。バーへと姿を変えた食堂車には人工的な光源はなく、ほのかに周囲を照らすキャンドルの灯火だけが、列車の中という現実を非現実の世界へと誘おうと赤い身をゆらりゆらりと揺らしている。遠くから聞こえてくる男女のささめきごとが、キャンドルの淡い光りの中で愛を紡いでいた。

 テーブル一つに、一つのキャンドル。それは、死者を弔うために川にお供え物や灯篭を流す倭国独特の行事、灯篭流しのように見えて、なぜか物悲しく感じられた。他の客にはそんな風にはとても見えないムードある室内がそんな風に見えてしまうのは、ただ一つ。

 この馬鹿弟子のせいだ。


「さっきあの子が倒れたとき……一瞬だけど、思ったわ」


 バーの一番隅っこテーブルに突っ伏しながら、キズナは暗闇に言葉を落とす。両腕をテーブルの上に乗せて、キャンドルの光を避けるように顔を背けている。俺から見えるのはキズナの後頭部。キズナの栗色のツインテールが、山から分岐する清流のように俺の左右を流れている。

 俺はその髪をソファ代わりに寄りかかりながら、キズナのつぶやきを聞いていた。


「――このまま助からなければいいのにって」


 キャンドルの炎がひときわ大きく揺れる。


「……そうか」

「怒らないの?」

「怒ってほしいのか? ふむ……お前がそういう嗜好の人間だとは思わなかったぞ」


 キズナは無言。


「よし、ご希望とあらば、いくらでも怒ってやるとしよう」


 軽く咳払いをする。


「雇い主であるエリスを助からなければいいとは、お前は最低だ。人の風上にも置けない奴め。お前の血液は何色だ、この人でなしが。いいか、困っている人がいたら手をさしのべる、涙を流している人がいたらぬぐってやる、迷っている人がいたら手を引いてやる、足をくじいている人がいたら背負ってやる、悩んでいる人がいたら相談にのってやる……それが人情、ひいては人間らしさ、広義のヒューマニズムというものだろう」


 心にもない人間らしさを説く。とうの昔に疑い尽くした道徳観、倫理観をのべつ幕無しに並べ立てる。

 これだけ言えるとは、俺も立派な偽善者になれる素質ありと言うことか。

 思わず自嘲したくなるのをこらえながら続ける。


「人間一人に出来ることなど限られているのだ。だからこそ、人は助け合い、知恵を出し合って、手と手を取り合い、助け合いの精神、あるいは奉仕の精神で――」

「うるさいわよ、馬鹿リニオ」

「なんなのだお前は……」


 頬袋いっぱいのため息をキャンドルに向かって吐く。

 俺のため息ではキャンドルの灯火を揺らすことも出来なかった。ハムスターである俺の身はそれほどまでに矮小である。キズナにとってはただのテーブルに過ぎないが、俺にとっては広大なフィールドである。人々が愛玩する猫という動物も、俺にとっては身の丈を大きく上回る猛獣になる。それと同じようなものだ。


「ほんとになんなのよ、私。絶対におかしいのよ」


 キズナの呪詛のような言葉を背中に聞きながら、俺は目をつぶり、黒に視界を託す。黒から立ち上がるのは、エリスが倒れた直後の場面。清掃を終えたばかりの部屋にエリスを運び入れるうるわの平静を装った姿。廊下に散らばったカードを心配そうな面持ちで片付けるマレーナの姿。拳を震わせて感情をもてあまし、佇立するキズナの姿。


「こんなの……」


 面会謝絶とばかりに閉じられたドアの中からは、声の出せないエリスの代わりにベッドが絶叫をあげていた。俺はエリスが落とした金色のケースを何とか人目に付くところに引っ張りながら、書き落としたエリスの紙の山をくぐり抜けていた。


「こんなの……私じゃないわ」


 念仏のように唱えるキズナの声。


「別にエリスのこと、嫌いってわけじゃないのじゃないの。普通に話しているだけなら何にも感じないの。普通の私でいられるのよ。普通が何かって言われても分からないけど、でも、私はそのときは普通でいられてると思うわ。さっきゲームしていたときだって、最初はなんともなかった」


 テーブルの上にはエリスの金色のケースが置いてある。キャンドルの光を受けて金色は淡く美しく輝く。


「でも、でも、アンタがいると違うのよ。アンタがいると途端にムカついてくるの。アンタに対するエリスの何気ない仕草とか、エリスがアンタと会話している言葉の一つ一つとか、表情の変化とか、紙に書いてある一文字も、アンタを見るエリスの視線も、ひまわりの種をやることも、指先一本触ることだって、あー、もう……もうどんな小さなことだってムカついてムカついて仕方がないの。なんか妙にイライラしてくるのよ……! 何でか分からないけど、腹の奥底が熱くてどろどろしたものでごちゃまぜになってかきまぜられて、無性に何かを壊したくて仕方が無くなるのよ!」


 テーブルに突っ伏したまま拳を振り上げ、テーブルを叩く。キズナの馬鹿力による衝撃で、キャンドル共々飛び上がってしまう俺。しっとりとしたムードだったバーに走った衝撃音が、キズナへと周囲の目を向けさせる。一瞬だけ寄せては返した津波のような静寂。しかし、好奇の視線を集めたのも数秒のことで、酔っぱらいの戯れ事と判断されたのか、衆目はすぐに消え去っていった。


「こんなの私じゃないわ」


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