第七十四話・「お久しぶりと言うことになるのでしょうか」
「うるわよ……悔しいが俺の負けだ」
静かな声で告げると、うるわはそこで初めて、ハムスターである俺と視線をあわせた。実際に俺の声を聞くことで、ようやく俺という存在を再認識したのだろう。
「ネズミが言葉を話していますね」
つぶらで愛らしいエリスの瞳とは違い、うるわの瞳には厳しく冷然たるものが前面に押し出されている。
「最近のネズミは出しゃばりらしいわよ。自己主張が強くて困るわ」
キズナはもてあました怒りの矛先変更とばかりに、ぶつくさと俺に文句をたれているようである。ふてくされた態度で、鷲づかみにしていた俺の身体を頭上に放り投げた。
「弟子が師匠を投げるっ!?」
「違うわ、捨てたの」
……何が違うというのだ。
突然放り投げられた俺は、文句と共に天井すれすれまで上昇し、重力に引かれて落下する。うるわの冷たい視線が、俺の動きをなぞるように上から下へ。俺はアクロバチックに身を回転させて何とか床に着地するが、上手く着地の衝撃を殺しきれずに身をもだえる。そんな俺の痴態を身も凍るほどに一分ほど観察した後、静かな口調で失礼にも俺を指差した。
「以前、キズナの紹介では、ペットのリニオとありましたが? まさか本当に?」
キズナの鷲づかみからようやく解放された俺は、指定席であるキズナの胸ポケットに戻れずに高見のうるわを見上げる形となる。後ろ足を前に投げ出して、床にぺたんと座り、前足をばたばたさせて猛アピール。
「なにを言うか、俺はキズナのペットではなく――」
「ペットよ。コイツは私のペット」
「ペットではない。俺がこの馬鹿弟子の師匠だ。うるわよ、勘違いをしてくれるな」
俺とキズナの言葉の拳が、クロスカウンターの如く激しく交差した。
「そうですか。私にとってはどちらも大差ありませんので、細かくは問いません」
「その差が大きいのよ」
「その差が大きいのだ」
「私にとっては些末ごとです」
詰め寄る俺とキズナに、うるわはどこ吹く風。師弟のコンボ攻撃も、堅牢なる城門には通用しなかったようだ。誰何無用の門前払いに、俺達は口をつぐむしかなかった。
「この際、ペットであろうが師匠だろうが、どちらでも構いません。ペットであることを自分に課せることが趣味であると言われれば納得せざるを得ませんし、人の嗜好……プレイに過干渉することは私の主義に反します」
干渉のし過ぎはしないだけで、干渉はするのだな。曖昧な表現が好きなのは政治家だけではないらしい。俺の近くには、直接的な物言いしかしない馬鹿な奴もいるがな。
「いやよいやよも好きの内とは言ったものです。偉ぶっておきながら、実は鎖につながれた自分に興奮している。罵倒されたり、乱暴にされたりすることに存外の快感を感じる……そういう趣味趣向も世の中には存分にあるらしいですから」
「深いわね、世の中」
お前が浅すぎるだけだ。
「特に、あなたがあのリニオ・カーティスであるのならば、より現実味を帯びますね。彼は幼いエリスを手込めにしようとした変態ですから……というわけで、お久しぶりと言うことになるのでしょうか」
「何がというわけで、だ。明らかに俺をそしりたかっただけの前置きではないか。いちいち小賢しいことこの上ないな。だが、あえて看過してやろう。懐の広い者は、みだりに重箱の隅を楊枝でつつくようなことはしないものだ。確かに……俺がかの有名な、偉大なるリニオ・カーティスだ。挨拶も、お久しぶりで構わない」
「挨拶をする気もなかったのに、よく言えますね。露見しなければ挨拶もないままだったのでしょう? それはいいとしても……」
キズナを見る目とは明らかに違う、ある種の凛とした肌を突き刺すような目。
「ずいぶんお変わりになったようですが」
口元に指をあてて感慨深い口調を装う。特上の皮肉でも言ったつもりか。
「……。年月を経れば、人は多か少なかれ変わるものだ。時の歯車を止めることなど人間には出来ないからな」
「姿形は変われど、このネズミがリニオ・カーティスであることは間違いないようですね。先程からの耳障りな物言いと、偉そうな声だけは誰にも真似できませんから。唯一、そこだけは時の歯車でも干渉できませんでしたか……誠に残念です」
わざとらしく考え込みながら、わざとらしい口調でわざとらしく残念がる。平板な口調であるせいで余計にわざとらしさが際だつ。
そんなうるわに言い返す言葉を考えていると、キズナが背後で肩を震わせていた。
「……ぷぷ、いい気味」
「黙れ、キズナ」
「黙ってなさい、キズナ」
奇しくも重なった俺とうるわのコンビネーションに鼻白むキズナ。お前の成長のない胸も時の歯車から逸脱しているだろうが。
「な、何よ、二人して……。はいはい、黙りますよ、黙れば良いんでしょ」