第七十二話・「私は馬鹿に馬鹿と言ってあげるほど、出来た人間ではありません」
起動していた魔法刀から、急速に魔力が失われていく。キズナの周りを周回していた青白い魔法文字も、キズナの魔力の供給を止められれば、刀身と共に消失していくだけだ。
キズナにとって予想だにしない闖入者は、エリスの従者でありメイドのうるわ。
「今一度問います。師匠とは誰のことですか?」
「……あー……私、そんなこと言ったかしら」
苦しすぎる逃げ方だな。あからさまに思考中であることを声に出している。うるわは苦し紛れのキズナの反応をあらかじめ予期していたのであろう。それ以上追求もせずに、後ろ手に隠していたあるものを見せつけるように自らの顔の横へ。
「これが何であるか分かりますか?」
うるわがこちらに見せつけたのは長方形の小箱。
「さぁ、何なのよ、それ」
目を丸くして物体をのぞき込むキズナとは対照的に、俺は敗北を悟っていた。
俺の記憶の蛇口をひねれば、長方形の小箱に関する情報は大量に流れ出てくる。使用している姿を見たことはないが、うるわが持っていたり、エリスが持っていたりしていた記憶があった。とは言え、大事なのは持主ではなく、その用途なのだ。
それを俺が初めて眼にしたのは、エド・エラルレンデと面会したとき。エリスの先生役を引き受けてくれないかと、エラルレンデに大きな頭を深々と下げられたときだった。
「では、無知なキズナに教えてあげましょう」
俺が解説するまでもなく、うるわが種を明かす。
「これは、音声録音型の魔法具です」
うるわは犯人を問い詰めるように鋭い眼差しでキズナに迫った。無表情に近いはずなのだが、うるわの気迫は眼差しの中で雄弁に語られている。キズナはそれだけではぴんと来ないようで、しばらくの間、頭の上に疑問符を浮かべていた。
知らないというのは、気がつかないというのは幸せなことだが、一方で罪でもあることを知れ。そう言った類で許されるのは無垢だけだと私的には考えている。
「この魔法具に魔力を通せば中の魔力文字に刻まれている機能が発現します。それは今、場所を考えずに馬鹿みたいに振り回していた魔法具と一緒です」
「うるわってば、部屋を散らかしたことを怒ってるの? これくらい乗務員でも呼んで片付けさせればいいじゃない。固いことは言いっこなしよ」
お前の空気を無視した馬鹿発言はこの際定番としても、自分自身で片付けようとしないとは典型的なダメ人間の発言だ。それにこの部屋の惨状は、片付けるというレベルではなく、修理のレベルであることを反省して欲しいところだ。
キズナの師匠として、誠に慚愧に堪えない。
「私は馬鹿に馬鹿と言ってあげるほど、出来た人間ではありません」
キズナが言い返そうと口を開きかける。
「話を続けましょう」
キズナの息が吸い込まれたタイミングで、キズナの言葉の機先を奪う。あまりにも絶妙すぎて、キズナは閉口するしかなかった。
「この魔法具は魔力を通すことによって、自動的に音声を記録するものです。もちろん、記録したものは同じだけの魔力を通すことによって再生することができます。昔は珍しいものでしたが、現在ではそれほど珍しくもない、単なる魔法具の一つです」
キズナに鷲づかみにされたまま、俺は辛酸をなめるしかない。
万事休す、とはこのことであろうか。
俺は全身の力を抜いて大きく息を吐いた。
俺という偉大なる師匠が付いていながら何という失態であろうか。
「つまり、今この部屋で行われていた会話は、全て記録されているということです」
――これを我が屋敷に仕える魔法使いをつかって、カーティス殿の講義に持って行かせましてな、録音させてもらったというわけです。
過去、エラルレンデの得意げな顔が思い出される。
なんという巡り合わせであろうか。はたまた運命の悪戯であろうか。このような姿で、エリスやうるわに再会しただけでは飽きたらず、あのときエラルレンデとの会話に出てきたこの魔法具によって、正体を感づかれてしまうとは。些細なことに過ぎないのかも知れないが、俺にとっては壮大な布石だ。色々な事象が積み重なって、この失態がある。
今の俺ならば、どんな苦虫も噛み砕いてしまえるだろう。
「だから何だって言うのよ。そんなもの知らないったら、知らない。これっぽっちも記憶にございません。それにね、私はこの飼いネズミがおいたをしたから、教育的指導をしてあげただけよ。誰と会話? 師匠? 妄想で会話するのもいい加減にしてよね」
駄々をこねる子供のような抗言を始めるキズナ。証拠があると提示されているのに、このしらの切り方はまさに容疑者の鏡だな。
「それより、良いこと教えてあげるわ。アンタやエリスの前ではネズミのくせに猫を被っているから知らないだろうけど、実はコイツきちんとトイレで用を足すことも出来ない不届きものなの。小さなチョコレートチップみたいのをぽろぽろこぼしやがるのよ。ホント、一緒に旅していると臭くって臭くって大変なのよ、これが」
キズナの額に浮かぶ脂汗が、頬を伝って流れ落ちる。
焦って抗弁するのは良いが、嘘八百を並べ立てるのだけはやめてもらいたいな。
「そうなのですか、それは驚きです。見た限り、その野ねずみのしつけは意外にしっかりなされている様子だったので、千歩譲ってエリスと触れあうことを許していたのですが……」
野ねずみではない。ハムスターだ。
「こうなると、キズナの戦闘能力も信憑性が失われるというものです。先刻の公園では手加減をして差し上げたのですが、それすらもまぐれだったと言うことになりますと……困りますね。これから、師弟共々再考してみる価値はありそうです」
戦闘能力のことを馬鹿にされてキズナの顔に朱が指すのが分かった。
「上等じゃない……リニオはともかく、私はアンタを二度と口をきけないぐらいに切り刻んでもいいのよ? エリスが悲しむのなんて知った事じゃないんだから……!」
魔力がみなぎっていく。左右二つに結わえた栗色の髪がゆらりと波打つ。もう一押しされればキズナは魔法刀に刀身を形成させて飛び込んでいくだろう。短気のキズナにとってそれは本の些細の後押しで構わない。
馬鹿、その一言が引き金になってもおかしくはないほどキズナはいきり立っていた。
立ち上がる鬼気。
「これで、二度目です」
見せつけていた音声録音用の魔法具をポケットに戻す。頭上のレース製のカチューシャを正すうるわは、キズナの鬼気を軽々と受け流す。
「今の数は、キズナ、あなたが師弟関係を否定しなかった回数です」
興味を持って下さったかた、読んでくださった方、ありがとうございます。二日空いてしまいました。申し訳ありません。文字数は一話当たり増やしてあるので、毎日連載しているのと文章量的には相違ないと思うのですが……言い訳ですよね、スミマセン。作者はそろそろ戦闘シーンが書きたくて仕方がありません。プロット的にはもう少し、もう少しなのです……。
ではでは、評価、感想、次話の栄養になります。