第七十一話・「ガラスのハートだと?」
「ふむ……お前の食べたぶんの栄養は一体どこに吸収されてゆくのだろうな」
「さぁ?」
「少なくとも……で無いことは確かだな」
「どこ見てんのよ、変態ネズミ」
流石に視線の動きだけで気取るとは、抜け目ないな。いやいや、褒めるべきは自らのコンプレックスを敏感に感じ取っていたことか。
「人にはそれぞれ特性というものがある。決して恥じるべき事柄ではないぞ。逆にこう考えてはどうだろうか。いいか、キズナ。無いことを誇るのだ。世の中には、今の俺の言葉を後押ししてくれる偉人さん達の心強い言葉がある。適材適所、量才録用。人にはそれぞれ、自分の才能に見合った場所で、力を発揮する必要があるのだ。だから、キズナのそのこじんまりとした、性格と真反対に自己主張のない控えめで扁平な、地平線のよく見える大平原のような胸は、きっとどこかで必要とされているぞ。きっときっとどこかで必要とされているぞ」
「あんたがそれを言う!? そこまで言う!? 誰のせいでコンプレックスになったと思ってんのよ!」
「乳だけに遅々として成長しない……なんてな」
「殺すわ、三枚に下ろす」
「――という夢を見た!」
「今更夢落ちで済まされるかっ!」
ヒップバッグから魔法刀【川蝉】を引っこ抜くと、躊躇無く魔力を爆発させた。青白い【恩寵者】特有の魔力が、キズナの周囲を文字列となって駆け巡る。まるで守護する羽衣のように、ぐるぐるとキズナの身体を取り巻き、刀身のない【川蝉】に青白い刃を形成させる。
冷や汗も干上がるほどの熱量がキズナから放たれると、俺が周囲に並べた学園都市マランツ、経済都市アーカーゲー、政治都市クリプシュ、研究都市ハイザーゼンなどの役者達が、ばたばたと倒れて役目を足さなくなってしまう。
俺の講義はどうやらここまでになってしまったようだ。
最近の教育現場は乱れていると言うが、俺とキズナの師弟関係も例外ではなかったようだ。まさに学級崩壊。ここはもう講義の出来る環境ではない。
キズナは青筋を浮かび上がらせながら、俺の鼻先に【川蝉】を突きつける。【川蝉】から伸びる刀身は、その魔力量と高密度の組み合わせにより、超高熱の刃と化す。氷など一瞬で蒸発してしまうし、ステーキならばウェルダンを通り過ぎて消し炭になってしまう。鋼鉄ですら赤い軌跡を残して両断されるだろう。
まさに斬れないものはないといった極悪な代物だ。
キズナは床に腹を向けて転がる俺の首根っこをひっつかんで、刀の切っ先を鼻先に突きつけた。盗賊も真っ青になる鬼のような形相で、キズナはゆっくりと言葉を突き刺してくる。
「リニオ、命乞いをしなさい。頭を下げて、床に額をこすりつけながら、泣きわめいて、命乞いをしなさい。それじゃないと傷つけられた私のガラスのハートは元には戻らないわよ!」
「ガラスのハートだと? お前のハートは、ガラスはガラスでも防弾ガラ――」
「聞こえないわね、師匠?」
師匠という言葉がこれほど白々しかった試しはない。
「ぬぅ……っ、俺は偉大なるリニオだぞ、こんな子供だましの脅しに屈してたまるか……!」
ちりちりと体毛の焼ける音が聞こえてきそうだった。
このままではネズミの丸焼きが完成してしまう!
汗がだらだらと身体を駆け下りていく。魔法刀にあぶられているのもそうだが、部屋の温度が上昇しているのだ。魔法刀から放出される熱量は室内の温度を高めて余りある。水分不足でめまいさえ感じられた。
「そこまでして抵抗するってどういうことよ!」
「なぜだか……お前の怒った顔とか、困った顔というのは俺にとって大好物なようでな」
「なっ――」
部屋が暑いせいなのかキズナの顔に朱が差したように見えた。
隙ありだぞ、キズナ。
ハムスター特有の余分な皮を利用して、俺は捕まれた指先を支点にして反転する。ひねりを加えた皮はキズナの指先から離れ、俺はなんとか抜け出すことに成功した。
「ちょ、リニオ、逃げるんじゃないわよ! 素直に私に謝れば済むことでしょっ!?」
「大人っていう生き物は、そうそう素直になれない生き物であると言うことを知れ!」
そのまま部屋に散らかるものを盾に駆け出したところで、俺は室内の熱がある方向へ逃げていくのを感じた。空気が冷たい方向に向かって移動するというのは一般常識だ。この部屋が閉め切られていたことは、入った直後に俺が確認していた。その閉め切った部屋において、暖かい空気が冷たい空気に向かって移動する状態が発生すると言うことは……。
何気なくたぐり寄せた紐の先が、猛獣の首輪につながっているような感覚に似ていた。
(空気の逃げ道が出来ているということか!)
思考の隅で警鐘が鳴り響く。
――隙間があると言うことだ。
「リニオ! アンタは師匠のくせに弟子を馬鹿にするなんて最低だとは思わないのっ!?」
魔法刀で俺をびしりと指し示し、追いかけ回そうとする。
キズナが空気の流れに気がついているとは思えない。
「キズナ! そこまでにするのだ! 今は――」
「今更そんなことを言ったって許さないんだからね! リニオ!」
俺の制止を振り切らずに大声をはり上げる。
訪れる危機感に、慌てて身を隠そうとする俺。
「馬鹿弟子め、気がつかないのか!」
「は? 一体何に気がつくって――」
健闘空しく、キズナが俺をつかみ挙げた瞬間、それは訪れた。
熱せられた部屋の温度が冷たい方向に流れたのは、外気に触れたから。
つまり、ドアが開かれたと言うことだ。
「一体、どなたと会話しているのですか?」
ドアを開けたうるわが、詰問するように一歩踏み込んでくる。
「キズナ、師匠とは誰のことですか?」




