第七話・「熱でもあるの?」
「冗談はさておき、キズナよ。先程の約束だが……ひまわりの種の報酬はなしでいい」
キースとメイドの攻防が膠着状態に陥るにつけ、エリスの体力が明らかに減退している。抵抗する度に時計の振り子のように揺れていた金色のペンダントが、今はぴたりと止まってしまっている。まさに時計同様、振り子の停止は機能の停止を意味する。時を刻む機能、すなわち心肺機能の停止。死だ。
「熱でもあるの?」
「生きていれば、熱ぐらい出る」
メイドも頑張ってはいる。キースの単詠唱魔法に何度壁に叩き付けられようとも立ち上がり、キースではなく真っ直ぐエリスの元へ。愚直なまでに貫かれた意志も、ここまで叩きふせられれば絶望に変わるというもの。しかし、メイドはそれでも何にすがるでもなく、絶望を振り払い、立ち上がり、地面に足を叩き付けるようにして立ち上がる。主人にとっては最高の奉仕者と言えよう。さりとて、死んでしまえば意味はない。関係が途切れたが最後、残された者がたどる末路はあまりにも悲しい。
「キズナ、あの二人を助るのだ」
「ふ〜ん、熱があるんじゃなくて、熱を上げているわけね」
口角をつり上げる嫌らしい笑み。
「何とでも言うがいい。それに、助ける理由が欲しければくれてやろう。……俺達は金欠だ。幸い、あそこにいるエリスは名家の令嬢。報酬ならばいくらでも工面できるだろう。食べ物の恨みなど忘れてしまうくらいの返礼が期待できるはずだ。万年金欠で旅を続ける俺達にとってはまたとない話であると同時に――」
「待って、一つだけ言わせて」
淡々とした俺の声を両断するキズナ。
「ああ」
胸ポケットの上から落ちてくる真剣な声色。
「お金も食べ物も魅力的。首も長くなれば、喉から手も出るわ」
「お腹と背中もくっつくな」
「そうね、でも助ける理由なんていらないのよ」
ヒップバッグに手を突っ込むと、そこから一振りの刀の柄を取り出す。名を【川蝉】と言う。
「目の前であんな楽しいことされてたら、混ぜてもらわなきゃ損でしょ?」
舌で唇を湿らせる。デザートを前にした子供のようにきらきらした顔。
「それが結果的に助けるってことになるんだったら、それで良いじゃない。たまたま利害が一致しただけ。だから、リニオが私に頭を下げることなんてないんじゃないの?」
「そうか」
「らしくないわよ、師匠」
「ふん、お前に師匠と言われるとは、今日は雨が降るな。それも血の雨だ」
「降らないわよ。むしろこれから晴れるかもじゃない?」
呑気に左の手のひらを差し出して、空の様子を慮る。脳天気な奴だ。
「そうだな、雨は降らないな。食べ物の恨みを晴らすのだからな。ついでに言えば、お前の天気はと問われれば間違いなく脳天気だ」
「はいはい、じゃ、行くわよ」
キズナが屋上の縁に足をかける。スカートが風に舞い、屋上からの高さを知る。
「……キズナ、手を貸してやってもよいのだぞ?」
「断固拒否。それより、落ちないようにちゃんと胸ポケットににつかまってなさいよ」
「着地時のクッション性は期待できないがな」
肩をすくめるハムスターなんていうのは、世界中探しても俺だけだろうな。何と可愛い仕草であろうか。
「つべこべ言わず、入るっ!」
ふごふごふごっ!
問答無用とばかりに胸ポケットに押し込められる俺。なんて無礼な奴だ。視界が暗闇に落ち、空気の確保に躍起になっていると、すぐに重力落下状態に陥る。内蔵が持ち上がり下腹部がすーっとする。
おぉう、この感じ、何となく快感だ。
くすぐったさに身もだえていると、今度は突然の衝撃にポケットの中をのたうち回ることになる。そして、さらなる衝撃。うめき声と、息をのむ音が四方から聞こえてくる。キズナがくるくると立ち回っているせいだろうか、音の出所が高速回転している。暗闇も手伝ってか、どんどん気分が悪くなる。何気なく思ったのだが、頬袋に吐瀉物を吐き出さずに溜めるなんていう芸当は、出来るのだろうか……いや、止そう。考えただけで吐きそうだ。
口を必死になって押さえながら、吐き気を我慢していると、数秒後に静けさが広がる。ピンボール状態になっていた俺がほうほうの体で胸ポケットから顔を出すと、そこには決した趨勢が、決した状態のまま静止していた。