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第六十七話・「悔しいけど……私は頭が馬鹿だし」

 腕を組んで頬袋をふくらませる。

 人間で言うところのほっぺたをぷくっとふくらませて怒りを露わにする感覚だ。ハムスターの身体だと頬袋がそれに当たるのだが、どうもふくらみすぎて可愛らしさしか強調出来ないのが残念である。


「ねぇ、リニオ」


 キズナはドレッサーから探し当てた道具を使いやすいように手元に並べると、ため息と混じり合わせるようにつぶやいた。いつもの高いトーンではない。


「あの子の病気って、リニオから見てどうなの? 悔しいけど……私は頭が馬鹿だし、いくら考えても分からないけど、アンタなら分かるでしょ? 曲がりなりにも……師匠なんだし」

「曲がってなどいない。真っ直ぐな師匠だ。曲がっているのはお前のへそだろう」

「……あっそ」


 キズナが背もたれのない椅子に腰掛けたまま、片足を折り曲げて抱きしめる。膝の上に顎をのせて、唇を尖らせる仕草。

立て膝から覗くミニスカートの奥では、魅惑的な太ももと下着の黒が、身をよじる黒豹の艶やかな毛並みを想起させる。

 キズナ自身、羞恥心はないのだろう。全く気にする様子もなく、いつになく真面目な声色が部屋を漂い、消えていく。


「エリスが、先天性魔力失調症という病気は知っているだろう」

「どんな病気かは忘れたわ。でもそんな病名だったことは覚えてる」


 ニワトリのような貧しい記憶力だな、とは口に出さなかった。

キズナの瞳に逡巡の色が浮かんでいたからだ。俺はキズナがこういう眼をしているとき、何がしたいのかを知っていた。だから、キズナの言葉を待つ。ゆっくりと肺を上下させ、呼吸音で声を聞き逃さないようにしながら。


「それって、やっぱり辛いのよね」

「生まれながらにして、魔力を吐き出し続ける病気だ。一般人ならば二十歳の誕生日を迎えることなく死に至る病だ」

「ふーん……きっと痛いわよね」


 吐いた言葉に思考の欠片は見られない。

 やはり、キズナが話したいのは、聞きたいのはこの話題ではない。キズナの瞳が揺れているのを見て見ぬふりし、俺はしばらくキズナのペースで話させてやることを選んだ。切り出すのは俺でなくて良い。キズナが話したいと思ったとき、声に出したいと思ったときに、聞いてやればいい。それまで俺は、キズナとの言葉遊びに当たり前のように付き合い続ける。

 何事も無理強いは良くない。ときどき俺達はそれを忘れてしまうが。


「ああ、痛いでは済まされないだろう。鈍痛、疼痛、激痛……そんな言葉では表現に足らないほどだろう」


 月夜の晩。

 エリスと二人きりで過ごした屋根の上で、病気は発症した。

 苦悶の表情を浮かべ、魔力を垂れ流し続ける。過去、倭国には切腹という儀式が存在したらしいが、まさにそのような状態に近いだろう。切り裂いた腹部から血が、臓物がどばどばとこぼれ出すように、エリスの身体から魔力が流れ出していくのだ。

 ――リニオ。

 フラッシュバックする。

 話すことの出来ないエリスが口にした声は、きっと執念の声。

 助けてと念じ続けた末の心の叫びだ。


「単詠唱魔法を同時に五回詠唱するよりも多くの魔力を消費し続けるのだ。魔力は言い換えれば生きるための活力そのもの。その魔力を体中から根こそぎ奪われ続けるのだ。痛みも伴えば、呼吸さえ困難になるだろう。それこそ……自ら命を絶ちたくなるほどに。絶叫したくなるほどに」


 声を出すことによって痛みはわずかにだが薄れる。痛みを口から吐き出すからだ。エリスはそれすらも出来ないで、最後まで己の内の痛みを己自身で受けきらなければいけない。最後の最後まで自力で処理しなければいけない。

 涙は枯れ、汗は尽き、流すものなどなくなる。残るのは疲れてしおれてしまった身体一つ。生きているのがやっとの半死半生の人間が出来上がる。

 本来ならば病魔との戦いに敗北し、人は死んでいくのだ。なまじ【恩寵者】であるエリスは、膨大な魔力を見に宿しているために、病気で枯渇状態に追いやられても、すさまじい速度で魔力が回復していく。死ぬことを許されず、死ぬほどの痛みを受け続けることになる。いつ発症するのかも分からない恐怖もそれに加わり、安らげる時間など無くなる。

 エリスの傍には常に死神がいる。

 その死神は鎌を首元に添わせてケラケラと笑っているに違いない。


「手術をすれば治るんでしょ?」

「ああ、そうだな。一応は治るだろう。昔と違い不治の病というわけではないし、時代は進歩しているからな。手術の成功確率も格段に上がっているはずだ。それに、ハイザーゼンの大病院は大陸一と言われるほどに優秀だ。魔法を使った応用手術成功の前例もある。エリスほどの富もあれば問題なく手術を受けられるだろう。ただ……」


 自分でも知らずに濁してしまう。


「何よ、言いなさいよ」

「手術の性質上、ある後遺症があるのだ」


 うるわの独白を聞いた。

 月夜に吠えるうるわの厳しい顔つきを見た。

 現実を、知った。


「術前の記憶は、全て失われる。これは俺も……知らなかったことだ。勉強不足と言わざるを得ないだろう。うるわから漏れ聞いたことではあるが、間違いなかった。あのあと隙を見て調べたところによると、たしかに術前の記憶はもれなく失われてしまうらしい」


 先天性魔力失調症。

 発作的に魔力を奪われる奇病。

 学者の分析によると、それは魔力の流れを無意識に司っている脳組織がストッパーの役目を放棄してしまっているかららしい。通常、魔力を限界近くまで使っていくと、魔力が枯渇してしまう前に、脳組織が無意識下で、これ以上の魔力の使用は危険である、という信号を発し、魔力を制御するそうだ。エリスはそのストッパーが働かないために魔力を根こそぎ奪われ続けているというわけだ。

 先程、成功確率のある手術と言いはしたが、その手術は困難を極める。その脳組織はあまりにもデリケートな部分であり、メスを入れるわけにはいかず、魔法を使って精緻な作業をすることになる。その過程で、記憶を司る海馬を傷つけることは避けられないらしい。

これは手術に成功した前例、その全てで確認されている。おそらく、エリスだけが例外とはいくまい。

 手術の成功者は先天性魔力失調症という致死の病から解放される代わりに、今まで積み重ねてきた全てを放棄することになる。どちらを選択しても代償は大きい。

 記憶は、過去は、その人の生きてきた証そのものだ。それを全てリセットすることはいったん死を受け入れることと、さほど変わりないのかも知れない。

 死を受け入れて、新たに生まれ変わる。

 すがすがしく聞こえるが、現実はそんなに簡単なことではないだろう。エリスにとって、今でも続く初恋の記憶がどれほどの価値を秘めるのか……それはエリスにしか分からない。


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